横浜刑務所物語 第三話 後編 物語が分からない? | やまのブログ

横浜刑務所物語 第三話 後編 物語が分からない?

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 横浜刑務所物語 第三話 前編


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 9月20日に三村さんが新入で入ってきた その翌日入れ替わるように長尾さんの出役があり12室を出て行った これで12室は一番席の北正文 二番席の私 三番席に瀬川さん 四番席に町坂さん そして五番席に三村さんの5人となった

瀬川さんが私に言った
「山崎さんのことをやまさんと呼んでもいいですか?」
「はい どうぞ」
「やまさん お願いがあるんですが今度の医務回診のとき 薬をもらってくれませんか? これは他の皆さんにもお願いしたいんですが,,,,,」
横浜刑務所では薬や診察を望む人は週に2回ある医務回診の際に申し出ることになっている 瀬川さんはその際にもらえるだけの薬をもらっているのだがまだ不満足で私に胃薬や鼻炎の薬をもらってほしいということだった 私は次のように答えた
「いいんだけど 薬って毒でもあるんだよ 胃薬って消化剤のことなら食べすぎや飲みすぎで胃液だけでは間に合わないときに飲むものだと思うよ もし必要ないのに飲み続けていると体が薬に頼ってしまって胃液を出さなくなってしまったりするかも知れない 薬ってそういうもんだよ 大丈夫?」
「すいません 分かりました」と彼が答えた後に誰にともなくこう言った
「やまさんからはもらえないと」
心の中でずっこけた が 彼の頼みをきいてあげることにした それが彼のためによかったのかどうかは疑問だけれどこの場での人間関係を考えるとそのほうが無難に思えた そして瀬川さんは12室の全員から薬をもらうことになった もちろん職員には内緒  
 瀬川さんはその薬をトイレで隠れるように飲んでいた それを見てみんな首をひねっていた 
「どうしてわざわざトイレで飲むの?」誰かが尋ねた 
「なんとなく」笑って答える瀬川さん 彼なりのこだわりなのかその後も薬はほとんどトイレで飲んでいた

 ある朝の起床前のことだった 斜め向かいの雑居房から誰かの泣き言が聞こえてきた
「嫌だよう こんなとこにいたくないよう 何とかしてよう ねえ 嫌だよう」
「静カニスルンダ マダ ミンナ寝テルダロ」 職員が小声で抑えようとしているのが聞こえてきたが うまくいかない
「嫌だよう こんなとこいやだよう」泣き言が止まない すると突然この12室から怒鳴り声が上がった
「うるせえんだよ!馬鹿野郎!がたがた言うな!静かに寝てろ!分かったか!」怒鳴り声の主は瀬川さんだった それを聞いて職員がとんできた
「やめろ うるさいのは分かってる お前が怒鳴ると今度はお前を連れて行かなきゃならなくなる」
「、、、、、、」
まもなく泣き言を言ってた男は職員に連れて行かれた
「嫌だよう 独居なんか嫌だよう」と泣き言を繰り返しながら連れて行かれた

 ある時 瀬川さんが私にこう言った
「やまさんにお願いなんですけど私をいじらないでくれませんか」
「?」いじる? どういう意味だろう
「私 気にしてるんですよ それで血液検査も受けてるしだから結果が出るまでそっとしておいてほしいんです」
薬を飲みすぎると体に悪いよと言ったことかと思ったが違っていた 彼は自分の顔の色のことを気にしていたのだった そういえば私が言ったことがあった
<瀬川さん 顔の正面と横とで色が微妙に違うね なんか仮面をかぶっているみたいに見える> 
悪意で言ったわけではなく瀬川さんからの反応もなかったのですっかり忘れていた
「ごめん これからは気をつけるようにするよ」と私
 そんなやり取りもすっかり忘れたある朝 瀬川さんが三村さんに語気強く突っかかった
「三村さん! 私をいじらないでくれって言っただろ! 昨夜は気になって眠れなかったじゃないか!」
「え? 何?」三村さんは面食らった様子 私も分からない 何を怒ってる?
「血液検査の結果が出るまで待ってくれと言っただろ! どうして待てないんだ!」
そうか そういえば昨日寝る前に三村さんが言ってたのを思い出した
<瀬川さん 電灯の下だと横顔の色の違いが目立つね>
「申しわけなかった ごめん」
三村さんも理解したようで謝って事なきを得た 三村さんも切れやすい人でどうなるかと思ったけれど(三村さんのことは第四話で話します) それにしても私のときと同じで三村さんにも悪意はなかったはず これは瀬川さんが相手の意思(善意や悪意)に対応しているのでなく自分の思い込みで言動していることのあらわれと思われた

