私は文章も大好きで、日頃から読んだり書いたりずっとしているが・・・・・・
しかし、文章に対して文章のコメントをかくのは難しいw
批評とか評論家とか、大嫌いだし・・・・・・・
適当にバラバラと散漫に思ってる事をかこう。
そういえば、モーツァルトやベートーヴェン、フルトヴェングラーなどの手記、手紙も魅力的だね。
例えば、モーツァルトの手紙は彼の音楽とそのまま一致するところがすごいね。
私の文章も小学生レベルだが・・・・・・w
もちろん、何度も同じのを繰り返し読んだりもしているが、このんで読んだり、聴いたりしている人の羅列をプロフィールにかいているので、それを参考にしてもらいたい。で、めんどくさいので、その名前の羅列だけで察してもらいたいw
やはり私はオペラも好きなのでそれらの台本を日頃、読むことは多い。
なかなかいろんな発見がありおもしろい。
ブーレーズがベケットのオペラ、かいてるってほんとだろうか。ほんとならこれは気になるな。
私ならしかし、カミュのオペラ、かきたいな、これはよさそうw
カミュの不条理というのがあるが現在においてはそれも正義だと結論づいている。
彼の北欧のどこかの学校かなんかの講演での学生からの質問、「どうしてノーベル賞をもらったか」との返答で、自分の母親がもし行くのを止めても、自分は銃をもち戦争に行く。というような事を言っていた。(ちょっとかなり記憶が曖昧w)
いや、待てよ、戦争は悪か?との質問に対して、頭では悪と理解しているが、母親に銃をつきつけられているのなら、行かざるを得ない。とかだっけ?なんかもう忘れてしまったw
つまり曖昧な態度においても正義というのはあり実行すべきだという事だ。もちろん、それは当時の視点であって、今の環境では直接当てはまらない。
ジェラールフィリップは、舞台でもカミュの戯曲を演じた。
これは何だっけかな、カリギュラ?転落?忘れてしまったw
ジャック・プレヴェールの脚本はいい。
霧の波止場、曳き船、夜の門、etc~などをかいている。
どうも、映画や音楽に脱線してしまうなw
最近、読んだ本というと・・・・・「クライバーの伝記、上下巻」かな。この間TVでドキュメンタリーをやっていたので、もう1度読み返してみた。
あと、芥川の「杜子春」、「地獄変」、「トロッコ」、カポーティの「パリへ行って娘取り返すやつ」w、太宰の「雪の夜の話」、御伽草紙、何個かw、三島の編集した「班女」、そういえば最近、能が気になる・・・狂言とかね。あと、江戸川乱歩、何個かw、それと寝る前に「ブーレーズの作曲家論選」というのを。これはいい。読んでいると眠たくなってくるw、あと姪にかってやった絵本、あめあられとw
そういえば、私は絵本、童話が大好きだ。
子供を対象に綺麗事を説いたり、アピールしようという動機をもつということは、余程の強い何かがないとできない。本物であるか偽物であるかの区別など、すぐにつく。
誤解されそうだが、趣味的に自己満足だけのオバハンがかいている童話や絵本など論外だ。軽蔑さえする。子供のためにもならないw
ま、それは他の音楽や、楽器演奏、お絵かき、etc~などにも同じような事が言えるが・・・・・
わかりやすく比喩的にまとめてみたw
なんらかの事柄に自信があり、さらには責任ももてる位なら、伝授していくのが責務だと思う。
批判するという行為が自然とでてくるのなら、それも自信だとも言える。
クリエイティビティのある人というのは、すぐわかる。
客観視したときなどに、まったく理路整然としていない人というのが、その要素の強い人だ。つまり私だという事だw、もちろん、そんなのは立場を問わない。立場やステイタスのみでの視点しかもてない人など論外だ。
最近は、はやりで「クリエイティビティ」があるのはよろし。とかいうイメージだが、迷惑な話だ。マニュアル通り既製品をつくるのとは意味が違う。さらには再現するようなものを指している場合もあるが、それも少し意味合いが変わる。
新しい価値観の創造をすることだ。
と、いった具合に、きりがないw
ここで1つ、ワーグナーの楽劇の思想を示す、私も共感しえる一例をあげてみよう。
彼は、自分の書いた楽劇を娯楽のための作品だとは考えていなかったし、実際、どう好意的に見たところで、そういう類の作品ではない。
彼の楽劇は一種宗教的な教訓劇(但しこの言葉をもっとも広義に解釈した場合の)であり、さらにそれは、善なる生き方(すなわち創造的な生き方)と邪まな生き方(すなわち破壊的な生き方)とのあいだの闘争を描き出そうとした深遠な芸術表現なのである。
彼は<指輪>の完成のために四半世紀をついやし、それによって、こんにちでもまだ社会から真剣に見すえられているとはいえないひとつの真実-すなわち、権力の追究こそすべての悪の根源であり、愛、あるいはむしろ”即物的な世界からの解脱”というべきものこそが唯一の善であるということ-を示そうとした。
そしてこの解脱の理念は、それに続く作品である<パルシファル>において、より明白な宗教的シンボリズムを用いて、ふたたび語り説かれている。
これらの思考は何も彼だけでなく、ベートーヴェンやモーツァルトなどにもみられるし、他の多くの音楽、文章、美術の作家たちの根底にある創作動機、基盤にもなっている。
と、いった具合に、どんどん脱線していくが・・・・・・・・w
昨日だっけ?にもかいた、ほとんどはミクシーや別の機会にかいた事の引用だらけだw
ミクシーにも写真や文章、貼りまくったんだけど、なんか過去の日記みるのがめんどくさすぎるw
なので、やはりここでは、その都度、思った事を適当にかいていこうと思っています。
どうぞ、意見、質問、反論、何でもよろしくね~♪
あと、バレエとか演劇、日頃、散歩での写真~、動物園、食べ物、旅行~など、きりがないが、いろいろな事に興味があるので、かいていきたいと思っています。個人の勝手なメモ化しそうだがw