横浜刑務所物語 第四話 死人に手錠 | やまのブログ

横浜刑務所物語 第四話 死人に手錠

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 2011年9月20日のこと 職員より長尾さんに明日から工場出役となる旨の告知があった 受刑者は居室作業の考査期間を終了すると工場へ出役することになる 長尾さんは8月の初め頃からいると聞いている そろそろ出役だろうと予想されていた そのためか長尾さんはこの数日間沈みがちだった どんな作業をやることになるのか そこにどんな人たちがいるんだろうか 環境が変わるときは誰しも大なり小なり緊張と不安があるもの ヤクザも例外ではない その出役の告知が9月20日にあった 長尾さんにしてみればいよいよというところか

 同日の夕刻 新入がやってきた いつものように作業終了後に自己紹介が行われた 一番席の長尾さんから自己紹介が始まり最後に新入の自己紹介となった 名前は三村(仮名 私以外の受刑者はすべて仮名です)69歳 千葉から来ていた
「何をやったの?」と北正文が聞いた
「恥ずかしいから聞かないでよ」と三村さん
「いいじゃない このなかにいるんだしさ これだろ?」と指を鍵形に曲げた
「まあね」
「長いの?」
「いや 皆さんには申しわけないけど今回は短くてね 来年の夏には出るんだ」
「何度目?」
「11回目なんだ 恥ずかしながらさ」
「11回 それじゃ人生の半分は中にいるんじゃないの」
「そんなことないよ 全部で23,4年かな 検事に言われたんだ<これまでの刑期を足すと23,4年になりますよ 三村さんもいい年になってるんですからこの辺で何とかしましょうよ>って そうなんだよなあ 俺も何とかしないとって思ってんだよ」

 9月20日のこの日 長尾さんと北正文は1舎1階12室で最後の碁を打った(彼らは夕点検終了後から仮終身までの間に毎日碁を打っていた) 雑居には囲碁のほかに将棋もある 三村さんは将棋をやるというので私と将棋を指すことになった この日より私が出役となるまで三村さんと私はほぼ毎日将棋盤を挟んで相対することとなる

 翌日の朝 作業が始まってしばらく後 出役する長尾さんを職員が呼びにきた 
「がんばって」
「がんばってください」12室の面々から長尾さんに声がかけられる
「ありがとう みんなもね」と答えて長尾さんは12室を出て行った

 同日に三村さんの私物が部屋に入った が彼の私物棚に並んだのはノート1冊と1本のボールペンと「マクール」という競艇雑誌が1冊だけだった 所持金もほとんど持っていないようだった ちなみに刑務所で十分なお金を持っているのは長尾さん北正文に瀬川さんそれに町坂さんというところ ほとんど文無しなのは私と三村さんそれに10月に入ってくる片野君(片野君のことは第5話で話します)だった
 新入の常として三村さんがトイレ掃除を担当した 真面目だった それは私たちの目を気にしてのことだったかもしれないけれど、、、、備えてある雑巾では窓枠がきれいにふけないと自分のタオル(官物です)でふき始めた
「そこまでしなくていいですよ タオルが使えなくなるでしょう」と止めたが
「いいんだ 洗うから」と止めなかった
 
 三村さんは運動時間になると戸外でも室内でも積極的に体を動かしていた 69歳という年齢には見えない 体力もありそうだった
「三村さんはげんきですねえ」私が言った
「俺 何にもないからさ せめて健康だけはと思ってんだ」と三村さんは柔軟体操をしながら答えた
「金はあっても体がろくに動かない人から見れば三村さんは羨望の的ですよ」と座ったままの私
「俺さ 娘がいるんだけどさ 生きてるか死んでるかも分かんないんだよね 会わせてもらったこともないしさ 娘には俺は死んだことになってんだ」
「、、、、、、、、、」
ここではリアクションに困る言動に出会うのはよくあることだ