 10月も半ばを過ぎたころ北正文がこう言った
「俺とやまちゃんは夫婦みたいだな 『それ』って言っただけで欲しいものが分かる」
醤油のことだった 北正文は醤油をよく使う その時彼の手の届くところに醤油がなかったからとってあげただけのこと 北正文とはこの狭い檻の中で一ヶ月以上一緒に過ごしている およその行動形態は分かるし考えていそうなことも分かるようになっていた  続いて彼はこう言った
「でもイサムちゃん(瀬川イサム)にはそれがないんだよなあ」
そう 瀬川さんとも一ヶ月になるけれど彼にはそれがない 瀬川さんは北正文を気遣っている 北正文を持ち上げることで彼に取り入ってるようにも見える、、、、 番席が上ということで私にも少しは気を使ってくれているようだけれど、、、、、、、どうも、、、、、違和感があって、、、、

 瀬川さんは12室の皆から薬を貰っているけれどそれでも娑婆での半分にしかならないという 彼は医務にもっと薬を出してくれるよう求めていた 特にうつ病の薬だ 娑婆にいるときはうつ病の薬をたくさん貰っていたのに横浜刑務所は薬を出さない これでは病気が治らない と訴えていたが
「お前を見ているとうつ病には見えない」と医務職員は答えていた
瀬川さんはめげずに粘り続けるが 医務職員のほうもこちらはこちらの判断で薬を出していると譲らない 医務回診日の朝は毎回そういうやり取りが繰り返された お互いに譲らないし 分かり合おうとする姿勢も見えないため医務職員と瀬川さんの会話はどこまでも平行線 時間切れで終わるのが常だった
 それは医務の職員に対するだけでなく1舎1階の担当職員に対しても同じ 平日の朝に回ってくる「願い事」でも要求が多くて最も時間のかかるのが瀬川さんだった

 「これから不正洗髪をします」
突然瀬川さんがそう宣言して洗面台で頭を洗い出したことがあった 日本の刑務所は規則に非常に細かく特に横浜刑務所はその点でナンバーワンとベテラン受刑者たちから評価されている 職員の許可なく勝手なことをして見つかると怒鳴られるのは必至で懲罰になる可能性もある 北正文は呆れ顔をしながらも廊下の見張りにたつ 一番席の北正文がそうしたのを見て町坂さんも仕方ないなという感じで逆方向の見張りに立つ 私や三村さんは知らん顔 このあたりはそれぞれの性格の違いというところ
 「イサムちゃんはラッキーだよな 規則違反をバンバンやっていながらオヤジ(担当職員のこと)に見つからないもんな」
北正文がそう言うのも分かる 瀬川さんは作業中に水を飲んだり起床前にノートに何か書いてたり壁に寄りかかってテレビを見たりとか横浜刑務所での規則違反を繰り返しているけれど職員に見られることはそうない これは瀬川さんの規則違反の頻度が多いのでそう見えるのかと思われる 
 とはいえ見つかり叱られることは当然あるのだけれどそういうときの瀬川さんがまた特徴的、、、、 彼は叱られたときは何も言わず しばらく後に報知器を下ろしてその職員を呼び出し次のように言うんだ
「先生 先ほどはどうも申し訳ありませんでした 以後気をつけますのでお許しください 先生 本当に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げて殊勝に言う 商社マン時代に憶えた処世術なのかな おじぎの姿勢はきれいです でも その後はまた元通り 枕の上に座ったり壁に寄りかかったり寝転がって本を読んだり 職員に見咎められるとうるさくなることを平気で続けます 

 瀬川さんは12室の受刑者たちの中で最も理解しにくい人でした 彼の行動基準がわからずその行動が予測できない その結果が放火や窃盗ではいつこちらが巻き込まれるともしれない 油断できない人というのが私の瀬川さんに対する認識だったんです が、、、、、 瀬川さんのことを思い返していて気づいたことがあります 彼はをドラマを見ていなかった テレビで歌やバラエティが流れているときは皆と一緒に見ているのですがドラマになると結局はそっぽを向いて寝てしまっている いつもそうでした 矯正指導日のように暇を持て余すときでも(矯正指導日は作業はなく雑談は許されず手紙も書けずで本でも読んでるしかない)瀬川さんは決して小説を手にすることはなく彼が読むのはいつも大川隆法でした、、、、、、、 彼は物語が分からないのかもしれません


瀬川さんは物語が分からない人なのかもしれない と思うようになってから 少し彼が分かるような気がしてきました 私の父親とかぶさってきたんです、、、、、、 読者の皆様 物語が分からないって どんな状態だか分かりますか?


