夜話 627 薄田研二の『無法松の一生』 | 善知鳥吉左の八女夜話

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夜話627薄田研二の『無法松』 
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書箱を片づけていたら珍品発見。

昭和32年3月劇団『中芸』発行の『無法松の一生』のパンフ。

これは観劇したとき入手したもの。ただ入場券の半分が行方不明。

昭和32年だつたことは間違いない。善知鳥は市役所の勤務を早ビキして見にいった記憶がある。

観劇月日がはっきりしないのが残念だが会場は福岡の九電ビル。

夜の部だった。

これが最後の『無法松の一生』の観劇。

そして松五郎役の薄田とも。

松五郎の永遠の恋人吉岡夫人は、薄田の妻内田礼子だった。

此のパンフの徳川無声の随筆「ガンバリ強いガンさん」で、探索をあきらめていた苦楽座の「松五郎伝」の興行年月日もはっきりした。
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ガンさんとはヒロシマの原爆で死んだ丸山定夫のこと。

東京邦楽座に毎日通って、丸山と薄田の松五郎を観た記録がここではっきりした。

昭和19年1月25日からの二週間。

善知鳥は毎日通い続けたわけ。19の冬。

ただ日替わり交替と思っていたが、前週を丸山。あとを薄田がやったとのこと。

またこのパンフで飯田蝶子が木賃宿のおかみを演じていたことを初めて知った。

丸山と薄田の両者をくらべたら、なんといっても丸山の松五郎が素晴らしかった。

押さえた演技が松五郎の素朴な人間味を観客に気持ちよく訴えた。

薄田は祭り大鼓をはでに打って劇を盛り上げたことを覚えている。あの場面でけんかの仲裁役の警察署長尾形を演じた徳川無声の存在も記憶に残っている。

わざわざ福岡まで見にった劇団『中芸』の『無法松の一生』の内容は希薄で やせた薄田の印象だけが記憶に残った。

戦中と戦後の時代色のなかでの感激の差だろうか。

活字になったものパンフ一冊でも強いなあ。敬称略

上 パンフカット

中 パンフ表紙

下 薄田の松五郎

夜話123参照