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コンシャスネス トーク その2

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2016-05-03 05:47:10

民主主義のために その2 憲法の本質

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 90年代の半ば頃です バシストで白人の友人2人とチラムを回している時にラジカセ(懐かしいね)からビートルズのレボルーションが流れてきました 




 英語は得意じゃないのですが それでもこの歌が暴力的な革命を主張する人達を揶揄してるらしいってのは分かってましたがそのうちにこんな歌詞が出てきたんだ
You say you'll change the constitution 
で 私はなにげなく尋ねたんですよ constitutionって何? そばにいたのはイギリス人とイタリア人だったのですが私の英語が拙いということもあり2人とも説明に困っていたようでした イタリア人のミケルは両手を組み合わせながら何かと何かが組み合わさってなんたらと言ってたようですが私にはさっぱり分からなかった イギリス人のショーンはconstitutionって言葉は俺たちのところから現れたもので日本にはこれを意味する言葉はないかもしれないって言ってたのを憶えてます 

 さてところで 2001年に争うためにわざと大麻所持で捕まった時にカンナビストの麻生結氏が憲法の本を差し入れてくれたんですよ 法学部の教材用に作られてる本でした まともに日本国憲法を読んだのはその時が初めてです そこで憲法を英語ではconstitutionと言うのだと知ったのですが でも ちょっと待って! 

 constitutionは憲法とも訳されることがありますがconstitution即ち憲法と単純に捉えると私たちは勘違いします 

 constitutionの本来の意味は構成や構造あるいは気質などを指しているんですよね 辞書を見ても憲法という訳が出てくるのはずっと後の方です みなさんの辞書でもそうなってると思います ミケルの言うのが正しかったんです

 そしてもう一つ この記事を描いてる今になってショーンがconstitutionに相当する言葉は日本にはないかもしれない と言った意味が分かった気がしています だってショーンの母国であるイギリスには成文憲法はないのですから 日本人の私達とは捉え方が違うのかもしれません ここ大事なところですよ



 麻生結氏にもらった憲法の本からはもう一つの大事なサジェスチョンがありました 憲法と憲法条規は違うということです 憲法を英語では「constitution」となりますが憲法条規については「constitution law」となり厳密に分けられているようです lawは法や法律の意味で分かりやすいものです つまりね 憲法は憲法条規や法律とは性質の違うものだってことです 
 
 憲法は法律とは違っていくつかの基本要件で構成されているということです 
 私達の日本国憲法で言えば国民主権と基本的人権の尊重そして平和主義の三つがこれにあたります 日本では前文と呼ばれているものが本来の憲法なんですね

 憲法条規はその憲法の下に国体の基本となるところを定めているんですね 
 日本国憲法の条規で言えば天皇の地位や三権分立や議員内閣制である等々がそれです

 大事なことなので繰り返します 憲法は憲法条規や法律とはその性質が違います 憲法は複数の基本要件で構成されているんです だから

 だから 憲法に合致しているかどうか 違憲ではないかを考える際には道義を見極めなければならないと言うことです 分かりますでしょうか?

 以下憲法条規の第9条を例に具体的に述べてゆきますが 現実の国際情勢は無視して純粋に理論的なことだけに限って述べますのでそのつもりで吟味していただけますようお願いします(現実を考えながらやると話が長くなるしこの記事の本題から外れるのであしからず)

 さて 安保法制が議題にあがった際にほとんどの憲法学者は違憲だと考えたようです 9条の下に考えればその通りでしょう そもそも自衛隊そのものが9条に反している でもね

 でもね 私に言わせればその9条自体が憲法に違反している可能性が高いのです どういうことかを次に説明します

 9条は日本国憲法の3要件のひとつである平和主義の下にあるでしょう 戦争なんかしたくないし起こってほしくもありません しかしながら日本国憲法が効力を持つのは日本に対してであって外国にはその効力がありません なので日本国憲法により日本が他国を武力で攻めることを規制することは出来ても他国が日本を武力で攻めることを規制することは出来ません

 で 他国が日本に武力で攻めてきたならばどうするか 選択肢は二つ 抵抗するか受け入れるかです 

 相手は武力で攻めてきているのですから抵抗するとなるとこちらも武力を使わざるを得なくなるでしょう そうなると双方に死人が出るのは避けられない 残念ながら日本の平和主義は崩れます

 あくまで平和主義を守りたい 他国が武力で攻めてきたからといってこちらも武力で対抗しては死人が増えるだけだ 他国が武力侵攻してきたら逆らわずに素直に従うべきだ と考える人もいるでしょうね 例え殺されても殺さないという考え方は崇高なものかもしれません 究極の平和主義かもしれません ただし

 ただし あくまで平和主義を守るために武力を使わない選択をした場合には日本国憲法の基本要件である平和主義以外の他の二つが崩れます 

 他国の武力侵攻に対し武力抵抗をせずに受け入れるのですから当然日本は占領されるわけです そうなると国民主権は崩れ基本的人権の保護も保障されません

 さて他国が武力侵攻してきた際に抵抗するか受け入れるか あなたはどちらの選択をしますか?

