山野ゆきよし日記
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3キャリアによる通信環境整備

 9月24日、避難所に指定されている輪島市の鵠巣公民館、能登町の岩井戸公民館へスターリンク設置。

 

 昨日から、私たちソフトバンクだけでなくNTTドコモ、KDDIとキャリア3社は、精力的に被災地を回り通信環境整備に尽力している。電気、水道、ガス、道路と並んで「情報」も社会インフラを担っているという矜持そのものである。

 

 本日、ソフトバンクは複数班を構成して出発。私はその一つの末席を汚す。

 

 鵠巣公民館へは、当初、山側から行くだけ行って、残念ながら行き止まり。逆戻りをして、昨日まで行き止まりと聞いていた海岸線をダメもとでクルマを飛ばす。なんと、この地震で新たに隆起した海岸底(?)に砂利を敷き詰めている真っ最中であった、仮設のう回路もどきの”道路”を利用して現地に到着。

 

「どうして、ここまで来れるって知ったのですか?自衛隊の方からお聞きになったのですか?ありがとうございます」

 

 いやいや、そんな境遇の地にいらっしゃるのに、他人様のお世話をする方たちにこそ、お礼を言わなくてはいけない。

 

 

 Wi-Fi環境が整うと、遅めの昼食を取りにきていた復興支援の方から、心から感謝のお言葉をいただく。

 

 壁にへばりついた10センチを超えるカマキリ。なんかホッとする。

 

 

 私たちも遅めの昼食をはさんで、次の岩井戸公民館へ。その敷地内には仮設住宅もある。その方たちにもWi-Fi環境で生活してほしい。公民館の職員の方も、ネット環境を求めて、皆さんに公民館に集まってほしいとの声。本当にそうなればいい。

 

 

 昼食は、大変な思いをして到着した、例の「ココハサトマチ」。つい先ほど、電気が来たばかり。水道はまだだという。ため込んであったカップ麺を昼食で食べてほしいとのこと。こんな状態でいただくカップ麺はなぜかおいしい。

 

 

 たまたま取材で来ていた地元テレビ局の方も交えての例のポーズ。

 

 

 新鮮な水も運んできたので、早速、明日から昼食の提供をするという。この男、心が折れるということがないらしい。だから、私も無条件に応援する。

 

珠洲市立大谷小学校避難所へスターリンク設置

 9月23日、珠洲市立大谷小学校避難所へスターリンク設置。昨日、記者発表したように、総務省、石川県と調整した上で、珠洲市、輪島市の避難所へスターリンクを設置し、通信(Wi-Fi)環境を整える。

 

 

 すでに、道路上に流れ込んでいたであろう流木等は、道端に除去されてはいたが、相当、厳しかったであろう状況は推察できる。あまりにもつらすぎる。

 

 大谷小の避難所は、まだ、電気も水道もきていない。そんな中、結果として通信環境が真っ先に整備されることに。現地でお聞きしたのだが、午前中、珠洲市長が立ち寄られた際、避難されている何人かの方が、スターリンクという言葉も出して通信環境改善の要望をしていたとのこと。早くできてよかった。「情報もインフラ」の面目躍如。

 

 ちなみに、すでに発電機は用意されていたが、いろいろと触った結果、私たちが持ち込んだポータブルバッテリーを使用することになった。よかったよかった。

 

 

 ここは、海と山に挟まれた地域。元日の地震と今回の豪雨のため、相当大掛かりな土砂崩れが起き、山肌がむき出しと言ってもいいようなあらわな状態。まだ、山から砂が海に流れ込んでいるのであろう、海岸沿いの波は泥水。

 

 

 しかしながら、避難されている方たちの多くは、地震の時よりは、前向きに感じた。私との写真撮影も何回か求められる。また、何人かの方のスマホをWi-Fiに接続した状態にするお手伝いも。こんなことが私に求められる役割の一つなんだと思う。

 

 今日、明日のスケジュールはすべてキャンセルして能登に入る。明日も、早朝から能登へ。できることを精一杯やっていく。

千鳥ケ淵戦没者墓苑清掃ボランティアに参加

 9月21日、千鳥ケ淵戦没者墓苑清掃ボランティアに参加。

 

 2年前、初めてその活動を教えていただいてから、ずっと気になっていた。今回、ようやく参加することが叶った。

 

千鳥ケ淵戦没者墓苑」とは?

