すいません。昨日書くと宣言しておきながら、見事にサボってしまいました。

というわけで、今日は先日紹介したEconomistの記事を読んで思ったことを書こうと思います。


基本的な記事の内容はは、ヨーロッパの立場から、アメリカの大学を見て、ということなのですが、ヨーロッパの大学の状況が良く伝わってくる内容だと思います。そして、ヨーロッパがどうすれば、ハーバードのような、世界規模の大学をつくれるのだろうか、という視点でアメリカの大学システムを分析しています。


というわけで、今日のテーマは、「日本も世界規模の大学がつくれるのか」というのを自分なりに考えて見たいと思います。


自分にとって世界規模の大学の条件の一つは、「世界中から人材が集まる場所」だと思っています。いわば、大学にいながら世界を実感できる、そんなところが世界規模の大学の条件の一つように思います。


結論から言うと、んー、難しい、って思ってしまうのが正直なところです。

やっぱりアメリカの大学とかを見ると、そういうことよく考えるわけです。

今後自分の考えがどう変わるかは分かりませんが、今の段階では、無理かなと思います。


そう思う一番の理由は、日本は他の国の人からしたら住みづらい場所、というのが挙げられます。英語の壁もあるし、それ以前に日本という国が外国人を受け入れられる状況にないと思います。これは社会のシステムというよりも、一般世間の精神性といったほうがいいかもしれません。


だから、僕が思うのは、日本の大学に世界規模の大学を無理してつくらなくてもいいんじゃない、ということです。ある意味社会的な基礎の部分が、そういった世界規模の大学の場所としてふさわしくないわけなので、政策レベルの話で何とかできるものではありません。また、教育の目標は、単純に言えば人材を輩出することであるから、世界規模の大学を日本に持つことが、人材輩出の必要条件なのか、というと必ずとはいいきれません。


そういうわけで、僕の提案は、逆に、今の世の中の流れを利用するということです。その方が、コスト的にも楽だし、現実的かなという気がします。今、世界の学問の中心がアメリカ・イギリスなら、それを利用する。具体的に言えば、アメリカ・イギリスの大学院で日本の学生を育ててもらう。アメリカの大学教育の最大の特徴は、大学院教育であって、ここが日本にはないものです。


したがって、現在の教育システムを、6・3・3・4プラスアメリカの大学院、という風にとらえて、教育の最後の部分をアメリカに肩代わりしてもらう、ということにしてしまう。そして日本の大学はそれを全面的に支援し、以下に多くの学生をアメリカの大学院に送れるか、ということに勝負感を持つわけです。いわゆる予備校が、東大何人!というところで競い合っているようなものです。


もちろん、こんな夢物語のような話が実現するわけはないですが、どこかの私立大学一つでいいから、こういうことをやってくれたら、日本の大学ももっと面白くなるんじゃないかなと思います。