山中伊知郎の書評ブログ -171ページ目

凶悪

凶悪―ある死刑囚の告発 (新潮文庫)/著者不明
¥580
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これだけ話題になっていた事件を知らなかったとは、私もちっと情けねーな。全編、ノンフィクションの迫力にあふれた内容で、読みつつ、その人間臭いひといきれで、トリハダもの。


 話は、ある雑誌記者が、知り合いの紹介で、すでに高裁で死刑の判決が出ている殺人犯に面会する。そして彼のクチから、自分よりもっしとんでもない悪事をおかした人間がシャバでノーノーと暮らしている、との告白を聞かされる。

 やがて、その告白を信じた記者は、綿密な取材によって、その”先生”とあだ名される凶悪犯を次第に追い詰めていく。


 つまり、話の筋立てはそういうことだな。


 構造としては、さほど複雑なわけではないが、これが現実に起きたことであり、もはや一度は自殺や事故死で処理された事件を覆していった過程が、1つ1つ具体的なのだ。


「車のラジオからは、甲子園の高校野球の実況中継が流れていた。大型左腕としてプロが注目する、大阪桐蔭高校の辻内崇伸投手の快投を伝えるアナウンサーの興奮した声が、車外にも漏れ聞こえてきた」


 などといった、ごくさりげない描写が、事件の迫真性をさらに高めている。


 だが、この隠れていた凶悪犯、やってることがエグい。家族にも見放された老人をアルコール漬けにして殺し、生命保険をいただいたり、親切ごかしに老人に近付いてその所有地を売っぱらったあげく殺して埋めたり、失踪したはずの人間の替え玉を作ってその所有地を売っぱらったあげく自殺に見せかけて殺したり。


 いや、ひょっとすると、こいつにばかり驚いてはいけないのかもしれない。独居老人やホームレスなどを食い物にして財産や命を奪って金儲けをする悪人たちは、けっこういるんだろうな。

 たとえば善人顔して、介護施設などを経営し、身寄りのないお年寄りを保護する、なんていいつつ、裏でとんでもない悪事を働いているヤツとか。

 これからの高齢化社会の時代、もっともっと増えていきそうな気もする。どうも、この凶悪犯の悪さを攻撃する前に、そうした連中がのさばっている世の中の方を問題にすべきかもしれない。


 ちなみに、この本に登場した凶悪犯は、最後に顔写真付きで名前も明かされた。事件のすべてが解明されたわけではなかったにせよ、逮捕され、無期懲役の判決を受けたという。

 

 

江戸の女たちの湯浴み

江戸の女たちの湯浴み―川柳にみる沐浴文化 (新潮選書)/渡辺 信一郎
¥1,260
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前に『江戸の女たちのトイレ』という本を読んだことがあるが、同じ著者の書いている同じシリーズ。


いや、今回も、本の中には、江戸時代の女湯を描いた浮世絵だらけで、裸満載。アノ部分もけっこうぱっくりと描かれている絵が多く、「おい、こういうの出して大丈夫かよ」と呼んでるこちら側が心配になるくらい。


ま、トイレや女湯ばっかりでなく、グルメや寺子屋などについても書いているらしいが、この著者、そういう、どちらかといえば庶民生活に密着した、雑多なことが好きなんだろうな。


 江戸時代の人たちにとって、「風呂屋」とは今でいうソープランドに近く、銭湯は「湯屋」と呼ばれてた、なんて話は、飲み屋で喜ばれそうなウンチクだな。

 湯船の手前に「石榴口」という入口が設けられ、なるべく湯船は蒸気がもうもうとして、お湯がはっきりとは見えないようなつくりななっていた、なんて話も使える。一度使ったお湯の再利用とかを、うまくごまかせるし。


 それと「混浴話」。江戸時代、けっこう銭湯でも混浴の習慣が続いていて「入れ込み湯」といわれ、男の女へのおさわりなんかもしばしばだったという。

 

 江戸っていえば、幕末になるまで、男女比で男が圧倒的に多かったというから、「女に飢えてる」男の数もハンパでなかったろう。そんな中で混浴が続いていたとしたら、そりゃいろいろ起きるよ。


 前に書いた『混浴宣言』でも書いたが、男って、混浴だと聞いても、「わ、入りたい」と思うよりは、まずは気後れする。「気を使いそうでヤだな」と思ってしまう。少なくとも私は。

 だから別に江戸の男を羨ましいとは感じないな。


サラ金道

サラ金道―金の借り方返し方裏の道 (講談社プラスアルファ文庫)/大久保 権八
¥880
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サラ金と25年間も渡り合い、とにかく必死で金を返済し続けた著者が書きつづったサラ金論。