 

先の大戦で海外における戦没軍人及び一般邦人のご遺骨を納めた「無名戦没者の墓」として昭和34年3月28日に創建されました。令和6年6月現在37万700柱が、六角堂内に安置されています。』(環境省HPより引用)

 

 この方たちのおかげで、現代の私たちは、平和な生活を送ることができている。忘れてはいけない。ずっと感謝の気持ちをもって。

 

 いろいろと役割が示されたが、初心者の私は、玉砂利のところに生えてきた雑草取りをさせてほしいとお願いする。休憩を一度はさみながら約2時間、汗をだらだらと流しつつ、それでいて黙々と。

 

 こんなにきれいになった!って言っても、清掃前の写真がないとわからないわな。ただ、緊張してそんな余裕がありませんでした。

 

 

 なんと149名もの方が参加されたという。日本は大丈夫だ。

 

 

※後から知ったことだが、その瞬間も能登は大変なことになっていた。この状況に胸を痛める。この日の夕方以降、現地の方はもちろん、ソフトバンク社内でも頻繁に連絡を取り合い、支援体制を確認していく。

 

※すでに公職を離れているとはいえ、前金沢市長であり前の石川県市長会会長としては、このタイミングでこんな呑気な投稿はできない。ちょっと遅れてしまったこと、ご理解ください。

石川県出身アーティスト大森慶宣さん、初の東京での個展

 9月22日、 日本橋で開催されている 、石川県出身のアーティスト大森慶宣さんの個展へ。金沢市の「関係人口創出民間提案モデル事業」の一環。この事業は、村山市長になって、新たに始められたもの。素晴らしい。応援していきたい。

 

 

 大森さんは、金沢駅前のハイアットセントリック金沢のエントランスにおいて、インパクトのある作品も提供してくれている。

 

 市長時代、私は大森さんにいつも言っていた。

 

 金沢21世紀美術館の評価が高まるにつれて、設計した建築家ユニットSANAAのお二人に注目が集まる、逆に、SANAAのお二人が世界で活躍するにつれて、建築物としての21美にさらにスポットライトがあたる。

 

 同じように、大森さんが世界に出て活躍してくれれば、ハイアットセントリック金沢のあのアートがある金沢市が有名になる、金沢市が頑張れば、大森さんも・・・、そんなふうになっていきたい。頑張ってほしい、私も金沢のまちづくりを、そう言ってもらえるように頑張る。

 

 その大森さんが、東京で初めて個展を開いた。まずは、小さくではあるが、これを機会に大きく飛躍してほしい。当然、私は駆けつける。

 

 

 写真は大森さんのInstagramから引用。

ソフトバンクは避難所のWi-Fi環境を整備します

9月21日の奥能登豪雨による被害に遭われた方に心からのお見舞いを申し上げます。

 

ソフトバンクは元日の能登半島地震に際しましても、通信環境整備等にスピード感もって全力で取り組んできました。

 

今回も同様に支援体制を構築してまいります。まずは、総務省、石川県と連絡を取り合い、避難所へのスターリンク設置の取り組みを進めてまいります。

 

できないことも多々あるかと思いますが、できることは全力でスピード感をもって取り組んでいきます。なんなりとおっしゃってください。

 

金沢美大の原智先生の作品が第71回日本伝統工芸展の総裁賞に選ばれる

 9月16日、日本橋三越本店で行われている第71回日本伝統工芸展へ。昨年は、石川県にゆかりのある作家さんの作品をすべてSNSで発信して応援しようと肩肘を張って会場に向かう。

 

 

 ただ、その石川県ゆかりの先生方の作品数があまりにも多く、これは無理だと途中で諦める。改めて、”工芸王国石川”の底力を痛感する。

 

 早朝、金沢駅から新幹線で東京駅へ。そのまま日本橋三越本店へ直行。11日に始まったばかりで最初の3連休ということもあってか、大変多くの鑑賞者、人出。


 文化的素養のない無粋な私ではあるが、じっくり堪能しているうちに、あっという間に2時間以上経ってしまう。やはり、石川県の作家さんの作品は数多くあった。私はよく知った作家先生の作品の前に立つたびにうれしくなる。ああ、楽しかった。

 

 特に今回の最高賞である「日本工芸会総裁賞」には金工の原智先生の作品が選ばれる。原先生は、石川県ゆかりどころか、金沢美術工芸大学の先生でもある。これは、本当にうれしい。先生の作品写真は投稿させてほしい。

 

 先生の作品の前には人だかりで、ちょっと離れて写真を撮らざるを得なかった。

 

 

 ぜひに、会場に行って多くの先生方の作品を観てほしい。9月23日(月)まで。

なぜか、「能登復興支援プロジェクトバスツアー」へ参加

 9月15日、急遽、「能登復興支援プロジェクトバスツアー」へ参加。でも、楽しかった。

 

 2日前、旧知の旅行者の方から電話。能登視察バスツアーのキャンセルがいくつか出た、山野さんはこれまで何十回と能登支援に入っていることはよく知っている、それだけ能登へのお気持ちもあるということも、どうですか?

