真理の言葉はありのままに受け取り、ありのままに味わうこと | 真理は心の中にある

真理は心の中にある

真理は心の中にある。これが私の基本的修行スタイルです。日々、思っていること、考えていることのなかで、読者が参考になると思われることを書いていきたいと思っています。

真理の言葉はありのままに受け取り、ありのままに味わうこと、それで充分だ。
解釈することは、必ずしも必要ではない。

心素直な人はありのままに真理の言葉を受けとることができるが、心が捻れてしまった人は、真理の言葉をありのままに受け取ることができない。

心が捻じれてしまっているので、真理の言葉をありのままに受け取るための霊感が働かなくなってしまっているのだ。
そんな彼らは理性というフィルターを通さなければ、真理の言葉を理解することができない。

しかし、それでは本当の意味で理解しているとは言えない。
言霊なき真理の言葉はありえないからだ。

心が傲慢となった人は、真理の言葉を受け取るための霊感が退化してしまっている。

釈尊の言葉は魂で受け取り、考えて、初めて深く納得できる。

釈尊の教えを表面意識で理解しようとした場合、矛盾したことを言っていたり、たいして意味のないことを言っているようにも聞こえる。
表面意識で理解しようとした場合、その教えに様々な知識を付け加えていかなければいけないだいろう。

だが、その教えを魂の次元で聞き、理解することができれば、その教えは見事に一貫性があり、何ら余計なところもなければ、付け足す必要もない。

確かに仏法真理を解釈すれば、様々に解釈すれことはできるが、そんなことをする必要はない。
そんなことは重要なことではない。

体系化したければしてもいいが、それはあくまで、自分が理解しやすいように、解釈しているだけのことだ。

心が素直な人は、魂の次元で仏法真理をありのままに理解することができるが、心が捻れた人は、ありのままに理解できないので、自分が理解しやすいように、様々な知識を付け加えている。
それだけのことだ。

まずは、その捻れた心を真っすぐにするのが、第一優先課題なのだが、本人に、その自覚がなければどうしようもない。