 私は前者の選択をします 後者を選択すると言うことは正当防衛を認めないのと道義ですしね 私はそれが当然だろうと思っているので9条は違憲だと考えています
 しかし日本には9条を守れと主張する人が存在しますでしょ 殺されても殺すなという崇高な人達がいるということですね 主権なんかいらない奴隷でもいいから平和主義を貫くという、、、 私の様な俗人には及びもつかない聖人なんでしょうか

 9条は憲法に比べれば一段低い憲法条規であるとはいえ国体の基本を形作るものですから重いものであることに違いはありません どうするのかは国民投票で決するべきだろうと考えています その時あなたはどちらを選択しますか?



 なお ここで描いたような憲法と憲法条規を分けて考えるのは日本では私だけかもしれません(麻生結氏に貰った本でもサジェスチョンはありましたがそれ以上に踏み込んではいなかった) 皆様の意見をいただければ幸いです




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2016-04-27 05:45:26

民主主義のために その1 法律の意義

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 しごく基本的なことになりますが法律の意義について述べてゆきます そんなこと分かってるって人が多いと思いますがごめんなさい 世の中には分かってない人もいるみたいなのでそういう人達のために あえてこの記事を描きます

 「要するに法律に違反しなければいいんですよ」
と 法廷で言い放った裁判官がいるらしいのです 府中刑務所に居る時に回覧されてくる新聞で見た記憶があります 一般人ならともかく裁判官の言動ということで ものすごくナサケナイ思いを感じたのを覚えています この人は裁判官として何を学んできたんだろう 日本の司法ってこの程度なのか、、、、と思ってしまった(´・ω・`)

 ええとですね 殺人は犯罪として処罰されます 当たり前と言えば当たり前のことですが 2001年に成田で捕まった際に私の取り調べを担当した税関職員が言ってたのですがどこだかの国では最近になってやっと殺人罪が制定されたってことでした
 ホントかよって思いましたけど真面目な顔してましたので嘘を言ってる風には見えなかった その時の私は大麻所持でわざと逮捕されていたので
<大麻取締法がなければ犯罪にはならなかったのにな>
と言いたかったのかもしれません それはさておき

 殺人にしろ大麻所持にしろ法律で禁止されていなければ社会的には犯罪と見做されません 法律が社会における犯罪を規定しているからですね その点だけをみれば「要するに法律に違反しなければいいんですよ」という先にあげた裁判官の言葉は嘘ではありません でもね でもなのですよ

 では 殺人罪が法律になければ人を殺してもいいのか!?

 いいわけないですよね 法律で規制されていないのだから人を殺すのは自由だ なんてのがまかり通れば我々は安心して暮らすことが出来ない 社会はめちゃくちゃです その社会で暮らす我々が困る だから法律で殺人を犯罪とすることで規制してるんです スイマセン 当たり前のことをわざわざもったいぶって言ってしまいました 

 一般に法律で規制されてはいないけれど それはダメだろう という事態が出来した際に世間はこういう言い方をします
<法的には問題ないけれど道義的にゆるせない>

 法律というのは道義の下に制定されるものなんです もしも法的に規制されていないのに道義的に赦せない問題が現れたならそこには法の不備があったということです 早急に法整備をして同じ事態が二度と起こらないようにすべきことなのです

 だから 「要するに法律に違反しなければいいんですよ」
なんて堂々と言い放つ裁判官に失望します 世の中には法の抜け穴ばかり探してる人もいるようですが 度を過ごすと地獄へ行きますよ 

 さてところで
<法的には問題ないけれど道義的にゆるせない>
という問題が世の中にあるように逆の場合もあるというのは分かりますか?

