終わらせます⑥ 独立と別れ | 山本義幸 シルバーアクセ デザイナーブログ

山本義幸 シルバーアクセ デザイナーブログ

シルバーアクセサリーのデザイナー&クリエーターとして自らの製作や想いを語ります。F.A.Lなどのブランドアクセサリーからアーティストコラボのアイテムやグッズ、アート作品としてのオブジェなど、製作活動についてのあれこれをお伝えします。



終わらせます話しはこれで最後です。



Mad Graffitiの憂はVenom Glowから独立することになりました。


来年から憂は個人で行う事業としてMad Graffitiを進めていくそうですよ。



こだわりのラーメン屋の話のようになるのかな?


きっと独りでもたくさんのお客さんに喜んでもらえるMad Graffitiとして育てていくんでしょうし


もしからVenom Glowでの経験を活かして

チームMad Graffitiが作られていくような


次は経営者となった憂がさらに面白いことを成し遂げていくのかもしれませんしね。


とにかくいまのオレにできることはこれからの憂のチャレンジに気持ちの良いスタートを切らしてあげられたらなと思うばかりです。



 

色々と昔を振り返りながら憂の立場になって気持ちを思い返してみたりもしました。



きっと


やめていった設立メンバーも


やめていったスタッフも


みんな自分の人生を少しでも理想的な物語にしたいのは同じですからね。


自分のことを幸せにできない人は


他人のことを幸せにしてあげることはできないはずなので。



人生は悩みながらも選択と決断の繰り返しですが


できればもらった縁を断ち切らないように


できれば作った物や場所がつながっているように


そんな選択ができれば理想的ですけど


誰かの期待を断ち切ってまでも自分のやりたいことを選択することが


悪いことだとも思っていません。




そんな自分も人生の中で期待を断ち切ってしまった思い出があります。



 

F.A.Lで独立する2006年よりも前の時代の自分。


僕の実家は両親が料理屋を営んでおりまして


父親が幼少期に食べる物にも困るほど貧乏でしかたのなかった時代を乗り越えて


僕は両親が一代で成功させたそれなりに大きい飲食店の長男として生まれました。


両親たちは僕が物心つく前から店の跡取息子だと


親の期待を一心に受けちゃったりなんかして


実家の家業を継ぐことを子供の頃から当たり前のことだと感じながら育ち、料理人をしていた時代がありました。


僕の歳にして17歳くらいから20歳くらいの頃の時代はアパレルのファッション誌でシルバーアクセブランドの特集ページが組まれたりと


まさにこれからブームになるみたいな時代で


いち早く手に入れていたロックスターの方々が

カッコよくファッション誌の誌面を飾っていたような時代でもありました。


学生時代から音楽も大好きで、バンドをしたりと趣味では色々とやってきましたが、その中でも最終的にのめり込んでいった趣味がシルバーアクセサリーの製作だったわけです。


当時は趣味で彫金をしながら、料理の仕事もたいして本腰がはいらないような中途半端な不良だったんだと思います。


趣味で作ったいたアクセサリーをしだいに周りが褒めてくれるようになって


だったら売ってみたい


雑誌で取り上げられるようなブランドを作りたいなんて思っちゃうことになるんですが、、、


当時はまだインターネットの普及もそこそこな

ネットの通信の規格もISDNからADSLに移り変わっていくような時代で


個人でインターネットを使い、ホームページを作って、自分の作ったシルバーアクセサリーを販売する


みたいなことを始める趣味の人たちが少しずつ出てきたような時代でもありました。


名古屋のクリエーターズマーケットに出てみたり


カットスロートっていう企画に参加してみたりと


もしかしたらアクセサリーをつくる仕事を職業にできるかも?


と、思ってしまった僕は


親の期待を断ち切るように今のF.A.Lで独立をすることを決断したのです。


親の期待と自分のやりたいことのどちらを取るかを天秤にかけ


自分のやりたいことを選択したわけです。


もちろん今でもふと思うことは実家を継がないと選択した僕にたいして


そのときの父親の気持ちはどんな感じだったのか?