ほとんどパラノイアといえるほどサラ金各社に通い続けただけあって、その内容のひとつひとつに迫力があり、ツブだっている。10年前の本なので、ネタそのものは古くなっていても、読み物としては古くない。


たとえば、世の中的には、金利が安いほど良心的、というイメージがあるが、サラ金利用者にとってはまったく意味が違い、金利が高いサラ金ほど困っている人にも門戸を開放し、より多いリスクを背負う「良心的業者」、という指摘には、その中にどっぷり浸かった人間だけがわかる説得力がある。 


 「武富士」と「プロミス」では、同じサラ金でありながらまったく店内の雰囲気が違う、なんて話も興味深い。お客を必ず「さん」づけして親しみやすさを強調する武富士に対して、プロミスはまるで空港の発券カウンターのように事務的なのだそうだ。そういうのって、行ってみないとわからないしな。ま、あくまで10年前のことだが。


 面倒なクレームなどは、多くのサラ金は「内規で決まってますから」と、やたら「ナイキ」という言葉を使って逃げるエピソードも、さもありなん、だ。


 著者の、全身全霊を使って、期限内に借入金を返し、また次の融資額を獲得しようとするバタバタぶりは尊敬に値するくらいだ。


が、正直、これだけ借金に使うエネルギーがあったら、早目にとっととすべてを完済し、サラ金と縁を切ることもできたんじゃないか、とも思わざるを得ない。


たぶんこの人、サラ金のカウンターに通うのが好きなんだな。 

 

混浴宣言

混浴宣言 (サライBOOKS)/八岩 まどか
¥1,575
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 ちょうど那須塩原から新幹線で帰ろうとする車内、この本を開くと、まず著者の塩原、那須の混浴めぐりの話から始まっていた。

 あ、時間の余裕があれば、オレも混浴、入ってきたかったな、とまずフッと思ったのが、このホンとの最初の出会い。

 本の中身は、 混浴の心地よい解放感から始まって、日本における混浴の歴史に進んでいく。

 そうか、江戸時代においては、銭湯での混浴は、体制側が風紀を乱すから、とたびたび禁令を出したのに、けっこうしぶとく続いていたのだな。

 

 寛政の改革を主導した松平定信などは、子供を作るために側室をおいたくせに2か月も手を出さなかったくらいの「禁欲主義者」で、彼からしたら混浴なんて不埒な習慣は即刻、なくしてしまうべきものだったらしい。

 

 でも、習慣は残ったのだな。それから明治期に入り、近代化の中で混浴という「前近代」なものを根絶しようと体制側が考えても、根は途絶えなかった。しかも、戦後はしばしば「混浴ブーム」も起こっているらしい。

 ひなびた田舎の温泉で、男女の分け隔てなく、裸の付き合いが出来るとしたら、確かに悪い話ではない。しかも、そのブームの牽引車が、多くは若い女性とも・・・。

 いや、この本読みつつ、それでは果たして自分が混浴の風呂に入ったらどんな反応をするだろうか、なんてずっと考えてしまった。

 本の中に登場する、気楽に女のコにも話しかけられるサバケたオッサンにはとてもなれそうもないな。

 実際、20年くらい前、山梨の温泉に取材で行って、入った風呂が混浴だったことがあった。オバサンばかりでなく、若い女の子も入って来ていたが、私はとても彼女たちの方を見ることはできず、隅っこでずっと湯船につかっておりましたね。とてもHな気分になる心の余裕もなかった。

 まー、情けない。

 どうも、混浴は「男の器」がわかる、いい鏡かもしれない。

  

派遣のリアル

派遣のリアル (宝島SUGOI文庫)/門倉 貴史
¥480
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この本を読みながら、「あ、そういえば近頃、あまり『派遣』という言葉を聞かなくなったな」とフト思った。かつての「派遣村」あたりのがピークで、それからだんだん話題に出る頻度が減って来ている。


別に、いわゆる派遣社員が急に減ったわけでもないだろうし、彼らの待遇が劇的に良くなったわけでもないだろうに。


 どうしてなんだろう? とこの本を考えつつ読んでいくと「使い捨てられる女性派遣」「ネットカフェ難民」など、けっこうお馴染の項目が次々と出てくる。 そうか、さんざテレビのニュースで報道されたような内容で、さほどビックリするような新しい情報がないのだな。

 わずか2年前の本にもかかわらず、どうも「古い」のだ。

 

 「現実と理想のギャップが大きい派遣の世界」といわれても、「あ、それ、前にテレビで見たよ」なのだ。


 この本を読むうちに、その中身よりも、流行した言葉や事柄って、マスコミが大量消費し、やがてポイ捨てされていくのかな、とそちら側が気になった。