夜話 1926 「薩長和合」と古松簡二
古松についてはたびたび紹介した。
坂本竜馬より早く古松は高杉晋作と「薩長和合」について話し合っていた。
このことは郷土史の大先輩古賀幸雄先生が既に遺著に発表しておられた。
ご生前にお約束を頂いていたので 八女人としてここに発表させてもらう。
古松は幕末から明治にかけて活躍した八女の志士である。
攘夷・開国などと簡単に分ける事の出来ぬ志士だったとしてここでは紹介しておく。
薩長が和合したことにより討幕は成功しその口火は坂本竜馬が切ったことになっている。
しかし薩長和合の口火をまず切ったのは古松簡二だった。
古松は京都での志士活動中 かねてから長州の高杉晋作を知っていた。
京都での志士らの集合談話の中で薩長和合論があったとき高杉説得に古松が選ばれた。
四国琴平に高杉がいる事を知った古松は同船中の水戸藩士斉藤左次郎をさそつて高杉と会った。
斉藤は西郷隆盛の意を受けていたという。
赤い女の衣装を着て同伴の芸者に月代を剃らせていた高杉は、斉藤の「西郷と桂は天下のため薩長が和合すべしと言っている」という意見に異議を申し立てた。
高杉は「薩摩と会津のため いま長州は失意のどん底にある。
薩摩が詫びて和を乞うのがすじ。おれの眼の黒いうち薩長和合などはさせない」と言ったという。
斉藤が去ったあと、古松は高杉に「自分も薩長和合を君に勧めにきたが、先の発言はいつもの君の見識とは似ていない。この際大局的に判断してほしい」というと高杉は「あの斉藤はまじめだが世に名のある人物ではない。彼をよこした西郷の意は知れてる。もし苦境に立つ長州がそのまま薩と和合したら長の恥となる。
しかも薩が大功を遂げるには馬関海峡通行の問題がある。
おそらく西郷は今後天下に名のある人物を使って和合工作進めるだろう」と言ったという。これを聴いた古松は高杉の見識に感服したという。名のある人物とは坂本竜馬の事だろう。
後年古松は「維新後の俊才のなか識見と機敏さとで高杉の上に出るものはいない」と語ったという。
この一件は古賀幸雄先生が残された『ふるさと歴史漫禄』にある。
八女の異色ある古松簡二についてのありがたい秘録を残していただいた先輩に感謝をささげたい。