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 「マンガなんか読んでたらあほになるんや!」
 そう言ったのは私の父親で言われたのは小学生だった私です マンガ大好きの私は腹立たしかった その意見には承服できない でも どう反論すればいいのか分からない 昭和30年代の当時には漫画を蔑視する風潮が社会にありましたしね 私はどのように考えればいいのか分からなかった でも 今は ちょっと 分かります
 
 私が好きだったのはマンガという形式ではなくそのマンガ形式を使って描かれた内容だということです つまり 手塚治虫やちばてつやの描いていた物語が好きだった だけど父は物語を見ていない 父はどんなものが描かれているかを知らないでマンガを悪く言ってたわけです 父は漫画という形を非難していたんですね(まあ それも問題なんですが、、、) どうも 父と私は見ている世界が違っていた お互いに相手を理解していなかったということになるんだけどね、、、

 父が後生大事にしていた本がありました 池田大作という人が著した「人間革命」です 父が所属していた宗教団体の会長さんが書いた本です 父の死後にですが父を理解すべく古書店で文庫版の一冊を買って読んだのですが読みやすい文章でしたね 入信した信者さんたちがそれぞれに己の信仰心をたかめていく様子が物語られていましたがどの信者さんも素直でしたね 疑い深い私や悪いことを考える北正文の様な人は一人もいない なので物語りとしてはまるで面白くありません(枠をはみ出るような人がいないと物語りはつまらない) その一方で物語が単純になっているので内容は分かりやすい そこに描かれていたのは信者さんたちの日々の「精進」に対する礼賛でした 信者さんたちがお互いに励まし叱咤しあいながら「お題目」をあげたり「折伏」したりとかの宗教活動に打ち込んでいくサマが描かれていました 私なんかだとポカンとしてみているか それとも反発するかなのですが うちの父ちゃんのような人は疑いもせずに受け入れる、、、、、、、、、、、、父ちゃんには池田大作さんがとても偉い人に見えていたんでしょうね

 瀬川さんに尋ねたことを思いだします
「大川隆法ってどんな人なの?」
『東大を出て幸福の科学という宗教団体の総裁をなさっている方です」
「大川隆法の本って読んでて面白い?」
「間違ったこと言ってないですし 分かりやすいです」
 うちの父ちゃんと瀬川さんでは外見は何も似ていませんがどちらも物語が分からない そう思って見なおすと見えなかったものが見えてきます

 あの 物語が分からないからって それが何だっていうんだ? って思う人がいるかも知れません いや 別に 物語がなくたって生物学的には生きていけるんでしょうけどね、、、、、、物語は感動を生むのですよ その物語が分からないということは感動を知らないということじゃないですか それって、、、、、

同じ家にいながら父を遠いと感じていました 別にけんかしていたわけではありません 心が通じないんです 先に北正文が言った「俺とやまちゃんは夫婦みたいだな それと言っただけで欲しいものが分かる」という感覚が親子でありながら無かったんだ 15年以上一緒の家にいてね なのに 無いんだ これは寂しいことですよ、、、、、、、、、、、、、、感動することを知らない人は情が薄い

 それにね 物語が分からないというのは 場面(記憶)の積み重ねから意味を捉えることが苦手 ということですよね(これ重要です)、、、、、、、分かりやすく言えばさ 自分の頭で考えるのが苦手だってこと うちの父ちゃんはそういうタイプだったんだよ

 瀬川さんが職員たちと同じやり取りを繰り返すのもその影響があるかも知れません 瀬川さんの主張の仕方に故意性は薄いと思うよ 言っちゃなんだけど彼はそれほどずる賢くはない 自分が正しいと思うことを主張しているだけ 問題は自分の正しさに拘泥しすぎていることなんだけど、、、、どうしてそうなるかというと、、、、、
 
 物語が分からない ということは 場面(記憶)の積み重ねから意味を捉えることが出来ていないということですね これ 大変なことですよ テレビドラマが分からないぐらいなら 興味ないって顔してれば済みますが 現実の物語が分からないのは、、、、ねえ、、、、、、、あなた 想像できます? 

