金融緩和してもマネタリーベースは確実に増えるが、マネーサプライは増えるとは限らない。
資金需要がなければ、銀行からお金を借りる人はおらず、銀行にお金が滞留してしまうだけだ。
市場にお金を供給するのは銀行の役割であるが、バブルが弾けて以降、信用は失われ、銀行は機能不全に陥ってしまった。
銀行が市場にお金を供給するという役割を果たせなくなった以上、誰かが、その役割を担わなくてはいけない。
日本政府は巨額の公共投資を行って、機能不全に陥った銀行の肩代わりをした。
確かに公共事業には、無駄と思えるものは多々あることは確かだが、市場にお金を供給して恐慌に陥るのを防いだ功績は認めなければいけない。
アメリカには軍事産業がある。
これは巨大な公共事業であり、そして非常に付加価値が高い。
軍事産業の中から生まれた、数多くのテクノロジーは、やがて民間に委託され、アメリカの繁栄の元になっている。
それに対して、日本の軍事産業は、まだまだ貧弱だ。
日本は道路や土木事業に巨額の公共投資を行っているが、それだけでは付加価値が低い。
世論の抵抗や、外国の干渉はいろいろあるが、ここは軍事産業関連の予算を大幅に増額していくべきだろう。
確かに戦争がなければ、軍事は無用の長物だと思えるかもしれない。
しかし多くの発明発見は、その一見無駄としか思えないところから生まれてきたものだ。
共産党などは多額の軍事予算を削って、それを食料に変えれば、多くの命を助けることができると主張している。
確かにもっともらしい意見で、説得力がある。
しかし、私は、それに対して否と答える。
一時の救済は何もやらないことと同じだからだ。
「天は自ら助けるものを助ける」というのが基本原則だ。
世界には多くの飢えている人がいる。
その人たちに一時的に食料を与えることはできるが、それを何年も何十年も継続してやり続けることはできない。
大事なことは、何がボトルネックになっているのかを洞察して、それを解決することだ。
紛争が絶えなければ、それを仲裁して解決の糸口を見い出だすことだ。
日本に強力な軍事力がなければ、とても、その役目を果たすことはできない。
教育が足らないのかもしれない。
医療が足らないのかもしれない。
技術が足らないのかもしれない。
その足らざるものを補うために邦人が現地に赴いて、足らざるものを補わなければいけない時もあるが、日本に強力な軍事力がなければ、その邦人は危機に晒される可能性がある。
世界の警察官を自認していたアメリカは、その誇りを捨て、その役割を放棄しようとしている。
世界には助けを求める人もたくさんいるが、無慈悲な人もたくさんいる。
世界が暗闇に沈んでいく中で、利己的な平和主義を掲げるばかりでは、日本の繁栄は露と消えてもおかしくない。
世界が暗闇に沈んでいく中で、日本は希望の光とならなければいけない。
他国の富を掠め取るために巨額の軍事予算を費やしている国が、お隣りに存在しているが、日本は、その野心を挫かなければいけない使命がある。
自由を否定する社会主義よ。滅び去れ。
他国の民から自由を奪い取って、自国のみ繁栄すればいいという植民地主義よ。滅び去れ。
我ら日本人は自由を愛する。
そして自由を守るために命を捧げる。
にほんブログ村