読書感想文に想う | 思いのままに 

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ヤマセミです。
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子供達の夏休みが到来した

私は小学生の頃、夏休みと同時に遊びに興じてしまい、宿題を最終日に一気に終わらせた苦い思い出を持っている

その時の母は鬼のように怖かった

ただ、父は、私を助けるつもりで絵を書き始めたら興じてしまい、小学低学年では絶対に書けないような作品を作ってしまい、ご満悦の顔だったなぁ(苦笑)

そんなドタバタを経験した私は、それ以降、夏休みに入って最初の1週間で全ての宿題を終わらせてしまう事が習慣になってしまった

こうすれば、残りの日は遊び呆ける事ができる!

この快感は忘れられない

但し、夏休み後半に入ると一緒に遊ぶ子が激減してしまい、1人遊びを良くしていたっけ

夏休みの宿題で最も苦手だったのが読書感想文であった

以前に、ブログで紹介したように、私の姉2人は大変な読書家だった

それに比べて外遊びの好きな私は決して部屋の中での読書が好きではなかった

それを案じた母が考え出した『読書を習慣化させる作戦』

それは本に関しては、いくらでもタダで買ってあげる!

というものだった

この本の中にはマンガも含まれているから嬉しいなんてもんじゃなかった

当時は少年チャンピョンを愛読していたっけ

その内に普通の本にも手をだすようになって行った

母の思うツボである(苦笑)

小学5年生以降は、かなりな読書家になっていたように思う

お蔭で、国語の漢字テストは、いつも勉強する必要はなかった

大抵の漢字は、普段の読書の中で自然に覚えていたのであった

そんな私だが、夏休みの宿題に必ず出されていた読書感想文が大の苦手だった

この歳になって考えると、読書した本の内容を自身の頭で整理する作業は非常に大切な事だとは理解できる

しかし、当時の私は『何故、読んだ本の感想を文章にしなければならないのだ!』

子供とは思えない不遜な考えの持ち主であったのだ

『主人公が、あの場面でこのように言った事は、とても悲しい事でした』

とか・・・

私の本の楽しみ方は、少し変わっていたかも知れない

まず・・・

読んだ直後には、その本が面白かったかどうかだけを、自分の頭の中で考えた

そして、面白くないと判断した本は、それまで!

面白いって思った本は、具体的に何が面白かったのかを後になって考えるようにしていた

その漠然とした感想

それが、最も大切な事なんじゃないかな?

って思っていたものだ

ところが、読書感想文は、そんな曖昧な感想は許されない

すると、よく引用文だらけの感想文になってしまう

後になって、自分が感想文を読んでも、実に稚拙な言い回しなのだ

ひょっとして、読書感想文って、子供達を読書嫌いにさせるのでは?

と、当時真剣に憤慨していたっけ

今はそんな要請を受ける身ではないが、もし、今、読書感想文を書く機会があれば・・・

読んだ本が面白かった事が前提の話だが、とても、まともな感想文を書けるような気がする

基本的に勉強と名前が付くものはすべからくそうなのだが、上から強制されるのではなく、自ら自発的に行う勉強ほどに楽しいものはない

しかも、その方が記憶細胞の深い所に記憶され、なかなか忘れないものなのである

やはり、夏休みの読書感想文を小学生に書かせるのは反対だなぁ