いやいや~、昨日の飲み会もつまらなかったですわ~(-"-;A
手洗いに行ったついでに、一瞬店の外に出て、なう に「そろそろお開きにしてくんないかな~(´Д`)」なんて書きこんで戻ったら、丁度お開きになりました。
ヾ(@°▽°@)ノ
神様はやま山田を見ていてくれたんだっ
ちなみにお店は以前にもご紹介した 、イワシ料理のお店です。
この店はサイコーなんだがなぁ~。
偶数月は比較的忙しくない部署に在籍しているやま山田、今日もソソクサとトンズラしてきました。
⇒それなりに時間もありますし。
⇒今週末は特に予定がないので、明日烈しい早起きをする必要もありませんし。
ブログ愛読させていただいている、
それに、
\(゜□゜)/
豪快に真似させていただきます。
やま山田の歴史:スキー編
な~んてのを書いてみようかと思います。
余談ですが、
ダイビング編・お馬編・テツ編・相撲編(「取る」のではなく、「観る」)ってのもそのうち書いてみようかなぁ~などと画策しておりますデス。
レッツラゴー(^O^)/
・・・今時誰も使わない表現ですな
【1975年だか76年だかそのあたり】
⇒やま山田、スキー場に第一歩を記す
・やま山田の両親は、学生時代にスキーがそれなりに流行った世代(団塊の世代前後)であります。
・んなわけで、3歳だか4歳だかの時に、親に連れられて初めて行ったのが石打丸山スキー場。
・ただ、この時のやま山田は、当時独身で一緒に行ったものの、スキー未体験だった叔父と二人、ソリで遊んでいたのみです。
・覚えているのは、ゲレンデの端でお●っこをしたところ、雪が黄色くなったこと、それと、上越線の線路を雪を巻き上げながら走っていく、特急「とき」(もちろん181系ボンネット型)の姿くらいです。
明らかに、もう既にテツであったと思われます( ̄▽+ ̄*)
【1986年3月(だったと思われる)】
⇒やま山田、初スキー
・当時競泳選手で、今(=台形)と異なって逆三角形の体形であったやま山田(中1)、ついに初スキーを体験します。
・通っていたスイミングクラブで、スキーキャンプなるものをやっておりまして、それが選手の親睦旅行を兼ねていたため、選手は優先的に参加することができました。
・取り敢えず、オーバーパンツってヤツと、一応のスキージャケットを購入して、ルーデンス昭和(当時の名称)スキー場にてデビュー戦。
・2日間レッスン付で、何とかボーゲン位はできるようになったっていう程度です。この翌年も同じ枠組みでのスキーキャンプに行きました
【1987年~1990年頃】
⇒家族で年に2~3回くらいはスキー場へ
・やま山田が何となく滑れるようになったので、家族3人でスキーに行くようになったのがこの頃です。
・当時よく行ったのが、鶏頂山スキー場(いまはなきメイプルヒルの前身)と、隣接する鶏頂高原見晴スキー場(現在のエーデルワイス)。殆ど掘っ建て小屋のような食堂に、水を飲むためのコップがワンカップの空き瓶だったことを鮮烈に覚えてます。カレー400円みたいな感じね~。
スキー場ってそんなもんだったんだよね~(´0ノ`*)
・大体この頃は、1日券を買うなんて殆ど無くて、回数券でエッチラオッチラだったなぁ~。
・ところがその頃、すぐお隣にハンターマウンテンが新規オープン お隣とは全然違うイメージに、ブッたまげました∑(゚Д゚)
・所謂「食堂」でワンカップの空き瓶で水を飲み、400円くらいのカレーを喰っていたやま山田ファミリーの世帯主であった父は、ハンターマウンテンの「レストラン」で「特製ラーメン」1,000円ってのを見て、思わず一言。
ヽ(`Д´)ノ
「特製じゃない、普通のラーメンは無ぇのか」
【1989年2月】
⇒夜行バスツアーにて志賀高原へ
・やま山田の通っている高校(男子校)は、併設の中学の入学試験のため2月のアタマに数日間休みがありました。で、同じような仕組みの女子校に通う娘と交際中の輩は、この時期に舞浜に行くと。そうでない場合は、夜行バスツアーでスキーに行くってのが定番でした。
・で、当時高1のやま山田は、♂友達と5人で志賀高原へ。「私をスキーに連れてって」の時代ですな・・・。ホイチョイが出したスキー本で、焼額山が最高の★★★だとかで、ってそんな時代です。
・まだ上信越道が無かった時代で、バスは藤岡から一般道をエッチラオッチラ・・・。
でも当時、よくあんなのに乗って行ったね・・・ヽ((◎д◎ ))ゝ
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ウ~ム、思い入れが強すぎて、当初考えていたよりも、はるかに長くなってきました( ̄_ ̄ i)
キリがないので、続きは明日以降にしますかね・・・。
続きは高3⇒大学入学あたりから。
では、また明日~。