大坂夏の陣で、弱冠21歳にて戦死した木村重成、その名は家康への使者のふるまいのみならず、多くのよき逸話を残した花の若武者だった。
一昨年大河ドラマ「真田丸」で白石隼也さんが重成役で登場、ウーン、かくもイケメンだったろうか(笑)。
「拙者(重成)、初陣ゆえ、どうか存分にご指図をお願いいたしまする」
冬の陣でのこと。
後藤又兵衛に出陣の際に申し出た謙虚さに、歴戦の勇者・又兵衛も感じ入ったという。
しかも初陣ながら東軍・佐竹勢相手に善戦、敵中に取り残された味方兵を単身救出に向かうなど、敵味方にその勇士ぶりを印象づけたという。
支援した又兵衛もまたその沈着さをほめたたえた。
また、戦場に出たことのない重成を、ある時茶坊主がからかった。
憤怒した重成だったが、怒りをおさめこういったという。
「おぬしを斬ったならば、わしも腹切りぞ。しかし今、殿(秀頼)のお味方を二人も失うわけにはいかんからのう」
重成は、秀次の側近だった木村常陸介の嫡子。
秀頼に近侍していた重成、母もまた淀君に仕えていた。
数年前に、重成が初陣した今福の激戦地・古戦場あたりに、といっても大阪市城東区の市街地だが、ここに「後藤基次・木村重成奮戦の地跡」の碑が立てられたという。
三郷橋稲荷大神前で、寝屋川水路から北へ数百㍍のあたり。
クルマでの探索は実に四苦八苦したが、こういう記念碑は永く残り、実に嬉しいことだ。
夏の陣での八尾の戦死地の立派な墓所も、蓮城寺の位牌所も木村重成の名を未来に残す。
そして歴史嫌いな人にでも、誰にでも話して感心しない人はいないのが重成のこの逸話である。
討ち死にした重成の首級が家康の前にて実検された時、家康が近づくと、
「その首級、はなはだ薫ず」
なんと兜内と髪に、重成は香りを焚き込めてあったというのだ。
なという優雅さ。
死を覚悟していたのである。
21歳という若さで、これだけの嗜みを持っていたとは。
家康のみならず、現代人でも胸をうたれる。
すごいなぁ、重成さん……、すごい。