 将棋をしていて三村さんが負けず嫌いで熱くなりやすいタイプなのがすぐに分かった 作業でもそう言うところが見え隠れしていて皆に遅れまいと気負っているのが感じられた しかし体力はあっても69歳 しかも初めての作業では手順を憶えるまではどうしたってもたつく 
「とっつぁん そこはこうこうでこうだから ここがこうならないように気をつけて」という感じで教える北正文
「三村さんは自分の立場をわきまえて分からないところはよく聞くようにしてください」といった感じは瀬川さん どうも彼は席次などの上下関係にこだわる傾向があり番席の下の三村さんに上から目線で話すきらいがあった
 そして作業中に三村さんが怒気を発した
「なんだよ とっつぁんってのは! 俺には三村って名前があんだからよ ちゃんと名前で呼んでくれよ!」
「嫌だったの?」ああ 分かった といった感じの北正文 彼は愛称のつもりでとっつぁんと呼んでいたはずだが三村さんは気に食わなかったらしい(作業が上手く出来なくていらだっていたためだと私は思うが) 反論する人もおらず事はすぐに収まった

 三村さんは職員を相手に怒気を発したこともあった きっかけがなんだったかは憶えていないのだが(多分きっかけはつまらないことでだから憶えていないのかと思う)
「いいよ! 俺はもう(懲罰房に)あがるよ! それでいいんだろ!」
「どこへあがるって言うんだ! お前の居場所はここなんだよ!」とこれは1舎1階の正担当職員
「俺は懲罰でもいいって言ってんだよ! 連れていかねえのかよ!」
「静かにしろ!お前はこっちの言う通りにしてればいいんだよ」
三村さんと正担当職員の口論はなかなか収まらなかった その日は入浴日だった 考査の入浴は2班に別れ30人ぐらいづつが行進して共同浴場まで行くのだがその時間が近づいていた
「入浴はどうするんだ!?」と正担
「いかねえよ!」と三村さん
「勝手にしろ!」と正担 どちらの声も怒気を含んでいる それが10分ぐらいは続いていたがそれでも連行されそうな感じはない 9月14日に斉藤さんが職員の言葉に答えないことであっさり連行され懲罰を食らったことを考えると面白いところ 北正文によると連行され懲罰となると受け持ちの職員も減点の対象になるから正担としては収めたいんだろうと言う(斉藤さんを連行したのは交代職員 斉藤さん連行のいきさつは第一話を参照してください)
 私たちが入浴から戻ると三村さんは一人で作業していた
「ついカッとなって いかねえ って言ったけど風呂は入りたかったなあ 1週間あいちゃうもんなあ」
「拭身すればいいよ バケツに水汲んでトイレに持ってくんだよ しゃがんでやればオヤジ(職員)たちからは見えねえ」と北正文 
それはいいことを聞いたと言う感じで三村さんは余暇時間にバケツを持ってトイレへ まだ暑さの残る9月の終わりごろのことでした
注 入浴は週2回で入浴時間は15分 夏季は週3回あるのだけれどこのときは夏季処遇は終わっていた また「拭身(シキシン)」と言うのはぬらしたタオルで体を拭くことで刑務所ではよく使う言葉です

 やはり9月の終わりごろだったと思うが町坂さんが刑務所側の都合で転房となった 考査中の受刑者が増えたため空き室を使うのにそれぞれの部屋から間引いたと思われる 
 10月6日には片野君がそして同月の18日には矢田さんが新入でやってきた(彼らのことは第五話で話します) これで12室のメンバーは一番席に北正文 二番席に私 三番席に瀬川さん 四番席が三村さん 五番席に片野君 六番席に矢田さんということになった

 日がたつに連れ三村さんは落ち着いていった 私たちが彼を理解するように彼も私たちを理解し人間関係が潤滑に回りだしていった 10月になって北正文の購入したスポーツ新聞が部屋に入るようになりそれを皆で回し読みするようになったが最も熱心に読んでいるのは三村さんだった
「三村さんのために新聞買ったようなもんだな」と笑いながら北正文が言った
「北さん 頼みがあんだけどよう 明日から日本ダービーってでっかいレースが5日間続くんだ 俺毎日予想するんで北さんに受けてもらいたいんだ だめかな?」
「俺にのみ屋をやれってこと?」
「いやいや 遊びだよ 俺金持ってないし でも一人で予想してるだけじゃつまらないんで相手してくれる人がいたらさ」(注 私も瀬川さんも競艇はまるで分からない)
「いいよ じゃ三村さんは10万持ってることにしようか それが最後にいくらになってるかでいこう」
 それからは連日今日いくら負けたいくら勝ったという仮想のギャンブルが始まった 三村さんはボートレースについては非常に詳しいようだった
「俺さ すぐ熱くなっちゃうんだよな 競艇場にいると程ほどで止められないんだよね で すっからかんになると やっちゃうんだよなあ」
三村さんの窃盗はいわゆる置き引きというやつだった 競艇場にいる人はみんなレースを見ていて足元など見ていないと言う
「初めてやったときにさ 見たら何十万も入ってたんだよ それで味占めちゃってさ」
「その気持ちは分かるなあ」と誰かが答えた
「俺さ 江戸川競艇と○×競艇と△□競艇で出入り禁止になってんだ 驚くよ 後ろからポンと肩たたかれてさ <三村さん ここへ来ちゃだめじゃない> どっかで見てんだねえ」(注 競艇に無知な私は江戸川競艇以外の名前を憶えていない)
「今は監視カメラがあるもんな」と北正文