うちの親父はなかなかの昔かたぎな職人気質でして


そりゃーもう跡を継がないなんて話しをした当時は


生きた心地がしないような



お互い胸ぐらつかんで喧嘩するような日々が続いていたわけなんですが、、、


まともな話し合いも相談もできるばすもなく


独立しようかと考えはじめて独立するまでに半年程度で飛び出したなんて記憶です。


最終的には一方的に自分から土下座までして


両親には店を継ぐことを諦めてもらい


独立をすることを選びました。


そりゃもう家族全員をがっかりさせてしまいましたね。。。


地元でご商売をされているような方たちも利用してもらっていたお店だっただけに


お付き合いのある方々からは頭ごなしに反対もされましたしね。。。


ってな感じの周りにがっかりされることで始まる独立だったわけですが、、、



そんな感じでの独立宣言でしたので


親父の言葉は、


親子の縁を切るって意味の「勘当だ」って言葉になるのは同然で。


そこから10年間は実家に顔を出しても一言も話もしてくれないような完全無視状態が続いたわけなんですが。。。


 もちろん親父は今も元気に家業を続けておりまして


いまは僕もそれなり独り立ちできてしっかり仕事していることを認めてくれていますんで


わりと仲は良いですよ。


昔のことなんて無かったことのように思えるほどに


仕事のこともこれからのこともいまは笑いながら話せるような関係です。


 

でもまぁ、


やはり実家の商売を捨ててまで


親の期待を断ち切ってまで自分のやりたいことを選んだという事実は


自分もそれなりに責任を感じてきただけに


まだあの当時に突き付けられた


「勘当」って言葉を


いまもまだ親父のそのときの想いまでは

聞くことができていないままでいますが。


とはいえ、


いまの仕事に失敗して両親に助けを求めたとしても


何かしら受け入れてくれるであろう両親だったことは確かですが


失敗するかもなんて独立するやつなんていないですもんね。


当時の自分は


親の期待も地元の友達との関係も、


自分に甘えになるようなすべてを断ち切らないと

成功できないような捨身な感覚でもありました。


だからこそ独り背水の陣で仲間を置き去りにしてしまうほどの無謀な突き進み方をしていくようなことになっていくのですが、、、




自分の独立体験はそんな経緯でしたが、


 今度は考えもしていなかった


独立を送り出すことになる逆な立場になってしまったみたいで。



 

F.A.Lで独立して、まもなくしてユウと出会って、


一緒に作ってきたVenom Glowから憂が独立していくという事実は


僕がが家業を継がなかったことでの独立したこととは全然ちがうけど

 

憂の独立の話は


3年も話し合ってきたことですしね


その時々でどうやって受けとめれば良いのか


続けていってほしいという気持ちもあれば


辞めてもらってF.A.Lだけで好きにやっていけばすこしは楽になるのかもな


なんて気持ちとか複雑な心境でした。


 

もちろん経営的な話もたくさんしてきたし、


どちからといえば気持ち良く独立を認めるための

こちらも腹をくくるために必要な3年間でした。

 


それでも憂の本心の


根っこの根っこまではオレもよくわかりませんし

 

冷静に経営だけ考えれば誰も得はしないし

こんな時代にリスクしかないような話。


 相談にのってくれていた周りの友達たちも


「止めるべき」とか「反対だわ」って


言葉しか無かったような話でしたが


いまのVenom Glowと


いまの憂のことを親身に思って


できるだけ危険が回避できるようにと。


心配すればこその話で。

 


でも、


ギャラリーとスタジオで取り扱いをさせていただいているガルディアのヒロさんは


ご夫婦で独立されたこともあり、


「憂くんにとっては良いことだと思う」


「同じ様な境遇で憂くんの気持ちがわかる」


といってくれていました。



そこに多少の危険があっても中途半端は親心で進もうとする覚悟は止めるべきではないのは


自分自身もやりたいことを選んできた経験があるだけに共感はしてあげられる。


あとは経営に対しての保身。


それでも


自分とは違う道を進もうとする人を無理に会社に縛り付けておいてまで


会社を守ろうなんて考えはただの保身でしかない都合の良い話ですもんね。


結果、人を大切にしていないことと同じだろうし。




憂との独立相談はすごく色んな話ができたうえで


お互い納得できているVenom Glowからの脱退でもあって。


これについて本人が覚悟を決めたのなら

周りがこれ以上の詮索をするようなこともやめてあげてほしいって気持ちでもありますが

 

