観に行ったのは7月だからかなり前だが、感想をアップするのを忘れていた。
「鳥の巣」と呼ばれたあの北京オリンピックスタジアムのデザインにも関わっている現代中国アートを代表するクリエイターらしい。
観に行って面白かったのは、とにかくこの人は頭が良くて、すごい色々考える人だってこと。
この美術展は写真撮影がOKで(本当にそういのはうれしい)、色々撮って来たが、アートもコンセプチュアルなものが多くて、例えば1m四方のオブジェが置いてあったが、この人はとにかく最小単位にこだわって色々作っていたりするそうだ。
これは、いくつかの木を組み合わせて作った丸太で、中は空洞になっている。
そしてこの空洞、中国の形をしているのだ!
いくつかの木で作ったという所に多民族国家が表現されており、その結果できた中国 → でもそれは空洞、ってあたりが面白いアートだと思った。
他にも、同じ物を組み合わせて、ぐるっと一周させてしまうようなアートが多く、輪廻転生というか、中国らしい思想が入っている気がした。
ちなみに僕が一番好きだったのはこれ。
骨董価値のある昔の壷を落として割ってみせる、その瞬間を3枚の写真で並べて表現する。写真だからこそ、割れる瞬間を生々しく想像してしまって、淡々とした写真とのギャップが何かアートだなと思った。
あと興味深かったのはAi Weiweiの言葉。所々にかかっていたパネルに書かれていて、それが何とも深い。というか僕の頭ではちょっと理解できないくらい。でも何かとてもヒントになる言葉な気がする。
以下、それを書き写したもの。
西洋の美術から学ぶだけでなく、自分たちの日々の経験や自分自身の考え方を検証し批評する必要がある。根本的な存在の基盤や心理状態を問うこと。これが知性の本質であり、芸術の本質でもある。
クラフトマンシップや匠の技をつきつめていくと、それは手仕事のたんなる技術にとどまらず素材の本質そのものを追い求めることであり、木や石という素材を問い、試すことだと気づく。われわれの物の見方は、それによって変化する。
私は有用なものを無用にする。それは実用的なものに変化と幻想を競合させる。それによって開かれたわれわれの認識は素材や空間を理解させる。それが認識の基本であり、人々が何らかの物体を利用するときには”有用さ”に意味があることを知っている。意味とは使用することであり、それが人間の理解や文化における重要な役割を担っている。
歴史的な所産はそれを生み出した社会的なモラルと倫理を保持しており、それらは蘇らせることができる。破壊し、変容し、再創造していくプロセスの中で何らかの新しい可能性を見出すことができる。
歴史とは、われわれの行いすべてにおけるパズルの失われたパーツである。その真実はつかの間の断片でしかない。それらは歴史のつかの間の一部なのだ。
私は歴史、人生、あるいは政治史の一瞬一瞬をしばしば問う。ほんのひとつの出来事がわれわれの視点を変えうる。芸術の面白さはここにある。
芸術は視覚的な認識や感覚を通して正しい問いへと導いてくれる。それによって、われわれは本質的な要素、自分たちの心理的な推移を問うことができる。
西洋と東洋の想像力や恐れのすべては、同じ月の光に照らされ、一本の道を挟んでお互いに向かい合い、それがいつか出会うことになるだろう。
以上です。
どうですか?深くないですかw?
今回この美術展を観て、やっぱり僕はモダンアートの方が好きだなと思った。同じ時代を生きるクリエイター、アーティストが何を感じ、それをどう表現するか、そういう視点で受け取る方が僕は好きなんだと思う。
逆に、時間が経ってやっと理解できるものとか、時間を超えて届くものもあると思うので、一概には言えないけど、この展覧会には色々刺激を受けた。
やっぱり森美術館はすごい。大好き。
(一応、下記英語でも見たい人は拡大してどうぞ)
◇「アイ・ウェイウェイ展」at 森美術館
http://www.mori.art.museum/contents/aiweiwei