熱く散って逝ったもののふ達のフォト列伝

各地で撮った写真とともに、我ら祖先のもののふ達の、熱き生きざまを書いています。
地元タウン紙「松本平タウン情報」に「信州往来もののふ列伝」を連載中。

▲琵琶湖に浮かぶストロベリームーン


さればござる皆の衆。

 

次回7月1日付「松本平タウン情報」連載の「信州往来もののふ列伝」は、節目の「巻100」にて候。

 

よって日本史上知らぬ人はいないあの超偉人、伊能忠敬殿に登場を願いましてござる。

 

「忠敬さんはもののふ?」

「内陸の信州に来たの? 海岸線をずっと歩いたんじゃないのか?」

なんて言わない、言わない!

 

忠敬さんは測量家となる以前は、酒造業者として名を成し、名主としての功績などで名字帯刀を拝領している。

 

さらに測量するために幕臣の身分となり、帯刀を許され、実に大小6本、「六刀先生」の異名も持ったという。

れっきとした武士!

 

しかしおごることなく常に謹厳実直、19歳も年下の高橋至時に50歳の忠敬が門下生となって実に熱心にひたむきに天文学・暦学を学んだ。

測量家・伊能忠敬は、なんとこの50歳からの勉学でスタートしたのだ。

 

これは幼いころ読んだ「伊能忠敬」伝の中の感動した挿絵。

江戸城大広間にて、忠敬の完成図が将軍や幕閣の要人に初めて披露された。

 

 

「おぉ!」と満座息を飲んでの驚愕のどよめき

しかし無念残念なり、ああ、この場に忠敬の姿はなかった…。

 

忠敬さんは信州路に3度歩を刻んでいる。

そんな忠敬さんの物語、またぜひご一読のほどを。

 

 

我がお抱え絵師の有賀さん、こんないい雰囲気の忠敬さんを描いてくれました。

おお、ちゃんと刀を差しとるぞ。


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今回の北関東の旅の一番の目的は、勿来の関所址

 

しかし義家さんの歌の他にズラリ14もの歌碑が関所の山道の左右に。

義家さんの騎馬像が迎える関所の門から入っていくと。

 

石畳の道に沿って歩いて行くと。

 

その中で、和歌の訳を読んで、あらためて平安の女流歌人の繊細な心を知る。

 

まずあの小野小町の歌碑。

海松布(みるめ)刈る 海女の往来の 湊路に 勿来の関を われすえなくに

だって。

資料館の中から、ガラス窓越しに太平洋を見ながら、この歌が読めるようになっていた。

 

 

そして和泉式部の歌碑。

勿来とは 誰かは云いし いわねども 心にすうる 関とこそみれ」だって。

 

 

まったく意味わかんねぇ、訳せねぇ。

よって文学資料館の資料から訳をいただく。

 

小野小町の訳は、

「海松布(海草?)を刈る海女(私?)が行き来する港に、勿来(来るな)なんて関(壁)は据えてないのに、あなたは会いに来てくれないのね」

だって。

湊路=みな閉じ、と掛けてるとか。

むむ、すごいというか…すごい。

小野小町って、美女だけのイメージだったが。

 

和泉式部のは、

「来ないなんて誰が云ったというの。だれも云ってないわ。あなたが勿来の関みたいな心の隔てを作って、私に会いに来ないだけでしょ」だって。

 

「会いにいけない」という返事を聞き、「勿来の関はあなたの心の中にある」と相手につきつけながら、柔らかい表現にしているとか。

 

ったく、なんたる細やかな情緒というか、すごいというか。

 

源義家よりも前に、こんな著名な歌人が詠っていたなんて初めて知った。

なこそ・勿来=来るなかれ、別れ、会えないなどの情がこの地へ来なくても、勿来という地名を知って都で詠めたということか。

「なこそ」とはいい言葉だったのだろう。

 

だがやはり私は義家さんの、

吹く風を 勿来の関と思えども 道もせに散る 山桜かな…」

の歌がいい。

 

やはりこの勿来の関の現地にて詠った義家さんの歌がいい。

 


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されば、北関東の旅もそろそろ最後。

となれば、やはり水戸、水戸へ寄って行こう。

 

拙ブログ「水戸浪士の墓、松本藩士の墓」の記事へのアクセスがあいかわらず多い。

もう5年前(2012/12/31)の記事なのに。

 

