太宰治「トカトントン」は魔法の言葉
月曜日、さあ、1週間の始まりだね。
気合いを入れていこう。
今週ぼくが午前中に最初にしたことは、太宰治全集を引っ張り出してきて本棚のいちばん手前に並べたことだ。筑摩から昭和33年に出た古いバージョンのほうです。
あ、そうそう。
その前に。
谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」はかなり前に読み終えたんだが、自分の中で評価が定まらないのでここに感想を記すのを控えていた。読み終えたすぐは、「さすがについていけなよなァ」と思っていたのだが、時間が経つうちに小説の中の言葉が、浜辺を繰り返し洗う波のように迫ってくる。「瘋癲老人日記」は、川端康成の「名人」が傑作だというのと同じ意味において(つまりもの凄い集中力を1行目からフィニッシュまで持続させているという意味において)、日本文学史上に燦然と輝く傑作だと言わざるを得ない。谷崎潤一郎という作家は、さすがに大きいね。負けました。
で、今度は太宰を最初から全部読み返すつもりです。うまくいったら、「太宰治論」を書いて出版したい。ぼくにしか書けない太宰治像があると思っているので。「『人間失格』はそう読むんじゃないんだよ、あれはさ……」というような本を書きたい。
その太宰治に「トカトントン」という短編小説 がある。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2285_15077.html
『群像』に発表された短編で、或る復員兵が太宰に出した手紙がベースになっている。新人賞をもらった後、受賞第一作を『群像』の編集部に渡した時に、ぼくは不意に思ったものだった。
太宰治が「トカトントン」を発表した雑誌だもんなァ、俺もちゃんと書かないとな、と。
この短編は、一種のユーモア小説として読むべきだというのがぼくの意見なんだよね。
昭和二十年八月十五日正午に、私たちは兵舎の前の広場に整列させられて、そうして陛下みずからの御放送だという、ほとんど雑音に消されて何一つ聞きとれなかったラジオを聞かされ、そうして、それから、若い中尉がつかつかと壇上に駈けあがって、
「聞いたか。わかったか。日本はポツダム宣言を受諾し、降参をしたのだ。しかし、それは政治上の事だ。われわれ軍人は、あく迄(まで)も抗戦をつづけ、最後には皆ひとり残らず自決して、以て大君におわびを申し上げる。自分はもとよりそのつもりでいるのだから、皆もその覚悟をして居れ。いいか。よし。解散」
そう言って、その若い中尉は壇から降りて眼鏡をはずし、歩きながらぽたぽた涙を落しました。厳粛とは、あのような感じを言うのでしょうか。私はつっ立ったまま、あたりがもやもやと暗くなり、どこからともなく、つめたい風が吹いて来て、そうして私のからだが自然に地の底へ沈んで行くように感じました。
死のうと思いました。死ぬのが本当だ、と思いました。前方の森がいやにひっそりして、漆黒に見えて、そのてっぺんから一むれの小鳥が一つまみの胡麻粒(ごまつぶ)を空中に投げたように、音もなく飛び立ちました。
ああ、その時です。背後の兵舎のほうから、誰やら金槌(かなづち)で釘(くぎ)を打つ音が、幽(かす)かに、トカトントンと聞えました。それを聞いたとたんに、眼から鱗(うろこ)が落ちるとはあんな時の感じを言うのでしょうか、悲壮も厳粛も一瞬のうちに消え、私は憑(つ)きものから離れたように、きょろりとなり、なんともどうにも白々しい気持で、夏の真昼の砂原を眺め見渡し、私には如何(いか)なる感慨も、何も一つも有りませんでした。
そうして私は、リュックサックにたくさんのものをつめ込んで、ぼんやり故郷に帰還しました。
──「トカトントン」より
この主人公はそれから、人生の大切な場面、今まさに恋愛が実りきれいな女の子と結ばれようとする瞬間とか、仕事の大事な場面で、トカトントンという幻聴が聞こえて、「何ともはかない、ばからしい気持になるのです」ということになる。
人を喰った小説なんだよね。
で、ここにニヒリズムを感得したりすると、太宰を読み誤る。
ある女の子がこう言っていた。
「あれ、なんだか小馬鹿にされたような気がして、でも笑っちゃうのよね。大好きな短編だなァ」
この読み方が正しい。
ぼくにもそういう音がある。
この文章を読んでくれているあなたにだって、そういう音があるのではないだろうか?
ぼくの場合、それはストーンズのJumpin' Jack Flash のイントロのリフである。あのキースのリフが、頭の中でこんなふうに聞こえることがあるのだ。
か、か、か、関係ねーぜ、チャララーンッ
か、か、か、関係ねーぜ、チャララーンッ
こいつが、2年間勤めた会社に辞表を出した直前とか、惚れた女が他の男とどこかへ行ってしまった時とか、大切な師匠に叱られた時とか、親友と大喧嘩した夜とか、突然聞こえてくる。
すると、それまでクヨクヨ悩んだり迷ったり泣いたりしてたのに、晴れ晴れとした顔になってしまうから不思議である。
太宰治は、愛にあふれた誠実な天才だと言うしかない。でも、「トカトントン」という音を実際に聴いたのは或る復員兵の人だった。太宰は孤独な天才だったわけではない。彼は彼を愛する多くの読者や女達の声に耳を澄ませる人だった。
そこが、いい。
トカトントン
ほら、君にも聞こえるでしょう。
PS コメント、いろいろありがとう。今日はこれから忙しくなるので、明日レスいれます!