 三村さんは右足に古傷を持っていた 昔 車の事故でやったものだと言う
「若いときは新聞の配送をやってたんだ 刷り上った新聞を販売店まで運ぶんだけどね 居眠りして追突しちゃってさ そのときはたいしたことなかったんで持ってた金渡して勘弁してもらったんだ そこでちょっとでも寝ればよかったんだよね そのまま運転していったらまた居眠りで事故やっちゃってね 1日に2度だもんなあ それで仕事もパーだしさ それからなんだよね それまでは真面目だったんだよ あの時なあ」
「、、、、、、」後悔 先にたたず、、、、、、

 三村さんと私は毎日将棋を指していることもあってかずいぶんと気安くなっていった 彼は私にいろんなことを話してくれた 最初に捕まったのは28歳のときだったと言う 彼の奥さんには寝耳に水だったようで<あなたには裏切られました> と離婚届けを渡されたと言う
「判を押して返したよ しかたないよなあ」
「、、、、、、、、、」私は黙って聞いているだけ
「俺はずっと仕事してなかったんだよ だけど嫁さんには会社に行ってるように見せかけてたんだ 朝決まった時間に家を出てさ 競艇場へ行ってさ そして同じ時間に家に帰ってたんだ 困ったのは給料日なんだけどね 文具屋で明細書買って自分で書いて給料袋に入れて渡してたんだ だから警察から連絡があった時は驚いたろうな 離婚されるのも当然だよね」
「、、、、、、、、、、」私は聞いているだけ 何も言わない
「親類筋からも村八分同然でさ 盆正月にはみんな集まってるだろうけど 俺なんか顔出せないしさ 俺が死んだら無煙仏になっちゃうかな」
「、、、、、、、、、、」私は何も言わない 何も言えない

 あるとき 三村さんがボソっと言った
「手錠かけられるときって嫌だねえ 何回捕まっても慣れないよ また刑務所かあって思うよね」
「、、、、、、、、、、」誰も何も答えなかったけれどみんな心の中で同意していたと思う
「俺 府中刑務所ではソウフの仕事してたんだ 府中って人がいっぱいいるからさ 死人も毎年10人以上いるんだ その死体の世話も俺たちの仕事でさ 体を拭いて棺桶に入れるんだけど そういうのオヤジたちはやらないからさ 全部俺たちなんだよ その後 坊さん呼んでお経上げてもらって 棺桶運んでいくのはオヤジたちなんだけど棺桶の上に手錠を置くんだよね」
「死んでからも手錠ですか 死人にそんなものいらないだろうに」と片野君が言った

 三村さんが12室の面々に自分の決意を述べたことがあった
「いつまでもこんな生活してられないよな 検事にも言われたことだしさ だから 俺 もう止める もう 二度と窃盗はやらねえ」
「そりゃ無理だろう」 と北正文
「無理」 と瀬川さん
「窃盗は止められませんよ」 と片野君
「そんなことねえ! 俺はもうやらねえんだ!」 と皆の声に反発する三村さん 
三村さんの決意は堅そうに見えた でもそれを実行するには二つの問題をクリアしなければならないように思える 生活費をどのように得るかという問題と競艇狂いを抑えられるかという問題だ

