父の急逝から1 ヶ月が過ぎ、ドタバタの日々でしたが
多くの学びの期間でもありました。
6年4ヶ月前に前立腺がんが判明した時には、すでに遅く骨への転移がありました。
しかし、治療が順調に進んで1ヶ月ほどで痛みや症状もとれ、ほとんど正常な状態にまで戻りました。
この時点では完治ではなくホルモン治療と経過観察ということでした。それから5年が過ぎ乗り越えたと思っていました。
しかしこの病魔はやはり忍び寄っていたのです。
今年に入り3月くらいから、ふらついて100mも普通に歩けないという症状が現れ、通院している大学病院泌尿器科で診察や検査を受けましたが老いが原因と言われました。
不信感があったので同院の内科で検査、貧血が進んでいることが分かり、貧血の治療を始めました。この時私自身はがんの症状だと思って疑いませんでした。
大学病院は手術などにより成果が期待できる場合はいいと思いますが、がんに罹患してからの治療や検査、診断は担当医が何度も変わり医局内のつながりが悪く、ひどいものでした。
このままではダメだと思い、がん治療専門医を紹介してもらい、7月末に検査入院させました。
やはり感は当たりました。がんの転移が血液に進み、さらに肝臓に20mmの大きさのがんが見つかりました。この時に長くても年内いっぱいとの余命宣告が。
6年前に一旦覚悟していたので、それほど大きな衝撃ではなかったと同時に何とか苦しまずに見送ってあげたいという気持ちが大きかったのです。
8月末は2度自宅に外泊し、食欲もあり、まだまだ元気でした。
亡くなる3日前から食欲が落ちました。
前日は病院でもしっかり歩いてトイレも行ける状況でした。
ところが、当日朝、看護師さんから携帯に電話が、
起き上がってそのまま床に倒れこんで動けなくなったと!
慌てて病院へ向かいましたが、すでに父は永遠の眠りについていました。
遺言どころか眠る直前まで看護師さんと笑顔で話していたそうで、
その表情のまま逝っちゃっていました。
なんとも父らしい最期でした。
その幸せそうな亡き父の姿に、これで良かったと思いました。
本来ならば末期ガンと闘い続けてげっそり痩せ衰えて敗れてあの世に送られるところが、ふっくらとして笑顔のまま、死の恐怖も感じずに逝けたのですから。
なかなかこんな人はいないと思いました。
さて、ここからドタバタ劇が始まります。
先ず葬儀屋さんに遺体の搬送の依頼、菩提寺の住職とスケジュールの打ち合わせ、
親戚への連絡と。
この先は次の記事で。
手続きやその過程で起きたことなど書きます。