この終わらせますのブログは


僕自身の覚悟を決めたことへの意思表明みたいな意味で書かせてもらっていますが


同時にこれから独立をしようとする憂にとって


他愛もない憶測な噂話しとして影で悪く言う人も少なからずいて迷惑だなって思うこともあるんで


すこし赤裸々すぎたかもしれませんが


憶測で悪く言われるくらいなら


恥ずかしいことないし全部自分の口から曝け出してしまおうってことでもありました。



 

今年はF.A.L TOKYOの上野への移転も無事に終わり


今年の最後はギャラリーベノムグロウの閉店と


Mad Graffitiの独立。



 

考えただけでも今年の初めは死ぬほど悩みましたし


色々と思い返してみても憂には

いままでVenom Glowの力になってくれてありがとうという気持ちで送り出してあげたいなとは思うばかりです。


 

ただ、今の時点でMad Graffitiとして独立するまでの色んなハードルをすべてクリアできているわけでもないので、


このギャラリーベノムグロウを閉店させた先に


Mad Graffitiがどのようになっていくのかは


憂の力量しだいということで見守っていこうと思います。

 


そして現実的な話し、


この話しは会社の一部事業の売却譲渡って話なんですよ。


このシルバーアクセの業界にも限らず

ビジネスの世界ではブランドの権利や資産売却って

普通に行われてきた実情。

 

歴史あるブランドでも


創立のデザイナーといまのブランドのデザイナーが変わってしまいながらも


続けられているなんてことはアクセサリーのブランドに限らずビジネスの世界では普通のことだし、


ブランドデザインのパクリ問題などの権利の話から


経営悪化によるブランド権利の売却まで


大人の世界ってそれなりに大変なんだなあ〜


って痛感するのは


現場で闘ってきた人だけにしかわからないような話でしょうし


それこそ大人ならおおやけに話すようなことでもないのでしょうが



まずはMad Graffitiが個人の事業として自分の力だけでスタートを切れるかが、来年の憂にとっては死ぬ気で越えなきゃならないひとつ目の大きなハードルになることでしょうし


そういった意味では現時点ではまだ独立というスタートラインには立てていない状況なので。


 

なんにせよ


Venom GlowでのMad Graffitiのマネージメントは

今年を最後に終了させると

僕のなかでは明確に決めていることは確かです。



そして


来年からは岡崎市のSTUDIO Venom Glowでも

取り扱い販売も終了することを決めています。


WEBサイトでの通販なども来年から徐々にってことになるのでしょうがVenom Glowからの販売は終了していく予定でいます。


 

「厳しすぎない?」っていってくれた友達ももちろんいましたけど


オレもこれからのVenom Glowとして

さらなる覚悟を決めなきゃいけない正念場だとも思うので。

 

中途半端な姿勢が一番良くないってことは20年前に自分が独立の覚悟を決めたときの話で


お互いわかっていることだと思うので。

 


そして僕の思うことは

 

当時に自分の父親に言われた「勘当だ」って言葉の意図はいまも直接は親父の口から聞けていないけど



当時の自分としては親父が言ったその言葉を



「もう誰にも頼ることのできない自分だけの挑戦をすることを選ぶんだから死ぬ気で成功させる覚悟を決めろよ」って



突き放しの愛情の意味として受け取ったんです。


 

そう思えてきたからこそ


このVenom Glowでの12年間の期間で、


「もうダメかも」とか


「オレなにやってんだろ」って


落胆することがあっても


前の仕事に引き返すことや別の仕事に転職するとか


いまの事業を諦めることの選択肢の一切を想像しなかった


不屈のパワーになった言葉だとも感じているので。



 

言葉の文字通りに受け取れば、負の力しか無い言葉ですが、言葉の語源をたどれば

与えられたルールや恩義とかを振り払ってまで覚悟を決めるにはもってこいの言葉のような。


 

だからこそ、あえて、ユウにもいままでの感謝の意味を込めて


 

今年の12月の最後の日には


ありがとうって意味の感動と

自分が父親の言葉に感じた勘当って言葉の


2つの意味を込めて


 

「おまえなんてかんどうだ!!」って言ってやろうと思います。

 


 さて


親父は息子の勘当と同時に自分の世代で店を終わらせる覚悟をしたのかな?


