修那羅の石神仏ワールド | 降っても晴れても

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山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

四月の北信の計画では、今日は唐松岳に登っているはずだった。昨日から八方池山荘に上がって、モルゲンロートに出逢う予定だったのだ。しかし暴風雨になるというのでやめにした。不帰東面も劔岳も見えないなら、登る価値がないというものです。

本日の代案は、修那羅の石神仏群~霊諍山の石仏~安曇野市天蚕センター~鷹狩山(大町市)。これで行ってみます。

 

修那羅の石神仏群は巨岩に抱かれている

修那羅峠は筑北村と青木村の境界にある。麻績ICまたは上田からアプローチする。

電子地形図25000(国土地理院)を加工して作成した。(令和元年手続改正により申請適用外)

注:この地形図のスケールは編集されています。距離を参照される場合は元のスケールで確認してください。

 

【2024年4月16日(火)】

麻績ICを降りると「修那羅の石神仏」の案内看板が出てくる。道路標識の案内板になった石仏群も珍しい。県道から右折して細い道を登っていけば、安宮神社の駐車場だ。参道を少し歩いて、境内に入っていく。十数年ぶりの再訪です。

ちなみにここは「しょなら」とも「しゅなら」とも読まれる。

拝殿にはなぜかネコの彫り物。社殿の裏ではネコが三匹うろついていて、その内に喧嘩を始めた。

 

順路がありまして、ここから渡り廊下の下をくぐっていきます。

 

社殿裏手の山側には808体の石神仏が祀られている。江戸末期から明治にかけて奉納されたもので、神仏習合・自由奔放を特徴としている。かなり独特な、異形の世界が展開している。

まず現れた小さな石像は、風神。(以下尊名は、筑北村教育委員会のガイドマップによる)

 

エリアは大きく二つあって、まず社殿裏手の丘周辺から見ていく。目についた女神は、蚕神。桑の枝を捧げ持っている。

 

その並びには、対神。弁財天を表しているという。

 

以下は名前も不明だし、推測も不可能。調べれば分かるかもしれないが。

 

これは千手観音らしい。裏にそう刻まれている。

 

大型の文字碑は少ないが、修那羅大天武というもの。

 

単体の馬ですね。

 

猫神二体の間に鬼神が立っている。猫神は養蚕農家のネズミ退散祈願である。丸彫の猫神は珍しいのではないか。

 

まさしく猫顔である。三体の生身のネコがうろついてたことは、前述の通りである。

ネズミを見つけたか。

 

丸彫の十一面千手観音は儀軌に則っていて、修那羅ではむしろ貴重な存在だ。佐久間象山が奉納したと伝えられる。

 

順路に従って北側の小丘に向かうと、女神様の朽ちた祠が建っている。守護するのは山犬(オオカミ)だ。秩父の三峯信仰の流れを汲む。

 

これより順路は表参道に並行した、一段高みの岩山沿いへ。不思議な姿の神像。手の動きは何を意味しているのか。

 

彫ってある文字を読んでいくと、立山坊舎悪鬼神だという。独特の尊名である。容姿も特徴的だが、意味合いは分からない。右の文字碑は生身までしか読めなくて、もはや解読不可能か。

 

右のものは、銭謹金神と刻まれている。庶民の銭願望ということか。

 

猛◯神 ?

 

馬一頭

 

安政6年(1859)の紀年銘のある神像、風化著しい。

 

斧を持つ埴輪的表情の石像。正体不明。

 

酒泉童子か? と疑問符付きで解説されている。

 

対神で、大銑皇神と大◯皇神。甲冑に身を固めているので軍神か。

 

このエリアの風景。露岩の点在する斜面に石造物探勝路が延びている。

落ち葉に寝かされたままの方も多数いる。

 

巨大な木の根が怪物みたいだ。

巨大コブに飲み込まれている石碑もあった。

 

兜?を被った大日如来

 

道は延々と続きます。次第に露岩も巨大化してくる。

 

イノシシに乗った摩利支天

 

舌を抜く怖い道具を手にして、獄卒の鬼が待ち構えていた。

 

奇抜な髪型の、宇古津神。文久3年。

 

神農蔵王権現

 

蔵王権現と、左はかわいい勝軍地蔵。巨大クラックを背景にして。

 

探勝路も終わりが近づいてきて、このあたりの石造物がしんがりとなる。

案内板は「戻る」と書いてあるが、かすかなフミアトを直進すると駐車場に出ることができた。修那羅は不思議がいっぱい。じっくり見れば1時間半はかかるが、足早に1時間でまとめた。

 

以上、異形の世界・修那羅の石神仏群でした。

次もまた異形シリーズで、霊諍山に向かいます。

つづく