アドラー心理学基礎講座応用編@盛岡 感想 | 自分で自分の人生をデザインする方法

自分で自分の人生をデザインする方法

高校の先生を20年やる中で
3回うつ病を患い、そのたびに復活し、
今は旅館をやりながら
古事記を教えつつアドラー心理学を広めている
謎な人生を送っている人間がもがきながら掴んだ生き方のコツ

8月5日、6日、11日、12日に、

アドラー心理学基礎講座応用編が盛岡で開催されました。

 

いやー、面白かったです!

 

応用編は、2010年、2011年に受講していたのですが、

その頃とはがらっと変わって、

テキストや、勇気づけの歌もあるし、

エピソード分析も入っているし、

マイナーチェンジというよりは、メジャーチェンジのように感じました。

(いやでも、エピソード分析がアドラー心理学の中核だと思います)

 

今回の講座の中で、一番心に残ったのが、「自由」と「好き勝手」の違いでした。

 

私は今まで、 
「自由」と「好き勝手」の区別が難しくて、 

この2つが違うのは分かるんだけど、 
どう違うのか、はっきりつかめていなかったのです。


だいぶ長いことぶらさげていたのですが、 
応用編4日目の「組織とルール」のとき、 
1−Dの権威主義と無政府主義、のところで、大竹さんが、 

「昔は、たとえば家には家長がいて、家長の言うことは絶対でした。 
 昔は、誰も家長にたてつかなかった。みんなが、そういうもんだって思っていたから。 
 昔は、何がいいか、何が悪いかぱしっとありました。 
 そして、昔は決める人が責任を取っていました。 
 今は、誰も決めないし、誰も責任を取らない。何でも好き勝手です。 
 無政府主義と権威主義は、権威主義の方がまだましなんです。 
 無政府主義は、動物の野放しと一緒なんです。 
 このやり方だと、人間育ちません」 

て説明して下さった時、 

「!」 

でした。 

「好き勝手」は「動物の野放し」。 
「自由」は、「人間」。 

対で、イメージの中でものごとを理解する視覚型の私には、 
大変理解しやすいイメージでした。 


そんでもって。 
本当の野生の動物は、 

親が、がっちり子どもをしつけるんですよね。 
群れの中で、あるいはこの世界の中できちんと生きていけるように。 

だから、人間の野放しが、人間であるだけに最悪なんだと思います。 


「動物の野放し」と「人間」は、とても分かりやすいイメージです。

私が何かしたくなったとき、 

これは動物の野放しだろうか。人間だろうか。 
って自問すると、すっと答えが出てきそう。 

動物の価値基準は、せいぜい「好きか嫌いか」「損か得か」「上か下か」な気がします。 
本能に基づいた反射行動。 

人間の価値基準は、 
「こうしていると、どうなるだろうか。 
 自分の行為は、周りへどのような影響を与えるだろうか。 
 自分の行為の結果、自分も周りも幸せに向かうだろうか。」 
な気がします。 
理性に基づいた行動。 


ニセアドラー全般に感じる気持ち悪さ、 
ここだったんだなーって、 
これもすっきりでした。 

アドラー心理学は、

というか人間は、「自由」を大切にします。

「自由」であることが、人間の、もっとも人間らしいゆえんだと思います。

 

「好き勝手できるのがアドラー心理学」って思われるのは、違うな、と思います。


長いことぶらさげていたもやもやが晴れて、 
とても嬉しかったです。 
「私が今からする行動は、人間か、動物か」って、いい価値基準ができたなぁ。