いや、別の他人に引き継がせることだってできたはずだけど。


また今度会ったときに聞いてみようと思います。

 

 


ギャラリーベノムグロウは

2021年、今年の最後12月まではいままで通りにMad Graffitiの旗艦店として営業を続ける予定になっています。


でも

 

最後の12月のどこかの日に


自分のケジメとしても


最後はオレもお店に立って


彫金机に向かって


F.A.Lでのイベントで幕を閉じさせてもらおうと思っています。



 

そのときにはぜひ


オレがユウに言い放つ


「おまえなんてかんどうだ!!!!」


を見届けにきてくださいね。

 

 

 


あ、



 

セースケには前にこの件で電話したんですが


そのときは最後のイベントに来てくれるっていってましたよ。

 

セースケには


おまえなんてかんどうだ!って


言ってあげてないけど


はたして今は何か成功したろのだろうかね????



 

これ読んであせってるあいつの顔が目に浮かびますが。。。笑


そして最後はけっきょく

端からおいしいところを奪っていくような

 

そーゆー愛されキャラだったね、セースケさん。

 

 

セースケも


幸せそうな家庭を築いて


仕事も頑張っているって話をそれとなく聞いているので。


オレが心配するようなことでもないですが。



 

誰だって今の自分のことが心から好きと言えて


それなりに幸せだわって言えてるなら


それが全力で成功ってことですよね。

 


 

そして「終わらせます」で思い返して


なによりも1番楽しかった思い出は


ギャラリーベノムグロウが名古屋にオープンしてから始まりの頃の時代にやっていたイベントのこと。


ただの子供の集まりな

はちゃめちゃはイベントだったなと。

 

イベントで顔面ケーキクラッシュしたりとか

クリスマスでベノムさん大暴れとかさ。

 

もうお店も最後だし


その場でベノムさんに


店を破壊してもらってもいいかもしれんよね。


それはやりすぎか。。。笑

 



最後の日はセースケに1日店長やってもらって、


セースケの「はい、解散」のかけ声で終われば良くない?

 

んで、顔面ケーキクラッシュの思い出話は

当日のネタ振りだからね。


ユウとセースケ。笑


はい、セースケ、なんでオレまで!って言わなーーーい。


きっとお客さんが店ん中が生クリームだらけになるほどのケーキを買ってくれることでしょう。


 

12月までにコロナ落ち着いてると良いよな。。。。

 


あ、のりちゃんは


セースケに電話したときにいまも生きてるってことだけは聞いたけど


よくわからんのでセースケうまいことやっといて。笑



 

4人そろえばスタートのときと一緒だね。

 

大爆笑してギャラリーベノムグロウの最後と

Mad Graffitiの独立の成功を祈って

終われたら最高だけど。
 


また、今年最後の楽しみにってことで。



 

うん、この考え方がオレらしいと思うので。


どーなるかはしらんけど。笑

 

 

 

って、ことで、「終わらせます」の巻きはこれにて終了です。

 

 

こんな長いブログを書いていたら


毎日が仕事になりませんので


ブログもぼちぼちサボりたい。。。




そして、一方的な長い文章を読んでいただいた方々、本当にありがとうございました。


おかげでしっかり気持ちの整理ができました。




そして、そして、

 

このままでは来年からVenom Glowはどうなるの?ってな話でもありますので、

 

この続きはちょっと早いかもしれないけど、

来年の展望と目標などを


夢のある話ししたいなーーーってことで。

 

 


ちょっとおサボり期間をいただきつつ、、、



 

→「それでも進みます①」に続きます。