中国語版;「トラウマは、存在しない」の質問と説明 | SC神戸中国語スクール 京都校

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昨日、7月11日の土曜日も『中国語の原書を読む会(アドラー心理学)』はお休みでした。

通信制で学ばれている方からの質問がありましたのでそれをご紹介します。

○○さん、山岡です。
今回も、学びの機会を与えていただいてありがとうございます。

アドラー心理学の「目的論」は、人間の心理に限定のことです。
その他は(自然科学全般に)「原因論」です。
因果律も「原因と結果の間には一定の関係が存在するという原理」ですので、「原因論」です。

品質管理などでも、何か問題があれば、先ず原因を分析し、根本原因を解決することで問題の再発を防止しますし、車に乗っていて、故障したら、原因を探し、エンジンのベルトが外れていたらそれが原因で、故障という結果が出たというのが一般的な考え方ですものね。

でも、人間の心理についていうと、アドラーの言うように「何か目的があり、それを達成するために何かをしている」と考えると説明がつきやすかったりする。
ということのようです。

それも、アドラーは、この考え方が正しいということではなく、ひとつの考え方として提示しているだけのようです。

私はこの「目的論」が好きです。

人の行動を一般的な理論の「原因論」で考えると、「トラウマ」という考え方をとり、それが原因で色んなことが発生しているという考え方(因果律)はとてもわかりやすく、そして「親の虐待が原因(トラウマになり)で、今の自分はこんなにかわいそうな状態になっている。これはドラマにすればとても面白い展開で、人を惹きつける魅力を持っている考え方だし、人の心をとらえて離さない魅力があるでしょう。

でも、それはもしかしたら責任転嫁しているのかもしれません。
単に、甘えたい、あるいは仕事をしたくないから休みたいだけかもしれません。
それなにのに「トラウマ」が原因でこうなった。と考えると、自分自身もほっとするでしょうが、それは自分を騙しているのかもしれません。

というようなことだと思うのですが、先ずはご質問から一緒に学んでまいりましょう。

它那因果规律的简单逻辑和戏剧性的发展进程自然而然地就会散发出摄人心魄的魅力
私の中国語のレベルではちょっと読解できませんでした。
 
※日本語文
「・・・・その因果律のわかりやすさ、ドラマチックな展開には心をとらえて放さない魅力があります。」
 
特に後半の「戏剧性的发展进程自然而然地就会散发出摄人心魄的魅力」はお手上げでした(泣)

ここは中国語版のP8、哲人が「トラウマ」を明確に否定したあとの、哲人の説明ですね。

哲人: 阿德勒心理学 明确 否定 心理创伤,这一点 具有 划时代 的 创新 意义。弗洛伊德 的 心理创伤学说 的确 很 趣。他 认为 心灵 过去 所受的 伤害(心理创伤) 是 引起 目前 不幸 的 罪魁祸首。 我们 人生 看作 一幕 大型戏剧 的时候,它 那 因果规律 的 简单 逻辑 和 戏剧性 的 发展进程 自然而然地 就 会 散发出 摄人心魄 的 魅力。

日本語の原文は;

哲人 アドラー心理学では、トラウマを明確に否定します。ここは非常に新しく、画期的なところです。たしかにフロイト的なトラウマの議論は、興味深いものでしょう。心に負った傷(トラウマ)が、現在の不幸を引き起こしていると考える。人生を大きな「物語」としてとらえたとき、その因果律のわかりやすさ、ドラマチックな展開には心をとらえて離さない魅力があります。

日本語が主語がなかったり(誰が人生を大きな「物語」としてとらえるか)、「その因果律」が「フロイト的なトラウマの議論の因果律」であることがわかりにくかったり、また「魅力」は日本語では「魅力がある」と表現していますが、中国語では“散发出”「放つ」という動詞で表現されていたりして理解しにくいところだと思います。
また、“逻辑”「ロジック(論理、論理学)」という普段はあまりお目にかからない表現が使われていたり、“而”という書面語があったりするのも難しく感じられる原因になっているかもしれません。

確認ですが、「因果律がわかりすい」のは「フロイトの「トラウマ」を使った考え方(学説)」で、「ドラマチックな展開」をするのも「フロイトのトラウマを使った考え方(学説)」で「心をとらえて離さない魅力がある」のも「フロイトのトラウマを使った考え方(学説)」ですね。

これで内容はつかみやすくなったと思います。
(ところでこのことを利光さんに言われてはじめて、自分自身が深く読まず表面的に流し読みしていることに気付きました。読書でもそうですが、これはリスニングでもそうなのでしょうね。人によりレベルは違うでしょうが、普段、以下に勢いで読んだり聞いたりしているか改めて気付きました。)

它 那 因果规律 的 简单 逻辑 和 戏剧性 的 发展进程 自然而然地 就 会 散发出 摄人心魄 的 魅力。

中心となるのは;

…… 散发出  魅力。

魅力を発しているのですが、何が魅力を発しているのかと申しますとそれは;

「フロイト的なトラウマの議論(というか考え方であり学説のこと)が持っている(以下の特長を持っている
)①因果律がわかりやすい(簡単なロジック)②(物語としてとらえたときの)ドラマチックな発展性と進展(=展開)」

これが魅力を発しているということになると思います。

“摄人心魄”は「人の心を奪う(ような) 」でしょうか。

摄人心魄
形容美好的事物,让自己失去了自我,以至于像魂被取走了似的。中文名 摄人心魄
外文名 Breathtaking
解 释 形容美好的事物让自己失去自我。
近义词 夺人心魂、惊心动魄
What let his own heart intense touches or touched, so as the soul was caught.
The beautiful scene or general describe beauty let oneself lose yourself. There're more than one's soul, and continuously to describe beauty of women.
有震撼力,直逼人的心灵
摄 ,摄取,夺取的意思。 心魄:灵魂,注意。
能够把人的灵魂都弄丢了,说明那事物(文章、画面、风景....)很美
近义词:夺人心魂、惊心动魄

でいかがでしょうか?

