多様さが調和していく中に発展繁栄がある | 真理は心の中にある

真理は心の中にある

真理は心の中にある。これが私の基本的修行スタイルです。日々、思っていること、考えていることのなかで、読者が参考になると思われることを書いていきたいと思っています。

この世は所詮、相対的な世界だ。
この世の物差しには、絶対的な基準は存在しない。

この世の物差しは、相対的な基準でしかないのに、それを絶対的な基準であると思い込んでしまうところに人生の悲劇がある。

人それぞれ、いろんな物差しがあった方がいい。
何も一つに限る必要はない。

朝鮮は長く朱子学の影響下にあった。
朱子学には、いろいろ問題があるが、客観的な正しい物差しが一つあればいい、とした考え方に、大きな大きな問題があったのだと思う。

朱子学を国是とした朝鮮は、発展していくことはなかった。
いや、むしろ衰退していった。

物差しにも、個性があっていいではないか。
多様さがあって、その多様さが調和していく中に、発展繁栄がある。

「絶対に正しい画一的な基準があって、その画一的な基準に、みんなが合わせれば平和な世の中が出来上がる」と知識人は考える。

それは間違っている。
その先にあるのは地獄だ。
統制のみあって、調和など微塵も存在しない世界だ。

共産主義国家を見ればわかるだろう。
北朝鮮を見ればわかるだろう。
中国を見ればわかるだろう。

信者の中にも、職員さんの中にも、「仏法真理は絶対に正しい世界統一基準である」というような原理主義的な考え方をする人もいる。

しかし仏陀の説法は、聴衆の心境に応じて自由自在に変わっていく。
その一人一人の個性に応じて話をすることができるというのが仏陀の説法の最大の特徴だ。

そもそも原理主義と最も縁遠いのが仏陀だ。

様々な個性を否定することなく、その個性との対話の中に仏法真理を現していく。
仏陀は私たち一人一人との対話を望んでいるに違いない。
それが仏教だ。

永遠の真理は仏陀と私たち一人一人との対話の中にある。

私は、そう信じる。