沖縄戦について

「国内唯一の地上戦」と称される事があるが、

内地である硫黄島の戦い、

千島列島における占守島の戦い・樺太の戦い、

当時は日本の委任統治下だった南洋諸島におけるサイパンの戦い

なども発生していることから正確な表現ではない

かつ、戦前より東京都(東京府)に属す内地であった硫黄島における硫黄島の戦いがあるため、

「(沖縄戦は)現在の日本の領土内では唯一の地上戦」という認識も誤りであり、

また、樺太の戦いとサイパンの戦いにおいても民間人の死者が多数出ている

これらの事情から2010年、

日本政府は国会質問への答弁書をつくる際、

唯一の地上戦という認識が「必ずしも正確ではない」と閣議決定している 


$何かおかしいよね、今の日本。


昭和20年(1945年)2月19日 ~ 3月26日、硫黄島で日米死闘が繰り広げられ、日本軍は玉砕しました。日本側戦死 17,845~18,375 (軍属82を含む)、米側戦死 6,821 戦傷 21,865。米大統領のルーズベルトは米側の損害を聞いて、戦慄のあまり息をのんだといいます。

硫黄島の過酷な戦いを秋草鶴次さんが「十七歳の硫黄島」で記しています。

 攻撃に際して、貴重な水、それも間違いなくボウフラなどが発生しているような不衛生の水をのむ。そして健闘をたたえあい5,6人の塊となって、一定の間隔をおいて出撃していく。やがて異変に気付いた米軍はおびただしい照明弾をあげて一帯を昼間のように明るくする。通信兵だった秋草氏によると、この段階で栗林中将より返電を受け取っている。
「総攻撃は好ましくない。自重せよ」
 玉名山地区における海軍の総反撃は、約千名からなる攻撃だったとされている。多くは竹槍をもっており、火器類からなる武器はほとんどが手榴弾だけであった。実際、日本側の記録でも下記のように

 3月6日。生垣に使えそうな細身の真竹が一本渡された。煙草のように両端を平らに切ってあり、尖ったところはない。これが竹槍だと知らされた。

【動画】実録 硫黄島玉砕
http://www.youtube.com/watch?v=wc9Cq5CkUZY