NHK特養現場の‘お約束’ | グレースケアのとんち介護教室

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時代の先端にして崖っぷち、ケアのトレンドを脱力レビュー。

NHKのドキュメント、日本の現場。今回は特養で迎える最期。

一人一人の願いを叶える…との番組案内に惹かれてみるも、実態はまだまだ貧しい。


特養はもとより、最近はグループホームも、最期の暮らしの場として考えられている。

余命の診断のないホスピスみたいなもの。「老人に明日はない」、今日できることは惜しまず、明日のために我慢せず。いかに日常を、基本的な健康や安楽をもちつつ、それぞれなりにぶっ濃く送れるかが勝負。


今回の番組では、「部長」(ケアスタッフの主任なのか、施設ケアマネなのかよくわからない)が個別に入居者やご家族と面談をする。そして希望や思いを聞き取る。いま、ケアプランの形ではどの施設でも、形だけはやっていると思うが、番組中ケアプランに落とすところへの言及はない。


主に4者が登場する。

酸素吸入しつつほぼ寝たきりになっている櫻井さん。娘が毎日ついており、最期を迎える。

やり手の研修ウーマンだった鈴木さん。当初「人の役に立てなくなったら死にたい」と漏らすが、櫻井さんの死を経て「生きるだけで娘さんが喜んでいる。…もっと長生きしたいと思う」。

夫の墓参りを8年ぶりに実現する河野さん。「一人で寂しかったでしょ、私も寂しかった」と涙。「年1回くらいは行かせて欲しい」。

ご夫婦で入居の宮本さん。認知症だが、お嫁さんが頑張って月1回、自宅に連れ帰ると、表情よく歩いたり洗濯物たたんだり。


それぞれ、美しい。が、同時に、あらかじめ描かれたきれいな「物語」が透けてみえてしまい、息苦しい。

もっと、ワイルドでエキサイティングな年寄りを登場させた方が「現場」に似つかわしい。


気になるのは、やっぱり、家族(しかも「娘」と「嫁」)の思い入れに頼っていること。

毎日きて付き添ったり、月一回家に連れ帰ったり。多くの家族は、まずできない。やりたくない。


人の役に立てなくてもいい、と鈴木さんが思いを変えたのは、先をいく人をみて自らの老いを受け入れる、切ないけど避けられないプロセスであったけれど、その論理が「子どもが喜ぶので、生きていてもいい」というものなので、家族関係に乏しい人、孤独な人にとっては、充分に生きていていいよー!というメッセージにならない。(鈴木さんも3人の子どもがいる、とナレーションで触れられるが登場しない)。結局、家族次第というのはツライ。


家族に嫌われ10年間一度も面会に来ない、とか数年ぶりに来たら葬式の段取りを相談されちゃうとか、そのうえ、きつい認知症で、大声は出す、机はバンバン叩く、ほかの人のご飯に手を出す、セクハラする暴力ふるうなんて入居者でも、、、でも生きていていいっつう強力な論理が欲しい。介護職だけは、半ばあきれ、あきらめ、でも関わり続ける。迷いながら。


そんな人がいたら、誰だって、心中「くたばれっ」と毒づかないではいられない。鈴木さんも、見送ったのが優しい櫻井さんではなく、そんな暴力老人だったら、考えを変えないで済んだかもしれない。


それから、一人一人の思いが、あまり引き出されている感じがしない。

河野さんの願いも、車で20分のお寺で墓参りをするだけの、ささやかなこと。きっと、自費で、ヘルパーを雇い、介護タクシーを使えるのなら、毎月でも毎日でも行けるはず。夢はかなう!お金があれば、というのは、老いも若きも関係ない事実。ただ、現状の介護報酬の枠でも、施設職員をやりくりして個別外出できる、という事実は大きい(職員配置や自己負担額などは不明だけど)。それから、車イス自走の練習意欲に結び付けているのも、いい(実際に役立ったかは不明)。


ラストは七夕で願いごとを書いているシーン。「寿司を腹いっぱい」(職員の代筆?)はいいけど、あとのネタに乏しい。経験的には「家に帰りたい」「息子に会いたい」「金持ちになりたい」「好きなだけ寝ていたい」「バナナを食べたい」などなどいろんな欲望が出てくるはず。(なかったのか、映せなかったのか)。特別な願いでなくても、日常のなかで、この人員配置のなかで、どうささやかに叶えてみせるか、その知恵や工夫も知りたい。


続編に期待、というか、やっぱり裏物をつくらなきゃだめか?

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