門番やらせろや。 | 「生きる」を楽しむ

「生きる」を楽しむ

7ヶ月でSPECを覚醒させて、
奇跡が日常になる

あるのは「違い」だけ。

を書いた後で浮かんだイメージが、

こんなんでした。

 

たとえば私が地球で、太陽に憧れて、太陽のマネっこしたとしたら、

 

多分、私の周りの星達に影響出てくるんだろうなぁ。

 

 

 

だってもともと、

太陽は太陽、

地球は地球、

木星は木星であることで

全体でバランスを取っていたのに、

 

ひとつがそれを崩し始めたら、

崩れたバランスを元に戻そうとして、

他のどこかが形を変えて、

さらに全体の調和が崩れる。(悪循環)

 

 

結局、「私」が「私」であることが、

一番の全体への貢献なのだと思います。

 

 

ただ、

 

本ではアドラー心理学は学べない。

でも書いたとおり、

 

きっちり「私」として生きるのって、

相当難易度高いと思います。

現代日本では、「五教科全部できた上で運動できて友達も多い子でいなさい」って

「完璧であることが最低ライン。どこか欠けていたら人間のクズ」的な

むちゃくちゃな理想像を押しつけてくる上に、

「自己犠牲」と「我慢」を美徳とする国なので、

 

その中で「私」として生きるには、

知恵も必要。

工夫も必要。

仲間も必要。

 

 

日本にアドラー心理学を紹介した野田俊作先生は、論文の中で、アドラー心理学を、

「人間でありながらどうすれば幸福になれるか」ということを課題とする知の体系

と表現しています。
(※「アドラー心理学の東洋的展開(1)個人の存在様式をめぐって 」
   アドレリアン第1巻第2号(通巻第2号) 1985 年8月 )

 

 

 

たとえば、生まれてくる前に、

お空の上でお友達と、

 

「今度生まれたらさ、みんなでハムレットのお芝居やろうよ!」

「いいねぇ!」

「じゃあ、私オフィーリアやる!」

「じゃあ、私お城の門番やる!」

 

って、それぞれ役柄決めて生まれてきたのに、

 

 

「男の子はハムレット、女の子はオフィーリアになりなさい」

 

って学校や社会で押しつけられたとしたら、

 

ハムレットとオフィーリアやることに決めてた2人以外は、

すんげー苦しい人生を生きることになるような気がしません?

 

 

「いい加減、お城の門番やらせろや!」

 

って、どっかでキレると思うし、

キレるのが正解と思います。

 

だいたい、お城の門番もいないとハムレット、なりたたないんだってば。

 

 

みんながみんなとして、調和しながら、しかも自立しながら、

生きていける世の中になるといいなぁと思いますし、

そのために自分にできることをしていきたい、と思います。