8月5日、6日、11日、12日に、
アドラー心理学基礎講座応用編が盛岡で開催されました。
いやー、面白かったです!
応用編は、2010年、2011年に受講していたのですが、
その頃とはがらっと変わって、
テキストや、勇気づけの歌もあるし、
エピソード分析も入っているし、
マイナーチェンジというよりは、メジャーチェンジのように感じました。
(いやでも、エピソード分析がアドラー心理学の中核だと思います)
今回の講座の中で、一番心に残ったのが、「自由」と「好き勝手」の違いでした。
私は今まで、
「自由」と「好き勝手」の区別が難しくて、
この2つが違うのは分かるんだけど、
どう違うのか、はっきりつかめていなかったのです。
だいぶ長いことぶらさげていたのですが、
応用編4日目の「組織とルール」のとき、
1−Dの権威主義と無政府主義、のところで、大竹さんが、
「昔は、たとえば家には家長がいて、家長の言うことは絶対でした。
昔は、誰も家長にたてつかなかった。みんなが、そういうもんだって思っていたから。
昔は、何がいいか、何が悪いかぱしっとありました。
そして、昔は決める人が責任を取っていました。
今は、誰も決めないし、誰も責任を取らない。何でも好き勝手です。
無政府主義と権威主義は、権威主義の方がまだましなんです。
無政府主義は、動物の野放しと一緒なんです。
このやり方だと、人間育ちません」
て説明して下さった時、
「!」
でした。
「好き勝手」は「動物の野放し」。
「自由」は、「人間」。
対で、イメージの中でものごとを理解する視覚型の私には、
大変理解しやすいイメージでした。
そんでもって。
本当の野生の動物は、
親が、がっちり子どもをしつけるんですよね。
群れの中で、あるいはこの世界の中できちんと生きていけるように。
だから、人間の野放しが、人間であるだけに最悪なんだと思います。
「動物の野放し」と「人間」は、とても分かりやすいイメージです。
私が何かしたくなったとき、
これは動物の野放しだろうか。人間だろうか。
って自問すると、すっと答えが出てきそう。
動物の価値基準は、せいぜい「好きか嫌いか」「損か得か」「上か下か」な気がします。
本能に基づいた反射行動。
人間の価値基準は、
「こうしていると、どうなるだろうか。
自分の行為は、周りへどのような影響を与えるだろうか。
自分の行為の結果、自分も周りも幸せに向かうだろうか。」
な気がします。
理性に基づいた行動。
ニセアドラー全般に感じる気持ち悪さ、
ここだったんだなーって、
これもすっきりでした。
アドラー心理学は、
というか人間は、「自由」を大切にします。
「自由」であることが、人間の、もっとも人間らしいゆえんだと思います。
「好き勝手できるのがアドラー心理学」って思われるのは、違うな、と思います。
長いことぶらさげていたもやもやが晴れて、
とても嬉しかったです。
「私が今からする行動は、人間か、動物か」って、いい価値基準ができたなぁ。