「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」(鳥居 民 著) | 山野ゆきよし日記

「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」(鳥居 民 著)

「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」(鳥居 民 著)

 

 

 本日、8月9日は、長崎市に原爆が投下された日。75年経った。

 

 8月5日のこと。

 『「日本に原爆を落とす必要なかった」米有力紙 異例の論説掲載』なる見出し記事が、日本の新聞テレビ等いくつもの報道に取り上げられる。米有力紙とは、ロサンゼルス・タイムズのことである。歴史家のガー・アルペロビッツ氏とジョージ・メイソン大教授のマーティン・シャーウィン氏の共同寄稿。

 

 『原爆を使わなくても日本が(1945年)8月に降伏していたことは、日米の歴史文書で圧倒的に示されている』と主張。さらに『トルーマン大統領や側近らもそれを分かっていたことが、数々の資料で証明されている』と断じた。

 

 また、米軍最高幹部8人のうち7人が、原爆使用について『軍事的に不必要か倫理的に非難に値する、あるいはその両方』と主張していたことを紹介。その一人で大統領の軍事顧問を務めたリーヒ元帥が、回想録に『広島と長崎での残酷な兵器の使用は、対日戦勝利に向けた物理的な助けには全くならなかった』と記していることを強調した。


 さらに、日本の敗戦を決定づけたソ連の対日参戦について、トルーマンは7月のポツダム会談でスターリンから確約を得ていたと指摘。トルーマンが会談後、夫人に『戦争は1年早く終わる』と伝えたエピソードを引用。

 

 その報道に触れて思い出したのは、2007年12月19日にアップした私のブログ記事、『「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」(鳥居民 著)』である。以下、そこで書いた一部分を再掲する。

 

『既に、日本の敗戦は濃厚であった。アメリカもイギリスもソ連の参戦には同意を出している。しかし、アメリカにすれば、終戦後、ソ連に優位な立場を与えるわけには行かない。そのためには、ソ連の参戦前に、原爆投下(実験)により、アメリカの圧倒的な戦力を見せ付けなければならない。アメリカ側からすれば、当然だったのだろう。戦争を終わらせる前に、トルーマンとしてはどうしてもやっておかなければならなかった。自分自身のために、戦後のアメリカのために。』

 

 『自分自身のため』というのは少々説明がいる。トルーマンは、前任のルーズベルト大統領の急死により、副大統領からいわばピンチヒッターとして大統領に就任した。しかも、副大統領としての任期はわずか82日間であった。トルーマンは就任初日の気持ちを自身の日記に「私の肩にアメリカのトップとしての重荷がのし掛かってきた。第一、私は戦争の詳細について聞かされていないし、外交にもまだ自信がない。軍が私をどう見ているのか心配だ。」と記していた。

 

 アメリカ軍のみならず、ソ連からも”小物”と見られていた。しかも、彼は大学卒業以上の学歴を持たない最後の大統領だった。いろいろな意味で自身のコンプレックスにさいなまれていた。そこでの一発逆転が”原子爆弾”であるとしたら、あまりにもあまりにも切ない。なんとももやるせない気持ちでいっぱいになる。

 

 「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」(鳥居 民 著)は、読んでおいていい本ではあるが、あまりにもつらすぎる。