新聞小説「讃歌」 篠田節子 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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2004年9月から2005年4月まで朝日新聞に連載された。

作者は篠田節子。

 

全体感想

新聞小説を最初から最後まで継続して読み続けたのは初めてだが、毎日のささやかな楽しみという点では、それなりに生活に対して好影響を与えていたと思う。

ものがたりとしては、最初の園子のミステリアスな印象から、もう少しクールな話に行くかと思ったらけっこう暗い方向。

結局幼い時に天才少女と持ち上げられた後の留学時代の挫折、ここの描き方が単なる回想の形だったのであまり心に迫らなかったのかも知れない。

 

技術的には稚拙でも、一般大衆に対して大きな感動を与えることが出来る。この1点をテーマに置いたのなら、もう少し園子自身の人格がどう聴き手に影響を与えたかという部分についても掘り下げたかった。

単に音色に哀愁を帯びていただけで小野は涙を流したのか?この辺りがまだまだ、という感じ。

 

これを読んで思い出すのは安部公房の「燃え尽きた地図」に出てくる失踪した夫を探す妻。微妙な透明感と底の見えない感情。

そんな深みが描けるともっといいものになったと思う。

 

 

あらすじ (部分感想)

2004.12.5
TV制作会社に勤める小野。ある日偶然に聞いたヴィオラの「アルペジオーネ・ソナタ」に心を奪われ涙する。

その後ヴィオラ奏者である柳原園子を知り、彼女を題材にして特別番組を作る方向で話は展開して行く・・・・・・

物語は、番組終了後急に脚光を浴び始めた柳原園子と、その周辺の動きに対して微妙に違和感を覚え始める小野がどう絡むのかな?と期待させる展開となっている。
さて、この後小野と園子との関係はどうなっていくのか?

 

2004.12.26
TV番組のおかげで脚光を浴びる様になった柳原園子。

TV番組後に発売されたCDもかなりの売行きとなり、それにつれて彼女関連の様々な情報が浮上。

少女時代に優勝したというコンクールは特定メーカの提供するローカルなもの。彼女を見出したという恩師も深い関与はなく、いわゆる「クラシック界」で彼女の存在はほとんど認められていなかった。
そんな中、番組の制作が適切だったかを議論する審議会が設けられ、関わった者たちを次第に巻き込んで行く・・・

うーん、まあ最初の「つかみ」はそこそこで、多少秘密めいた感じを引っ張っているが、やや冗長な感じ。柳原園子自身が取材及びその後の会談でも、過去の疑いに相当する部分を何もコメントしなかったのは何故か?単に売名目的だったのか?
この辺りはもう少しテンポを速めて園子自身を登場させないと、ちょっとダレる感じ。新聞小説が途中で挫折するのは大体こういうところ。

 

2005.1.9
番組審議会での議論はあいまいなまま立ち消え「謎のヴィオラ奏者柳原園子」の人気は上昇。各局が次作の制作に乗り出す動きを察知して小野及びその上司の椿坂が動き出す。
その交渉の中で園子の、舞台衣装やプログラム演目に対するしたたかな計算を椿坂は感じる。

そんな中、週刊誌が園子に関する疑惑--コンクールが正式なものでなかった事と、恩師との関係--に関するスクープ記事を掲載。

ちょっと中ダルミを感じかけたところで、園子を巡る動きに少し変化が出てきた。

この「讃歌」というタイトル。最初は傷心の弦楽器奏者が皆を癒していく話かと思っていたのが、次第に明らかになっていく園子の本質と照らし合わせると、どうもそんな底の浅い話では終わらない感じ。

けっこう毎日が楽しみです。

 

2005.2.16
雑誌のスクープ記事も中途半端に終り、柳原園子の人気はどんどん高まるが、その一方で次回番組を巡ってトラブルが起き、その制作が中断となる。直後に柳原園子は失踪。そんな折り、小野らが作った番組が業界の賞をもらい、続編を制作するチャンスが与えられる。
失踪していた園子から小野へ連絡があり、小野は単身園子が身を隠している別荘に向かい次回作の交渉を行う。

それを承諾する園子だが、その別荘には撮影機材とおぼしきものがあり、小野の質問にもあいまいな返答。

ようやく園子本人が登場。だが相変わらず事態の真相に関しては聞く小野の方にも遠慮があるのか、あいまいなまま状況が展開して行く。
園子自体の正体は一体何か?



2005.2.27
園子の意向に添った形で演奏風景の収録が行われるが、その場に居た音大卒のAD神田は彼女の演奏に違和感を覚える。
実は小野の交渉以前に他局での制作が進んでいたが、それを園子が途中でキャンセルしていた。

至急代役を立てて制作された番組を小野らが見る。ドタキャンに対する制裁なのか、かつて園子がウィーンに留学していた時の指導者もそこに出て、園子に関するコメントを発言。園子に対して西洋音楽の歴史も含め基礎を学ばせようとしたが、理解されなかったという。
それを見ていたADの神田がその専門的な知識を基準に、園子がクラシック奏者としての基本がダメなのを冷静に指摘。

