民俗学者 柳田国男の「涕泣史談」(ていきゅうしだん)① | ドット模様のくつ底

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明治~昭和に活躍された
日本民俗学の先駆者
柳田国男氏の語る短編集です。


この中の『涕泣史談』(ていきゅうしだん)に
ついて今日は取り上げたいと思います。

これは、昭和15年(1940)の8月7日の
国民学術協会公開講座の講演
「現代文化の問題」を
まとめたものを改題し収録したものだそうです。

今から72年前のことですね。

本編 長谷川政春氏の解説では、

人間が泣くことの歴史を
民俗学的手法で解読しているもので、

泣くことは、「簡明かつ適切」な一種の表現手段であるから、

泣くよりほかに表現手段を持たないときに泣くし、

声をあげる泣くと、
涙をこぼす泣くと

二つがあるが、別種のもので、
元来ナクは声を出すことであった。

中世以後、泣くことを忌み嫌うようになったのは、
効果ある表現手段として濫用し過ぎたためである。

それゆえ、泣くことを不当に忌き嫌っていると、
我慢をしてしまって、
せっかくのその表現手段を失うおそれがあることが注意される。

表現手段としての
「泣くこと」の種々相を例をあげて論じているのである。


と書かれていました。

ほぼ本文の引用であるので、
この通りだと思います。

涕=涙
泣=泣く

史談=歴史談話

という字の通り、
涙を流して泣く日本の文化についてを
柳田氏独自の人情味あふれる目線で書かれているんですよね。

何故私が取り上げたいと思ったかというと、
二月の末ごろに、
盲老人福祉連絡協議会設立記念として
五木寛之氏の講演を聴講させて頂いたときに、
「泣き」の文化について
『涕泣史談』を取り上げておられたからです。

(ご参考)

http://ameblo.jp/yamato-mana/entry-11178094586.html

私はこちらに書かれている内容の中で、
気になったことだけを取り上げたいと思います。

今回は泣きに関する部分ではないので、
以下はご興味がある方だけ読んで頂ければと思います。


まず、私が気になったのは
かつての日本にいた故老の存在です。
私も今、
知恵袋さんとして
奈良のお勉強をさせて頂いている人がいます。
神社やお寺の宮司さんや住職さんもその中に含まれます。
私のブログ仲間さんにもおられますけれども、
講演などされる方というのは、
そのような役割をもっておられると思います。

柳田氏によると、
江戸の大衆作家の書く物は二百数十年を一固まりのように見て、
少しも書き分けていないものがあるといいます。

古人は「時の長さ」の単位を普通には百年として
「モモトセ」の後と語っていたそうです。

しかし、事実いかに保守的気風の強い社会でも、
百年の前と後では相当の変遷があり、

第一に百年間の出来事を覚えている人は絶対に生きていない。
聴いて記憶しているにせよ、
二段三段の又聴きであるから比べるには差異がありすぎるといいます。

この語りの時代背景は昭和初期です。

その時代というのは、
幕末から明治維新と日本が大変革した時代であり、
その変わりようは激しすぎるというわけで、
50年を単位としてその前後を比べると
話がよりしやすくなると書かれてありました。

これを72年経った今読むと、
現代がいかに早い勢いで時代の
変化を遂げているかがわかります。

20年前にはPCがこれほど普及し
世界と通信できる時代になるとは思わなかったでしょう。

これほど便利な世の中になっているとは、
思わなかったことでしょうね。

故老については、
一定の条件があるといいます。

出会いがしらに何処にでもというほど沢山はいなくて、
ですが、いい加減な自説など言おうものならば、
周囲にそんなことはないと批判をするものもたくさんいる。

つまりその話に怪しい節があれば
第三者に問い直すことができるので、
そういった故老の知識というのは
利用することができたそうなんですよね。

ただ、この時代でいうと、
明治初期の欧化時代の人となり、
若い頃からひたすら時代の先端を狙い、
真似も受売りの無精確をも顧みず、
ただ、舶来の文化というものに感心して、
何かというとその知識をふりまわして年寄りたちを煙に捲き、

彼らの昔風な考え方、いわゆる「ちょんまげ式」の
あらばかり見つけて嘲(あざわ)ろうとしていた人たちは、

たとえいかほどシワがより歯が抜けようとも、
決して我々のいう「故老」ではないのだということでした。

長くなりました。
ここまで読んで頂きましてありがとうございました。

②につづきます。


今日も一日、
皆さまが幸せでありますように。