今月は今日まで131、5月は289、4月は157。

しかし「いいね!」「コメント」はあいかわらずまったくない。

 

そのほかにも水戸烈士関係の記事はかなりあるのだが。

 

それだけ水戸天狗党への関心が高いということなのだろう。私もそうなのだが。

水戸弘道館玄関に掲げられる「尊攘」の二文字。

当時水戸藩士の人々はなぜあのように「尊王攘夷」という言葉に純粋にのめり込めたのであろうか、よくわからない。

 

回天神社の天狗党殉難者の無言の墓碑列にたたずむと胸打たれるとともに、いつも思う疑問である。

 

よく整備されている。

 

若き副隊長・藤田小四郎の墓にも。


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北関東の旅で、ここを忘れてはならない。

ところが行ってみるといきなり豪壮な天心記念館が。

知らなかった。

 

それにしてもまたなんと素晴らしい建物、そして景色。

 

 

岡倉天心は、明治時代押し寄せる西洋画の潮流の中、古来よりの日本画の良さを叫び、守った人。

 

 

下村観山、横山大観、木村武山そして我が信州の菱田春草を世に出した。

 

東京を離れ茨城の海岸・五浦(いずら)へ、日本画を貫く天心とともに春草らもまた同行した。

そしてこの地で忍従の日々を送りながら、やがて日本画の真髄を世に知らしめ、大成する。

 

春草の「落葉」とか、大観の「生々流転」とか、さも自分が描いたように偉そうに喋ってたなぁ。

 

なにせ、春草は我が信州・飯田の出身

飯田城跡内に、「菱田春草誕生之地」なる石碑あり。

 

また近くの生家跡は公園になっている。

 

しかし、春草の生まれた飯田は、松本・安曇野から遠い。

かつては方言も違った。

 

「教科書に載っている信州人」ということで身近に感じるくらいか。

同じような存在として江戸時代の学者・太宰春台も必ず教科書に載っている飯田出身の人物。

なれど松本・安曇野ではほとんどなじみがない。

 

岡倉天心の居宅は太平洋の荒波を望む五浦の崖の上に。

 

 

 

その突先に名高い六角堂が。

 

東日本大震災では津波に襲われ全壊、最近再建したという。

天心はここにしばしば籠り、思索し、構想を練ったという。

 

それにしても絵の上手な人、絵に打ち込める人って羨ましい。

集中力がないからなぁ、みどもは。

あの落ち葉一つ一つを丹念に描く…。

うーん、とてもまねできない。

 


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早春の北関東の旅シリーズ脱線多く、長~くなってしまった。

しかも義家さんの「勿来の関」は厳密にいうと、福島県いわき市、奥州の地。

 

とはいえ、いわき市にせっかく来たのだから、やはり国宝・白水阿弥陀堂へ行ってみなければ!

 

 

かつては、「平安末期の代表的な阿弥陀堂建築の一つ、平安末期に地方へ宗教・建築美術の文化が伝播した好例」などと、偉そうに、見てきたように高校生に説明したもんだ。

参拝は今回が初めて。

 

 

うーん、おぉ、ここに極楽浄土を具現したのか、なんとなく宇治平等院や、浄瑠璃寺などの雰囲気に似ているような。

 

三方が池、中央の島に単層宝形造杮葺の阿弥陀堂。

周囲は散歩に最適ないい場所。

こんなところが近くにあるといいなぁ。

 

次は、クルマを東へ、海へとばす。

あの「塩屋の岬」めざして。

すると、あのひばりの歌が聞こえてくる。

 

ひばりの石像も歌っている。

 

 

そして、

作曲:船村徹、作詞:星野哲郎。

歌は、もちろん美空ひばりじゃなきゃ。

 

~髪のみだれに 手をやれば 

        赤い蹴出しが 風に舞う

               憎や 恋しや 塩屋の岬~

 

まさか塩屋の岬って、福島県とは知らなかった。

白い灯台を見上げながら、記念碑の前に立つ。

すると。

おぉ、なんと「みだれ髪」の歌が大きく流れるではないか。

 

 

しかし寒うて寒うてブルブル。

もの凄い荒波、もの凄い風だったけど、この歌を聞いて至極満足でした。

 


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