 不安なんだろうな、、、、、、、と思うのです

 「2001年 宇宙の旅」って映画を知ってますか? 話がちんぷんかんぷんで訳の分からないまま終わるSF映画です あれは監督がわざと説明の部分をはずしたらしいのですが おかげで誰も理解できない物語になってしまった なので もし 物語りが分からないというのが分からない方は「2001年 宇宙の旅」を見てみてください 物語が分からない体験が出来ますよ
 「2001年 宇宙の旅」のような意地悪(?)な物語に限らず物語全般が分からない 水戸黄門のようなやさしい物語も分からないのがうちの父ちゃんたち、、、、、、 話が分からないわけではなくその話の意味が分からないんですね 「人間革命」や大川隆法なら読めるのは意味を自分で考える必要がないからだと思います うちの父ちゃんのような人たちは情に乏しいから 情による優先順位というのが分からないので善悪とか真理とかを分かりやすく語ってくれる人はありがたい人になるんでしょうね

 私は入信前の父を知らないのではっきりした確信があるわけではないのですが うちの父ちゃんは創価学会に入信することで精神の安定を得ていたのかも知れません そのことに対する私からの批判はあるのですが もし うちの父ちゃんが入信していなかったらどうなっていただろう と考えると一概に責められないかも知れません 私の母は父とは逆タイプで情念の強い人でね それも空想がかった思いが強くてちょっとお嬢様っぽく育ってきたらしい どちらにしても父とは合わなかっただろうなあ 
 大川隆法の言葉が瀬川さんにとって救いになるのなら 入信するのもいいのかも知れません 疑い深い私などは胡散臭さを感じて敬遠してしまいますが他人に入信するのは止めろと言うだけの根拠は持っていません ただ 現実的なことを考えれば遠くの教祖様より近くの導師が必要じゃないかと思います 瀬川さん自身もそう思ってるんじゃないかと思う こんなことを言ってた
「うちの近くに**興業ってところがあるんでそこいって自分を磨いてみたいですね」 
「**興業って地元のヤクザだろ イサムちゃんはそこの誰かを知ってんの?」と北正文
「看板があるんですよ それを見てますから」
「、、、、、、、、」
何を言ってるんだ こいつは? という風に見えた 話は流れていったが 後日再び 瀬川さんが同じことを言った
「やっぱり**興業で修行するしかないかな」
「男磨きたいんなら俺んとこだって同じなんだぜ」北正文が言った
「、、、、、、、、」瀬川さんは笑うだけ

 瀬川さんには更生したいと思う意思があります 幸福の科学に惹かれるのはそのためでしょう 彼は自分を悔いているし恥じている  彼には大川隆法が立派な人に見えるんでしょうね その是非はともかく 自分も立派な人になりたい あやかりたい 今のような自分ではなくもっと尊敬される人になりたい そう思うことがすなわち更生の意思ですから 
 余談ですが北正文には更生の意思はありません 彼はヤクザである自分を悔いてはいないし恥じてもいませんから そういう人間に更生の意思なんて生まれようはずがない なお その点で私も同様です
 
 更生する意思があるなら 次にどういう更生プログラムがいいかという問題があります 幸福の科学に入信するのもひとつの方法かも知れません 薦めはしませんが止めもしません ただ 現実的なことを考えれば遠くの教祖様より近くの導師が必要じゃないかと思います 
 その近くの導師として**興業がいいというのなら幸福の科学に入信と同じく薦めも止めもしませんが私としては教戒師を勧めたい気がします 刑務所では仏教やらキリスト教やらの教戒師さんがやってくるんですね マンツーマンではないにしてもそれに近い指導が受けられるかも知れません うちの父ちゃんは真面目だけがとりえみたいな人だったので社会的な矯正は必要なかったのですが瀬川さんの場合だと放火にしろ窃盗にしろ心からの罪悪感に乏しいのでその辺も含めて上手く指導できる人が必要かと思います
 余計なお世話かも知れませんが瀬川さんに手紙を書いてみようかな 簡単な手紙を、、、、、

 最後ですが 私は精神科医ではありませんから瀬川さんがうつ病であるか否かは判断できません うつ病の定義を知らないしね ただ瀬川さんの精神状態はかなり不安定なものではないかと推測されます その不安体さが物語が分からないことからきているのであればそのすべてが当人の責任とはいいがたく「病気」と考えたほうがいいように思います 

Lovers Concertoでも聴きましょう