 「俺 生活保護を受けようかと思ってんだ 俺 体は丈夫だからよ まだまだ働けんだけど69だと雇ってくれるところがないだろうしさ」
「保護貰いながらバイトでもあったらすればいいよ 内緒でやってるとバレたら打ち切られるかも知れないけど申請しておけば大丈夫 金額は半分になるけどプラスになるからさ」 と北正文
「いいんじゃないの」 と私
いいんじゃないか とは思うものの生活保護って申請すれば簡単に出るものだろうか? 
「俺 生活保護受ける人を集めてる施設を知ってるんだ そこに任せれば手続きとかやってくれるんだよ 寝泊りも出来るしさ」と三村さん
巷で貧困ビジネスと呼ばれているやつだなと思った で私はこう言った
「とりあえず最初は自分で申請したほうがいいんじゃない 人(業者)を通すと手数料とられるしさ それで役所が相手をしてくれないなら誰かに頼めばいい」と私
 三村さんから競馬や競輪の話はほとんど出なかった やりだせばハマるのかも知れないけれど彼はやっていない パチンコや麻雀の話はまるでなかった 彼がギャンブルで狂っているのは競艇だけらしい 昔 生活保護で暮らしながら競輪のある日には500円だけでそれを楽しんでいるおじいさんに会ったことがある 三村さんもそれで抑えられるなら問題はないのだろうけれど 

 三話で述べた瀬川さんが三村さんに怒気鋭く突っかかったのは10月もかなりすぎてからだった 三村さんが謝ることで事なきを得たのだけれどその後に今度は逆に三村さんから瀬川さんに突っかかる場面があった 
 それは起床時 皆が各々の布団をたたんでいるときだった 瀬川さんが自分のシーツを押し投げてそれが向かいの三村さんのところにとんできたことから起こった
「なんだよ これは! 瀬川さん こんなもの投げてくるなよ」
「なんですか それぐらい たいしたことないだろう」
「気分が悪いだろうがよ! 謝るのが当然だろうが!」
「そっちの態度のが問題じゃないか! なんだ これぐらいで!」
一触即発という感じになりました まもなく怒鳴り声を聞きつけた職員がやってきて二人は静まるのですがまったくもう、、、、、
 瀬川さんも三村さんも切れやすいところは同じですが 瀬川さんは北正文には気を使っているようで逆らうような言動はしません 職員に対しても執拗な要求を繰り返してはいても職員を罵倒するような喧嘩はしない 瀬川さんは瀬川さんなりに相手を選んでいるようです しかし三村さんは相手を選ばないカっとなると相手がヤクザでも役人でも突っかかっていく 二人の分かりやすい違いです

 私見ですが瀬川さんは想定外の事件や問題に出会ったときに自分で判断して対応していく能力に乏しい 彼はマニュアルがないとどうしていいか分からないタイプだろうと思います だから彼には直接的な指導者が必要かなと考えるのですが
 でも三村さんは違う 彼は基本的にマニュアルなしでもやっていける 彼は時代劇が好きでね 「江」を毎週楽しみにしてました(私はあんまし好きではなかった)彼は物語を見てその登場人物の人となりをその言動から察することが出来るし それゆえその物語の全体像を彼なりに把握することができる (何を当たり前のことを言ってるんだと思う人がいるかも知れないけど「物語が分からない」というのはそれが出来ないということだよ)
 物語が分かる人は現実の物語に対しても同様に相手の人となりを察し全体像を理解しようとする 作者が分かりやすく作ってくれるフィクションとは違って現実の物語りは見えない部分が多いから理解は難しいけれど それでも自分のわかるところで自己判断していける 三村さんはそれができる(彼の話を聞いていると自分のことをけっこう的確に捉えているしね) だからマニュアルがなくても一人でも歩いていける カっとなりやすいところを気をつけなきゃいけないようだけどね
 69歳という年齢を考えると彼の人生はマイナスで終わるかも知れないけれど 来世があるならそれはきっと取り返せる 今生の経験が来世を変えるだろう そう思うよ 
 
 「物語」というのは本当に大事なものだよ 物語を理解することが出来るからこそ 人間は人間らしくなっていくんじゃないかな



 
 話は外れるけど六法全書は法律家にとってのマニュアルなんだよね 法律家ならもちろん法律というマニュアルは知っていなければいけないけれど でも それだけではダメだ ってのはこのブログの読者はもう知っていることと思う その法律自体を疑問視する問題が出来したときにはマニュアルには頼れない 日本の裁判官たちにはもっと物語を読ませなければいけないかもね と言うか 物語が分からない人を裁判官にしてはいけないってことだな