BBC地球伝説「レオナルド・ダ・ヴィンチ よみがえる幻の名画」1/20放送 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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2011年にダ・ヴィンチの絵画が修復、展示されたのを機会に、彼の軌跡について語られる。

番組概要
http://www.bs-asahi.co.jp/bbc/hi_30_01.html

 

ヴィンチ村で生れた。小さい頃から動物の細密な絵を描いて有名な存在だった。
13歳で村を離れ、フィレンツェに行く。そこでアンドレア・デル・ヴェオロッキオに弟子入りし、人間の体の動きに興味を持つ。

ウフィツィ美術館所蔵の「キリストの洗礼」作者はヴェオロッキオとされているが、合作だというのが通説。左側に描かれたひざまずく天使はレオナルドが24歳の時描いたものだと言われている。ヴェオロッキオはこれを見て画家を辞めた。

 

「東方三博士の礼拝」
未完だが混乱・恐ろしさに満ちており、時代の終わりと新しい未来を表現している。

レオナルドには未完の作品が多い(完璧主義者)。常に新しいものに心を奪われた。並み外れた才能を持ち、10~20代の頃は気前が良く楽しい性格だったらしい。

 

彼が主に活躍したのはミラノ。当時から流行の最先端を行く洗練された町。
ここへは30歳の時音楽家として来た(パトロン:フォルツァ公)。ここでは危険人物としての扱いもあった(戦車の設計)。水の流れの研究も行った。
有名なウィトルウィルス的人体図。実在の人物だと言われている(目だった特徴なく、不機嫌そうな顔)。自画像ではないかとの推理。

 

レオナルドは肖像画に新手法を取り入れた。
「白貂(しろてん)を抱く貴婦人」。モナリザより美しいと言われるが、20世紀初めまで知られなかった。数奇な運命を辿った。知的で生きている様な表現。動きを持ったポーズは今までの肖像画にはなかったもの。

 

1495年、43歳の時、パトロン:スフォルツァ公の要望により、修道院の壁画を作成。完成はしたが、以後悲劇的な運命。
「最後の晩餐」キリストが「ここに裏切り者が居る」と言った時の一瞬の衝撃を切り取ったもの。壮大な人間ドラマ。迫力に圧倒される。
だが当時の姿を残しているのは2割程度。原因はその型破りな手法。従来の壁画は壁の漆喰が乾く前に塗らなくてはいけなかった。レオナルドは乾いた漆喰の上に油絵の具を使って描いた。これが20~30年経ったらひび割れを生じた。原因は湿気。

 

レオナルドは1499年にミラノを去る。

ベネチアでは海の水から町を守る手助けをし、ローマでは建築を行った。
そして50代でフィレンツェに戻り、地図製作、デザイナー等の仕事を行ったがいずれもなかなか完成しなかった。
54歳の時、パトロンから完成を催促された「岩窟の聖母」。
レオナルドの性格。決め込んで製作しない、わずかずつ変更、描き直し。最後まで仕上がらないのはそんな性格から。

人体の研究も良くやった。内臓の働きを描きとめた。内部も外側と同じ様に美しい(特に気管支)。

 

51歳の頃、絹織物の商人の妻の肖像画を依頼されるが、それは依頼者には渡らず、レオナルドがイタリアに持ち帰ってしまった。フィレンツェでそれは描き続けられた。
モナリザの特徴(まるで生きているかのよう)。テクニック:下地を白く塗り、そこへオイルで薄めた絵の具を順に重ねて行く(透明性を利用)。はっきりした輪郭線がない(スフマート手法)。

 

レオナルドはフランス王の宮殿で晩年を過ごし、好奇心のおもむくままに様々な分野のメモを残した。画家というより有名人の位置付け。
フランソワ一世はこの偉大な芸術家を保護した。1519.5.2。67歳で死去。
亡くなる時、愛弟子に残した中にモナリザがあった。

 

「サルバトール・ムンディ(救世主)」。


 

長く失われていたと思われていた。1958年当時には\6,000で売られた記録がある。
板に描かれていた。節があったり中で割れていたりした。レオナルドは板の状態を気にしなかった。
ペンティメント:絵の修正された部分を透けて見える様にすること。X線では見えないが、赤外線では判る。親指を描き直した跡があった。贋作であれば、推敲の上修正するなどという行為はしない。
その他にもあらゆる調査を行い、真作であると判断され、修復の作業が行われた。

 

感想
恥ずかしながら「ダ・ヴィンチ・コード」でちょっとかじったぐらいで、あまり細かな事は知らなかった。
これを見ても、膨大な功績のほんの一部だとは思うが、全ての分野に才能がありすぎて、未完のものがたくさん残されている。