 
我们 并非 因为 自身 经历中 的 刺激---所谓的 心理创伤---而 痛苦
 
※日本語文
「われわれは自分の経験によるショック---いかなるトラウマ---に苦しむのではなく・・・・・」
 
并非・・・・痛苦 「決して・・・・苦しむのではない」という意味だと思うのですが、その時の而はどう捉えたらいいでしょうか?
メールを書きながら考えるとわかってきたような気もするのですが、解説をお願いします。
 
中国語の文は、上述の①の後、P9で哲人が引き続き説明しているところですね。

  但是,阿德勒 在 否定 心理创伤学说 的时候 了 下面 这段话:“任何 经历 本身 并不是 成功 或者 失败 的 原因。我们 并非 因为 自身 经历中 的 刺激——所的 心理创伤—— 痛苦,事实上 我们 会  经历中 发现 符合 自己 目的 的 因素。决定 我们 自身 的 不是 过去 的 经历,而是 我们 自己 赋予 经历 的 意义。”

日本語の原文は;

 しかし、アドラーはトラウマの議論を否定するなかで、こう語っています。「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック――いわゆるトラウマ――に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」と。

我们 并非 因为 自身 经历中 的 刺激  痛苦,

とすればわかりやすいかもしれません。

“而”は“因为—而~”です、Weblioですと、

4 前置詞 (‘因为…而…’の形で,‘因为…’が連用修飾語として‘而’以下の動詞・動詞句を修飾し)…のために,…によって,…で(…する).
◆‘不’や助動詞は‘因为’の前に用いる.
⇒因为…[的]关系 yīn-∥・wèi … [・de]guān・xì ,因为…[的]缘故 yīn・∥wèi … [・de]yuángù .

我们 因为 自身 经历中 的 刺激  痛苦。

「われわれは自分自身の経験による(経験の中にある)刺激(ショック)が原因となって苦しむ。」

“并非”は「決(けっ)して~でない」ですが、“并”は「あなたはそう思っているかも知れないが、ところがどっこいそうじゃない」という気持ちを表現しています。

いかがでしょうか?

 
这一点具有划时代的创新
 
ここの「具」は何を表すのでしょうか?

場所は①の中国語版のP8、哲人が「トラウマ」を明確に否定したあとの、哲人の説明ですね。

哲人: 阿德勒心理学 明确 否定 心理创伤,这一点 具有 划时代 的 创新 意义。弗洛伊德 的 心理创伤学说 的确 很 有趣。他 认为 心灵 过去 所受的 伤害(心理创伤) 是 引起 目前 不幸 的 罪魁祸首。当 我们 把 人生 看作 一幕 大型戏剧 的时候,它 那 因果规律 的 简单 逻辑 和 戏剧性 的 发展进程 自然而然地 就 会 散发出 摄人心魄 的 魅力。

日本語の原文は;

哲人 アドラー心理学では、トラウマを明確に否定します。ここは非常に新しく、画期的なところです。たしかにフロイト的なトラウマの議論は、興味深いものでしょう。心に負った傷(トラウマ)が、現在の不幸を引き起こしていると考える。人生を大きな「物語」としてとらえたとき、その因果律のわかりやすさ、ドラマチックな展開には心をとらえて離さない魅力があります。

「分かち書き」といいますが、このように単語ごとに分けてかいてあるとわかりやすいのですが、これも場合によって分け方が違ったりして難しい面があるのです。

「持っている」というときに中国語では“有”が使われますが、“有”の前に表現を付けて、もっと表現を詳しくします。

◎ 拥有 yōngyǒu
[possess;have;own] 占有;持有。领有;具有。

◎ 具有 jùyǒu
(1) [possess]∶拥有 [财产、附属物、属性或其他附属的特征等]。犹具备。
(2) [have]∶拥有,保有。有;存有。

日本語で表現すると同じ「持っている」でも「具備している」「備えている」という意味の時には“具有”が使われているようです。

つまり、

「アドラー心理学がトラウマを明確に否定しているというところが時代を画する、創造的で新しい意義を持っている。」

ということでしょうか。

アドラー心理学を日本に紹介された野田俊作氏は、ブログで次を紹介されています。

勇気づけの10か条

1.原因ではなくて目標を、過去でなく未来を見る
2.足りないものではなくて、すでに与えられているものを見る
3.短所や欠点ではなくて長所や能力を見る
4.「悪いあの人、かわいそうな私」をやめて、「私にできること」を探す
5.人を変えるのをやめて、自分を変える努力をする
6.達成不可能な目標を捨てて達成可能な目標を探す
7.一歩一歩、段階的に問題を解決する
8.相手にとっても利益になる目標を探す
9.陰性感情や症状は目的のために使われていることを理解する
10.事態には別の解釈もあることを学ぶ

(『野田俊作の補正項』2013年3月30日)

ある著作で野田氏は人は次の三面を持っている;

「悪いあの人と人を責める面」
「かわいそうな私と自分の不幸な境遇を嘆く面」
「私にできることは何かと積極的に考える面」

「トラウマ」を原因とすることは「誰かが悪く」「自分はなんて可愛そうなんだろう」と訴えることで周りの同情を買うことはできても、何の変化もない。
それより、「自分にできることは何か」を考え、そして「目的」を作り、それを達成するために行動を起こす方が健康的。
そんな気がします。

感想については、色々ご説明したつもりですが、まだまだ私自身理解不足の面があります。
これから共に学んでまいりましょう!