古来、信仰の対象となった島で、神の棲む島とも言われる。
島の名前は「神の斎く(いつく)住居(すまい)」を意味し、その中の「つくすまい」が「つくぶすま」と変じ「竹生島」。
南部には都久夫須麻神社(竹生島神社)、宝厳寺(西国三十三箇所三十番)がある。
竹生島神社は、明治の神仏分離令に際して弁才天社から改称した。
竹生島は神仏一体の聖地であったことから、分離の際には少なからず混乱があったようである。
ちなみに、竹生島弁才天は相模の江島神社、安芸の厳島神社と並んで日本三大弁天のひとつに数えられる。
戦国期には、近江国小谷城主であった浅井久政(浅井長政の父)が、長政への家督委譲を目論む家臣団によって一時的にこの島に幽閉され、隠居生活を強要された。
近代には宗教家の大石凝真素美が琵琶湖の竹生島は人類発祥の地であると主張した。(笑)from wiki
ちょっと前友達が来て、あえて滋賀観光したいといったので連れて行きました。
ちょっと見てください。僕の写真ボックスで腐らせているのももったいないので・・・。
行く方法としては琵琶湖の真ん中にあるしまなので、西から行くか、東からいくかになります。
西からは近江今津。東からは彦根と長浜。
そっから船。僕は彦根から40分で3000円くらいしました。でもこの機会を逃したら二度と行かない気配があったのでいきました。
結構びっくりする人もいますが、琵琶湖には島があります。「3つです。」と今まで言ってきましたが、調べると4つでした。
沖島(おきしま)、竹生島(ちくぶしま)、多景島 (たけしま)、沖の白石(おきのしらいし)
しかし、この白石…島ではないのでは…。しかし、沖ノ鳥島みたいなもんかな?これ以上いったら炎上しそうなのでやめときます。
沖ノ鳥島は重要且つ歴然とした日本国領土です!
よし、これで大丈夫。
序盤に歴史的なことは載せたので、詳細は省きます。
明治の仏教と神道の整理のせいでよくわからんことになってますが、神社とか仏教とか区別無く見る目をもったほうが、そこを純粋に理解できる場合があるとミーは思ってます。ここもそう。わけられてるけど。一つの神聖な場所。
これは竹生島神社の本殿ですが、神社として見たら建物に違和感。こんな立派な檜皮の二層構造の屋根神社ではつくらんでしょう!!これは典型的な神仏混合タイプ。
よくみれば見るほど豪華な作り、聚楽第をもってきたと噂される場所があるのも納得。
急な階段をのぼります。
ここに到着。
神社やし、弁財天やし、で複雑です。そもそも弁財天はインドの神様で本地垂迹の神様。
本地垂迹という考え方を学んだ時ちょっとびっくりした。仏教は外国の宗教で日本の神道が中心という昔の人の宗教観。八百万(やおよろづ)の神々が中心にあるという日本人の基礎がある。そこに感動。仏教の神様も信仰するけど、それはやおよろづの神の中にいるから信仰するという姿勢。
僕もそうだったけど、外国で仏教徒と答えがち。まぁそれもはずれではないけど、正確ではない。
「You 宗教何?」
「神道です!(仏教含む)」
が正解だと思う。
で最後に石。
鎌倉時代の五重の石塔。大分ベーシックな形。
随分きれいやなと思ったら土に埋もれていた模様。
竹生島でした!!