『二十世紀前半の思想状況の中でのアドラー心理学』2 | 自分で自分の人生をデザインする方法

自分で自分の人生をデザインする方法

高校の先生を20年やる中で
3回うつ病を患い、そのたびに復活し、
今は旅館をやりながら
古事記を教えつつアドラー心理学を広めている
謎な人生を送っている人間がもがきながら掴んだ生き方のコツ

野田先生の論文の読み込み(その2)です。

 

『二十世紀前半の思想状況の中でのアドラー心理学』

2.なぜフロイトがもてはやされたか

 

戦前の帝政時代のオーストリアでは、きわめて保守的な政治が行われていた。

皇帝フランツ・ヨーゼフは、1848年の市民革命(失敗)以後、新しいものを忌み嫌い、すべてを旧式の枠組みの中に閉じこめようとした。

その代わりに、日常生活の見かけをきわめて絢爛豪華なものにし、中産階級のご機嫌を取った。

 

中産階級の人達は、

お洒落なカフェで時間を過ごし、政治や経済について議論をし、

金持ちらしくコンサートや芝居にでかけ、

骨董品を集めて自宅を飾り、

機会を捉えては金儲けのチャンスを見つけ出し、

革命のことなど考えないで暮らすようになった。

 

終戦によってこの価値観は崩壊した。

芸術は、戦前の装飾的な「型」にはまった表現から、

すべての「型」を拒否する表現へと、傾向が急激に変わった。

 

伝統的な「型」がすべて崩壊する中で、

フロイトは、すべての既成概念を破壊して生々しい人間の姿を描き出した。

彼の理論は、「人間はどう生きるべきか」《当為》には一切関係せず、

ひたすら「人間はどのようであるか」《存在》についてだけ語り続けた。

 

 

そういう点で、マックス・ウェーバーの思想と同じ構造をしている。

 

 

そのような文脈の中で、アドラーは「共同体感覚」という「魔法的な」言葉を語った。

まったく時代錯誤の反動主義ととらえられても仕方がない状況だった。

 

続きます。

 

 

(以下個人的感想)

なるほど、「人間はどう生きるべきか」《当為》は、ひとつの「型」なんだ、と思いました。

すべての「型」を拒否する時代の流れの中で、

「人間はこう生きると幸せになる。こう生きるべきだ」という「型」(価値)を提唱することは、大きな思想の流れに反することだったのですね。

とはいえ、「こう生きると幸せになる」て「型」がまったくない社会も、それはそれで生きづらくないかなぁ?

どうやって生きたら幸せになれるのかまったく分からなかったら、行動のしようがないような気がする。

という疑問には、この後の展開でヒントが出てきます照れ

(ちなみに、なぜアドラー先生だけ画像なのかと言えば、他の思想家さんは著作権フリー画像が見つけられなかっただけです)