<法的には規制されているけれど道義的に問題ない>
こういう場合はどうすればいいと思いますか? 法律があるために犯罪者にされてしまったけれど実は被害者なんかどこにもいない こんな場合があるの分かりますか? どうすればいいんだろう? 考えていただければ幸いです

 今回の記事はいったんここで終わります 終わりますが続きます 次に私は憲法に関する記事を描いてその後に主権をテーマにした記事を描く予定です 小出しでいきますが繋がる予定です 勘のいい方なら私が何を言いたいかの大まかな想像がつくだろうかと思います 予想出来ない方は次回次々回の記事をお待ちください




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2016-04-23 06:50:52

アイディンティティの問題

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 もう25年ほども前のことだけれどサモンが私にこんな意味のことを言ったんだ
「カーストっていうのはすごいんや 泥棒のカーストやったら殴られようが何されようが 俺は泥棒や!ってつっぱるんやからな 絶対に自分を曲げよらへん カーストってそういうもんや」

 泥棒のカーストがあるのかどうかは知らないけれどその感覚は分かるかもしれません 日本のヤクザさんもそうですよね 彼らもめったなことでは自分を曲げない どうしてだと思います? 頑固だから? 私はそれとはちょっと違うように思うのです

 

 

 以前に初めてインドに行った際にお世話になった人の話を記事にしたことがあります この記事で紹介している彼がそうです「サイコパス 共感能力の欠如」
 日本大使館でバイトしていた彼はアンドリュー君というインド人のサーバントを雇っていたのだけれどこんなことを言ってました
「アンドリュー君はいろんな料理が出来るし真面目なんだけどね 頑固なところがあってさ 掃除はこうすればいいんじゃないとかいろいろアドバイスするんだけど全然聞かないで自分のやり方を絶対変えないんだよね」
 当時は分からなかったのですがそれは大方のインド人に共通することのように思います 彼らは自分の領分のことに対して他人にとやかく言われるのが嫌いなんですよ

 人から指図されるのが嫌いという感覚はインド人に限らず誰にでも多かれ少なかれあることでしょうが それとはちょっと違います

 

 アンドリュー君のケースで言うならサーバントとして主人から居間を掃除してくれとか夕食は何時にしてくれとかならその通りにするんですよ それが彼の仕事ですからね でもその仕事のやり方にああだこうだとレクチャーされると
<それ 違うだろ>
って思っちゃうんじゃないかな アドバイスした彼は悪気なく言ったのかもしれませんがアンドリュー君はサーバントが天職のようなものなのでしょう それがカースト(正しくはジャーティというべきですが)ですからね そこに別カーストの人に自分の領域に入って来られてああだこうだ言われるのはそのアイディンティティの否定にも繋がりかねないので、、、これはアイディンティティの問題だと思うのですよ

 

 ところで私は94年頃から土工をやっていた時期があります やってみると土工ってものすごく守備範囲が広いんですよね 私の場合は最初は鳶の手元から始めてコンクリート打ちに型枠の解体にU字抗に石積みに立て坑にユンボの手元やもちろんシンプルな穴掘りもあったしで憶えなければいけないことがいっぱいでした 
<土工って要するに土方だろ>
って最初は体力さえあれば誰でもできるだろうって思ってた節があったのですがなかなかどうして、、、要領があるようです 守備範囲が広い分その要領を覚えるのがたいへんです 一人前の土工になるにはけっこう年期がいるようです  


 土工仕事をしていた私から見える建設現場の最高指揮官は現場監督ですが監督はそれぞれの下請けの業者にA建設さんは今日はどこそこのなになにをB組さんは今日はあそこの続きをといった感じで全体の指揮をとります その際にそれについての注意をすることはあってもやり方を細かく指示することはありません 単なるバイト感覚でやっていた私は上の人に言われたことをやるだけでしたが長く建設業界で生きてきている本物の土工さんたちを見るとみんな仕事に対しては自分なりのこだわりがあるんですよね 例え監督といえど鳶さんたちにパイプの組み方をレクチャーしたり左官屋さんに壁の塗り方をレクチャーしたり土工にコン打ちの仕方をレクチャーしたりしたら
<なんだ お前は>
ってことになってしまいそうです 先に話したアンドリュー君もそれだと思います そこにはそれぞれのアイディンティティに繋がるものがあるのでしょうね 

 

 

 アイディンティティは人の根幹にあるものでとても大事なものです おそらくたいていの人は日頃それほど意識していないかと思うのですが他者の言動が誰かのアイディンティティに触れるとその人は敏感にそれを感じるでしょう そしてそれが否定的なものであればあるほどに拒絶反応を示すはずです

 

 ちょっと自分のことを例に挙げますが 私は大麻所持で3度捕まっており3度とも罪を認めておりません(大麻所持を否定したというのはでなく悪いことなどしていないという意味ですよ) 私は大麻が悪いものだと思っていないしそれ以上に現在の私があるのは大麻に負うところが非常に大きいからです 大麻によって私の人生観が変わり今現在の私があります 後悔はまったくなく大麻を知る以前の私に戻りたいとは夢にも思いません 私は今の私に満足しています なので
<大麻を使用して悪うございました 反省しています>
などとは口が裂けても言えません これは私のアイディンティティの問題なのです 大麻所持で罪を認めることは今の私を否定することに繋がってしまう だから絶対に認められない ご理解いただけるでしょうか?
 