小野が直に会って感じる印象と、周りを介して伝えられる現実とのGAP。これが標題の「讃歌」とどう繋がって行くのか。

ヒネリはあるのだろうけど、ちょっと複雑な感じ。

 

2005.3.6
小野らの制作した作品の中で冷たい指導者として表現されていた、柳原園子の留学先での恩師であるエレーナ女史が、この件について正式に抗議を申し出る。
関係者を守るため矢面に立つ椿坂。ただ「芸術選賞」まで取ってしまった後のため、後処理にはかなりの手間が予想される。

だが園子の演奏はプロの目から見てそんなに問題があるものなのか?小野は釈然としない。
うーん、もうそろそろ核心に迫って欲しい感じです。

 

2005-03-24

柳原園子のCDを制作していたミカエル・レコード社長の熊谷が園子と愛人関係にあった事が判り、小野は軽いショックを受ける。園子との関係が原因で離婚した熊谷が、園子を売出す事を目的にアクションを起こしたのが一連の番組制作の舞台裏だった。

それに意図せず加担させられていた小野。
そんな折り、失踪していた園子が睡眠薬自殺してしまった。

おいおい、これからの展開で主人公を殺していいのかよ・・・・
これも昨年9月から始まってはや半年近く。

盛り上がりも中途半端で主人公が死んで、さあこの「讃歌」というテーマは一体どう料理されていくのかな?

 

2005-03-29

柳原園子の葬儀で小野は熊谷の姿を見つける。

そしてカメラの放列の中から彼を救い出し、そのまま彼を家まで送る。
熊谷は学生の頃、学業と楽器(ヴァイオリン)との間で挫折を味わい、ニューヨークの音楽院に通う友人の家に入り浸っていた。

そこに恋人として同居していた園子。

園子もまた音楽院の教官からの叱責に疲れ切っていた。
そんな中で彼の友人は頭角を現し、見捨てられた2人は次第に意識し合う存在となっていく。
ただ熊谷自身、いつまでもそんな生活が続けられるわけもなく、半ば園子を捨てる様な形でニューヨークから日本に帰国。

主人公が死んで、一気にモチベーションが下がってしまったが、その先は結局彼女の後日談しかないのかな~。

これからはヤローしか出てこない?

 

2005-04-04

熊谷は日本に戻ってから復学、レコード制作会社に入社しその後結婚。十数年の歳月の後、とある病院で柳原園子と再会する。

園子は熊谷が去った後自殺未遂をしてその音楽院を辞し、体調不良を抱えたまま同じ十数年を一人で暮らしていた。


熊谷は妻の実家の援助の下で小さなレコード制作会社(ミカエルレコード)を経営していた。ちょっとしたチャンスを与える熊谷。

ヴィオラ奏者として再び演奏の喜びを知る園子。

彼女の演奏は口コミで評判になり、熊谷も彼女を応援するがそこは男女の事、再び関係を持つ様になる。

彼女のレコード制作に関わる中で浮気に関する部分が妻に知られ、窮地に立つ熊谷。そんな頃、小野は園子の演奏を聞いたのだった。


まあ後日談となると、ちょっと意気込みもそがれるが、実際園子は何を望んでいたのか?天才少女と言われたプライドの回復のみを願ってヴィオラによる再起に賭けたのか。この辺りがポイントですね。


2005-04-11

園子の弾くヴィオラ。本来のヴィオラは朗々と響く骨太の音色が基本。そして基本が出来ていない彼女の弾くそれはもの悲しく、逆に日本人の感性に訴えかける効果があった。

園子の演奏は地域の教会などで行われ、次第に口コミで評判を広めて言った。そんな時に小野が紹介を受けて園子のコンサートを聴き、日本人なるが故の感動を味わってしまった。

そこから先は園子らが特に操作しなくても、小野たちが善意の下に番組制作を行って行ったのだった。

だがシロウトの高い評価に対し、プロの厳しい目。

注目を浴びた後に開催されたフルオーケストラをバックにした演奏会で園子は窮地に立たされる。


一見おとなしそうな園子のウラに隠れたしたたかさ。

だが本質的には弱い。

あと数回でこのシリーズも終わるが、最後にこの作者は何を訴えかけるのか。弱い女の生き様?どうも同調出来ないまま引き回された感じ、かなぁ。

 

2005-04-16

プロに対しては無様な演奏を晒してしまった園子。熊谷はそんな彼女を別荘にかくまい、再起のための練習を行わせる。

だが長いブランクの上に我流を重ねてきた園子には、基礎を受け入れてやり直す気力も技術もなかった。

最終的に追い詰められた気持ちのままで自殺してしまった園子。

 

園子のシューベルトの音楽をCDで聴きながら小野は涙を流して、最後に自問自答する。
「園子の音楽には、心を揺さぶる圧倒的な力があった。数々の試練を経て再生した魂が、他者の苦しみに、哀しみに、共感し、救いへと導く力。あの中傷は、聴衆のこの力への畏れだったのではないか。
いったい音楽とは何か、何のためにあるのか。」

 

そして、かつての恩師からの名誉毀損事件の顛末、ミカエルレコード社長熊谷、小野の上司だった椿坂らのその後が語られる。

最後に柳原園子の番組制作に使った資料類を処分する小野の姿を描いて小説は終了。