気合いを入れていこう。
今週ぼくが午前中に最初にしたことは、太宰治全集を引っ張り出してきて本棚のいちばん手前に並べたことだ。筑摩から昭和33年に出た古いバージョンのほうです。
あ、そうそう。
その前に。
谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」はかなり前に読み終えたんだが、自分の中で評価が定まらないのでここに感想を記すのを控えていた。読み終えたすぐは、「さすがについていけなよなァ」と思っていたのだが、時間が経つうちに小説の中の言葉が、浜辺を繰り返し洗う波のように迫ってくる。「瘋癲老人日記」は、川端康成の「名人」が傑作だというのと同じ意味において(つまりもの凄い集中力を1行目からフィニッシュまで持続させているという意味において)、日本文学史上に燦然と輝く傑作だと言わざるを得ない。谷崎潤一郎という作家は、さすがに大きいね。負けました。
で、今度は太宰を最初から全部読み返すつもりです。うまくいったら、「太宰治論」を書いて出版したい。ぼくにしか書けない太宰治像があると思っているので。「『人間失格』はそう読むんじゃないんだよ、あれはさ……」というような本を書きたい。
その太宰治に「トカトントン」という短編小説 がある。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2285_15077.html
『群像』に発表された短編で、或る復員兵が太宰に出した手紙がベースになっている。新人賞をもらった後、受賞第一作を『群像』の編集部に渡した時に、ぼくは不意に思ったものだった。
太宰治が「トカトントン」を発表した雑誌だもんなァ、俺もちゃんと書かないとな、と。
この短編は、一種のユーモア小説として読むべきだというのがぼくの意見なんだよね。
昭和二十年八月十五日正午に、私たちは兵舎の前の広場に整列させられて、そうして陛下みずからの御放送だという、ほとんど雑音に消されて何一つ聞きとれなかったラジオを聞かされ、そうして、それから、若い中尉がつかつかと壇上に駈けあがって、
「聞いたか。わかったか。日本はポツダム宣言を受諾し、降参をしたのだ。しかし、それは政治上の事だ。われわれ軍人は、あく迄(まで)も抗戦をつづけ、最後には皆ひとり残らず自決して、以て大君におわびを申し上げる。自分はもとよりそのつもりでいるのだから、皆もその覚悟をして居れ。いいか。よし。解散」
そう言って、その若い中尉は壇から降りて眼鏡をはずし、歩きながらぽたぽた涙を落しました。厳粛とは、あのような感じを言うのでしょうか。私はつっ立ったまま、あたりがもやもやと暗くなり、どこからともなく、つめたい風が吹いて来て、そうして私のからだが自然に地の底へ沈んで行くように感じました。
死のうと思いました。死ぬのが本当だ、と思いました。前方の森がいやにひっそりして、漆黒に見えて、そのてっぺんから一むれの小鳥が一つまみの胡麻粒(ごまつぶ)を空中に投げたように、音もなく飛び立ちました。
ああ、その時です。背後の兵舎のほうから、誰やら金槌(かなづち)で釘(くぎ)を打つ音が、幽(かす)かに、トカトントンと聞えました。それを聞いたとたんに、眼から鱗(うろこ)が落ちるとはあんな時の感じを言うのでしょうか、悲壮も厳粛も一瞬のうちに消え、私は憑(つ)きものから離れたように、きょろりとなり、なんともどうにも白々しい気持で、夏の真昼の砂原を眺め見渡し、私には如何(いか)なる感慨も、何も一つも有りませんでした。
そうして私は、リュックサックにたくさんのものをつめ込んで、ぼんやり故郷に帰還しました。
──「トカトントン」より
この主人公はそれから、人生の大切な場面、今まさに恋愛が実りきれいな女の子と結ばれようとする瞬間とか、仕事の大事な場面で、トカトントンという幻聴が聞こえて、「何ともはかない、ばからしい気持になるのです」ということになる。
人を喰った小説なんだよね。
で、ここにニヒリズムを感得したりすると、太宰を読み誤る。
ある女の子がこう言っていた。
「あれ、なんだか小馬鹿にされたような気がして、でも笑っちゃうのよね。大好きな短編だなァ」
この読み方が正しい。
ぼくにもそういう音がある。
この文章を読んでくれているあなたにだって、そういう音があるのではないだろうか?
ぼくの場合、それはストーンズのJumpin' Jack Flash のイントロのリフである。あのキースのリフが、頭の中でこんなふうに聞こえることがあるのだ。
か、か、か、関係ねーぜ、チャララーンッ
か、か、か、関係ねーぜ、チャララーンッ
こいつが、2年間勤めた会社に辞表を出した直前とか、惚れた女が他の男とどこかへ行ってしまった時とか、大切な師匠に叱られた時とか、親友と大喧嘩した夜とか、突然聞こえてくる。
すると、それまでクヨクヨ悩んだり迷ったり泣いたりしてたのに、晴れ晴れとした顔になってしまうから不思議である。
太宰治は、愛にあふれた誠実な天才だと言うしかない。でも、「トカトントン」という音を実際に聴いたのは或る復員兵の人だった。太宰は孤独な天才だったわけではない。彼は彼を愛する多くの読者や女達の声に耳を澄ませる人だった。
そこが、いい。
トカトントン
ほら、君にも聞こえるでしょう。
PS コメント、いろいろありがとう。今日はこれから忙しくなるので、明日レスいれます!