 

 営業マンは営業に弱い。すでに、この日はある行事に出席する予定も入っている。正直、一瞬、迷いはした。ただ、能登への想いと言われたら、はい、わかりましたと返事をするしかない。

 

 日程を調整し、朝6時金沢駅出発、午後6時金沢駅着。よく状況がわかっているところがほとんどではあったが、少しずつ、公費解体が進んでいる様子も強く感じる。

 

 そんな中、「奥能登すず宿泊体験施設 木ノ浦ビレッジ」だけは、震災後、初めて足を運んだ。指定管理を受けている会社の山口侑香社長から、地震当日からエリアとして孤立していた数日間の状況をお聞きする。皆、身体を乗り出して聞き入る。

 

 

 私は能登の厳しい光景の写真は投稿しないようにしているが、この写真はいいかな。暖炉の煙突が外れてそのままの様子を、今となっては、笑い話として披露してくれる山口社長。彼女の明るさがそれを許してくれるような気がする。そんな暖炉も、もともとあったオブジェのように見えるくらい。

 

 落ち着いたら、ここにもう一度来たい。本当にそう思った。

 

 昼食は、例の「ココハサトマチ」。皆で例のポーズ。

 

 

 能登のことは忘れてはいけない。来週も再来週もこのテーマで講演が入っている。しっかりと伝えてくる。新しいネタも仕入れたし。

久しぶりの遠州流金沢真甫会でお茶のお稽古

9月10日、久しぶりの遠州流金沢真甫会でお茶のお稽古。

 

遠州流のお家元に金沢にお越しいただいてのお稽古。お家元をお迎えしてのお稽古に参加したのは久しぶり。まあ、いつも久しぶりだけど。

 

すっかりお作法を失念してしまっている私は、今日も、ほとんどゼロから、いやマイナスからご指導いただいてのお稽古。

 

あまりにもお粗末すぎるので少々自己嫌悪に陥る。ただ、仲間の皆、本当にいい人ばかりなので、次回へのモチベーションにつながる。

 

お稽古の後の、勉強会。江戸時代の懐紙和歌をお軸にしたものを、それぞれ拝見しながら、お家元のご教授。すみません、全部忘れてしまったのでここで解説はできないが、すごくおもしろかった。

 

 

毎回、知的好奇心が大いにくすぐられる。懐紙和歌は「3行3文字」で書くということだけは覚えた。次回も頑張ろう。

栃木県と福井県

現在、金沢の住まいと東京のマンションとのいわゆる二拠点居住というやつで、それぞれを拠点に、全国を出張で回っている。

 

全国を回っての楽しみの一つは、仕事を終えた後、地の食べ物を肴に地のお酒をいただくこと。

 

ところが、金沢と東京に住まいがあるため、北陸や首都圏の出張は日帰りを余儀なくされる。特に、なまじっか、公共交通が充実しているだけに、首都圏と言っても、栃木県、群馬県、長野県あたりも”首都圏”に入ってくる。

 

”首都圏”出張で日帰りとわかっていると、逆に、時間がもったいないので、それらの帰りすがらに、本当の首都圏で他の訪問先を入れたりする。

 

ということで、先般、栃木県内に出張で行った際、仲間の皆と、やはり、昼食は餃子だろうと、がっちりといただく。

 

同様、つい先日、福井県内に行った際も、小浜港近くのお店で、新鮮な「いか丼」を昼食にいただく。

 

いずれも、首都圏、北陸の日帰りエリア。しかも、夕方までに、東京、金沢で他のアポも入れてしまう。地のお酒はいただかなかった。記録に残しておく。

令和の仕事と昭和の仕事後

金沢のスタバで次のアポまでの時間調整。
 
民間に戻ってやがて2年。カフェやコワーキングスペースで仕事をすることが当たり前になっている。ときには、くつろぎながら、あるときは、あわただしく。
 
特に、今回のような出張(金沢での仕事が『出張』という表現もふつうになった!?)の際、小間切れ時間では本当に多くなった。
 
市役所、県庁の職員もそんなふうになれば、もっと生産性も高まるし、職員のメンタル安定にも寄与する。
 
そんな思いも込めて、金沢市は2020(令和2)年度に本庁舎はすべてフリーアドレスにした。課題もまだまだあるが、職員の皆さんが、さらなるブラッシュアップを重ねてくれている。
 
余談。そもそも、日曜日に仕事をしていること自体がいかがなものか・・・。続けて言い訳。出張ではどうしても時間外でやることが多く残る。その理由。仕事の後、地のもので楽しく一献傾けるから。ここは昭和のまま。

 

 

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