奈良国立博物館 HP
特別展
「頼朝と重源」
~東大寺再興を支えた鎌倉と奈良の絆~
いよいよ本日より特別展開催ですね!
会場内では第一章~第六章にブースが分かれてあります。
第一章「大仏再興 ー仏法・王法の再生ー」
第二章「大勧進重源」
・国宝・重源上人坐像(東大寺俊乗堂所在・康慶一派作・鎌倉時代)
・重文・阿弥陀如来立像(同寺俊乗堂所在・快慶作・鎌倉時代)
・重文・地蔵菩薩立像(同寺公慶堂所在・快慶作・鎌倉時代)
↑など有名仏像が勢ぞろいです。
各像、東大寺では年二回の特別開扉の日にお会いできるくらいの秘仏です。
重源上人坐像は写実美として名高い彫刻の肖像ですね。
俊乗堂の阿弥陀如来さんは別名「釘打の弥陀(くぎうちのみだ)」と言われています。
両足の甲になぜか穴があいているのです。
これは伝説によると、
南都留学中の親鸞さんが
この阿弥陀さんにほれ込んでしまいー、
阿弥陀さんがその親鸞さんを慕ってついていこうとするのを
防ぐために寺僧が釘を打ちつけたのだとか!?
(東大寺のSさん談)
確かに見とれてしまうほど美しい。。。
秘仏扱いだからなのか保存状態も悪くありません。
重源さんは浄土宗開祖の法然聖人のお弟子さん。
さらにいうと浄土真宗開祖の親鸞聖人も法然聖人に念仏を学んだという関係です。
そういったご縁から東大寺に親鸞さんが訪れてもおかしくはありませんが、
伝説は本当なのでしょうか。
地蔵菩薩立像も好きな人が多いと思います。
以前拙ブログにて
「いつ、どこに行けばお会いできますか」と、
質問された方がおられましたが、
ここでお会いできますよ~♪
第三章「大仏再建ー大檀越 源頼朝の登場ー」
第四章「栄西(ようさい)そして行勇へー大勧進の継承ー」
第五章「頼朝の信仰世界ー鎌倉三大神社の創建と二所詣ー」
第六章「八幡神への崇敬」
東大寺は平安末期に、
平氏による南都の焼き討ち(治承の乱/治承4年・1180)によって、
伽藍の大半を焼失してしまいます。
このとき、日本仏法の象徴である廬舎那仏にも
甚大な被害が及びました。
東大寺は、
ときの為政者であった後白河法皇の支援を受けることになります。
中国の宋への3度の渡航経験により
伽藍復興の技術力を身に付けた俊乗房重源が
復興勧進に任命され、東大寺再興のために指揮を執りました。
建久3年(1192)に後白河法皇が崩御され、
その後は源頼朝が復興途中の東大寺にとって、
最大の外護者となります。
頼朝は、
資金や物資の調達に限らず、
大仏殿安置の巨像群造立を御家人に分担させるなど、
多くの支援をされ、この大事業を支えられました―――。
現在でも
東大寺鎌倉時代復興の大檀越(だいだんおつ)であった
源頼朝以来のご縁で、
東大寺は鎌倉の鶴岡八幡宮と親しい関係を築いておられます。
昨日はテープカットの後、
第六章の会場にて、
手向山八幡宮狛犬を両脇に従えた、
国宝・僧形八幡神坐像(そうぎょうはちまんしんざぞう)を中心に、
鶴岡八幡宮より宮司をはじめとする神職の方々、
東大寺より管長をはじめとする僧侶の方々による
法要が執り行われました。
また、
本日7月21日(土)は、18:30より大仏殿にて
第3回目となる
「東日本大震災物故者慰霊と被災地復興への祈り」
法要が執り行われます。
通常の入殿料なく、参加が可能です。
それでは今日も一日、
皆様が幸せでありますように。