なぜこの世に生まれてきたのか?
そしてなぜ生きているのか?
間もなく父が亡くなった年齢になり、若い頃とはまた違った意味で、生きるということ、そして死というものに対して考えています。
アドラーの、
岸見先生の訳では、
中国語訳では、
超越自卑(劣等感を乗り越えろ)
活出真正的价值12堂必修课(本当の価値を生きるための12の必修課)
生命对你意味着什么(人生はどんな意味がある)
と色々ありますが、この人生というものの意味を扱っています。
「何のために生きているのか」
永遠のテーマですね。
渡辺シスターはニーチェの次の言葉を挙げています。
He who has a why to live can bear almost any how.
渡辺シスターが紹介されている日本語訳では、
生きるべき“なぜ”を知っている者は、ほとんどすべての“いかに”に耐える。
別の日本語訳では、
「なぜ生きるか」を知っている者は、ほとんどあらゆる「いかに生きるか」に耐えるのだ。
私の父はこの世は地獄だとよく言っていましたが、生きていくというのは本当に大変ですね。
このニーチェの言葉の中国語訳は、
一个人 知道 自己 为什么 而 活,就 可以 忍受 任何 一种 生活。
「ほとんどすべて」というのが中国語訳ではなくなっていますね。
他の中国語訳をネットで探したら次がありました。
知晓 自己 生命 的 意义,方 能 接受 忍耐 一切。
「ほとんどすべて」が“一切”になっていますが、次もありました。
如果 一个人 知道 为什么 活,几乎 就 能 忍受 任何 活 的 方式。
この中国語訳では「ほとんどすべて」が“几乎(ほとんど)”と訳出されています。
他にもありましたが、中国語に翻訳するとはっきりと断言し、そして簡潔な表現が好まれるようです。
生きていくというのは喜びもありますが、辛いことも多いものです。
さて、先ほどのニーチェの言葉ですが、これはヴィクター・フランクルが書いた「死と愛」の中にあるそうですが、この「死と愛」。
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アウシュヴィッツの収容所の体験とのことで、次の文があります。
なぜヴィクター・フランクルがこのニーチェの言葉を『死と愛』の中で出したかというと、強制収容所の中で、辛い毎日を送りながら、いつかこの戦争が終わって、今は離れ離れになっている妻子と一緒になってまた家庭を営むのだという目的がある時は、つまり、生きなければならないという、生きる理由、why to live がある時には、重労働、いつガス部屋に送られるかわからない恐怖の日々、コッペパン一個と水のようなうすいスープ、その how to live に耐えることができたということが言いたかったのです。
维克多・弗兰克尔 之所以 将 尼采 的 这句话 收录 在 《死与爱》 中,是 因为 他 想说: 在 强制收容所 中,当 他们 拥有 “等 战争 结束 后 便 可以 和 妻子 团聚、经营 家庭生活”这个 目的 时,即 他们 拥有 必须 活下去 的 理由 时,他们 便 能 忍受 重体力劳动、不知 何时 会 被 送到 毒气室 的 恐惧、每天 只有 1个 纺锤形 面包 和 1碗 如水般 无味 的 稀汤 的 生活。
目的。
生きる目的。何のために生きるのか。
目的があれば、辛い人生も生きていくことができる。
そうですね。
目的は未来。
過去にくよくよするより、「これから何ができるか」を考えた方がいいですよね。
渡辺シスターは続いて「生きる目的」について話をされていますが、今日のところはこの辺で。