 昔「踏絵」というのがありましたよね 踏絵は隠れキリシタンを探し出すのに利用されたようです 関係ない人にとっては馬鹿みたいに思えるかもしれませんがキリスト教を自分のアイディンティティに捉えている人にとっては大問題なのでしょう
 一般的には例え単なる絵であろうと「神の子」であるキリストを踏みつけるなんて冒涜だと考えるのだろうかと思うのですが
 アイディンティティという観点から見るとクリスチャンが踏絵に同意するのはキリストを信じる自分自身を否定する行為に繋がるんでしょうね だから信仰の深いクリスチャンであればあるほどに踏めなかった 火あぶりにされることが見えていても踏めなかった アイディンティティの問題は社会的な損得では計れないところがあります 

 

 

 さてアイディンティティの肝は自分で自分を了承することです 私はこういうものだ 人は人 私は私と自分で自分を認めることです 
 まあ泥棒やヤクザののアイディンティティを持つのは社会で共存するには問題ですからできれば避けてほしいものですが この際それはちょっと置いといて

 

 ヤクザさんたちですが彼らは自分が非合法なことをやっているを自覚しているしそのため社会で受け入れられない立場であることも分かってる だから彼らは捕まった時の覚悟もできている 一般人が初めて捕まった場合には留置場で泣く人もいるんだけれどヤクザにそれはない 覚悟の違いです それは即ち
<俺はヤクザだ>
と自分を了承しているからだろうと思うのです


 ヤクザってけっこうアイディンティティがしっかりしています そしてね アイディンティティのしっかりしている人は他人を妬んだりしないんですよ 利害関係のもつれから敵対することはあるにしろ関係ない他人を妬むことで悪さしたりはしない 私は貧乏人だし利害で絡むこともないですからね なのでヤクザから嫌がらせをされたことがありません もちろんかっこだけのヤクザ(チンピラというべきかな)は別ですけどね 

 

 私は堅気にしてはヤクザとよく出会っている人間でしょう その自分の経験から思うのですが 私は人としてのヤクザを嫌いじゃない 話していて面白い 魅力的だと感じることさえあります なぜだろう?と考えます

 その答えとして ヤクザはアイディンティティがしっかりしてるからだろうと思うのです 彼らは自分を了承し自分なりの価値観を持っているんです だから彼らは自分の言葉を喋る 良くも悪くも自分自身を生きている 人に嘘をつくことはあるだろうけれど自分に嘘はつかない 自分をごまかしたりはしない ヤクザってそういうものだと思います その点でインド人に通じるところがありそうです 

 

 カーストと聞いて外部の人は上下関係と捉えるでしょう それで差別を連想する だからでしょうね カーストは外部の人には非常に評判が悪い
 しかしね カーストの内部の人達にとっては上下関係というよりは横の関係のようです カーストは職業(これをジャーティというようです)と関連しています 明治以前の士農工商を考えてください 上下関係なんて普段あまり気にしなくていい そもそも付き合いがないですから カースト内部の人にとって大事なのは横の関係 価値観の合うもの同士で仲良くやっていくんです 

 

 統一教会に「合同結婚式」っていうのがあったでしょ 私にはとても受け入れられるものではありませんが考え方としては有りなのかなと思います(注 ウィキを見るとかなり実態に問題があるようなのであくまで考え方としてはということです) というのも私は自分の両親のことを考えるからです

 

 私の父母はまるでタイプが違ってました 父は熱心な創価学会員で真面目ではあるのですが人の心の機微というのがまるで分からない人で共感能力に難があったようです 一方母はというとちょっとお嬢様風に育ったみたいで生活能力に乏しい夢見る乙女的なところがあって まるで合わない これはもうどうしようない 本当にどうしようもなかった


 特に深い付き合いをするのでなければあまり絡まないようにして穏便に過ごすことも可能かもしれませんが一緒に生活するとなると悲惨です 友人ならば選ぶことができますが子供にとって両親は選べない、、、

 アイディンティティについて言いたいことはまだまだあるのですがこの先は説教じみたことばかりになりそうなのでこの辺でやめておきます アイディンティティは自分で自分を了承することにより確立します 自分自身で考えなければいけないのです
 この一文があなたのアイディンティティを見直すきっかけになるなら幸いです 
 

 

 

 

 

 

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