過去を変えることだって不可能ではないんだ
" MAMA YOU BEEN ON MY MIND "の歌の主人公は、きっともう二度と会うことはない母親を許している。ぼくはそう思うな。
自分もまた、母親に許してほしいと願っている。
だからこそ、悲しみの感情があふれてくる。なにかを許すことで、人は悲しみの感情に包まれることになるのかもしれないね。
そして、おそらく、許すことができた瞬間に、過去の一点が持つ意味は変わるんだ。つまり、ぼくらは過去を変えることができる。そのためには、思い出したくない過去の一点に、一度帰らなければならない。
もちろん、性的ないたずらをされたとか、もっと酷いこととか、許せないことだってたくさんあるだろう。そういう時は、子供だった自分を許してあげればいいんだ。まだ小さな子供だったあなたは、どうすることもできなかったんだ。
子供だった自分を責めずに、抱きしめて、少しずつ癒してあげればいい。
過去は絶対に変更できないもので、嫌なことは忘れてしまうしかない。そんなことはないはずだ、とぼくは思う。
もっとシンプルに、画家やデザイナーやダンサーになりたいとか、シンガーになりたいとか、あなたはそんな夢を持っていたのかもしれない。そのためにいろいろな努力をして、たとえば今、二十五歳だ。夢はまだ実現できていない。
さて、この道しかないと思い込んでいる、あなたの足跡がついているその道は、ほんとうにそれ以外にはあり得ないたった一本の道だったのだろうか。どこかに分岐点があったかもしれないよね。
記憶を辿り、それを思い出すのはとても大切なことだよ。
スタートはごくシンプルな憧れや夢だったのを思い出したかな?
デザイナーだとか画家だとか、そんな具体的な職業のことを、子供だったあなたは考えただろうか。そうではなくて、「誰かと感動をわかちあいたい」ということだったのかもしれないよ。
それが途中で変わってしまったのは何故だろう。
大人になったから?
環境が変わったから?
一度失敗したから?
自分自身が変わってしまったからかもしれない。
たんに「好き」からはじまったことが、複雑になってしまったようだね。
分岐点はどこだったんだろう?
分岐点というのは、後になって振り返ってみないとけっしてわからないんだ。
ぼくのように、年齢を重ねてくると、ああ、あそこが小説家になる分岐点だったんだなっていうポイントが必ずある。若いあなたにはまだそんな分岐点にきていないのかもしれないし、でも見すごしてきてしまったかもしれないよ。そこに戻ってやり直すことだって不可能ではないかもしれない。
スタートはごくシンプルだった。
その時の自分を思い出してみよう。
なんの計算もなく、ただこれが好きだからという純粋な自分がいるはずだ。そんな自分を思い出せれば、人は、何度でもやり直せるものだよ。
早稲田の学生だった頃、ぼくは学生新聞の編集長で、小説ではなく批評やエッセイばかり書いていた。就職せずに、新聞サークルをそのまんま出版社にしたかったんだ。でもそんなの無理だよなと思い、迷っていた。四年生の時に文芸雑誌で小説の賞をもらい、ひとつの夢をあきらめて、作家デビューした。それが分岐点だった。
この本の版元であるアメーバブックスは、ぼくが何人かの仲間といっしょに作った出版社なんだ。「イージー・ゴーイング」が、記念すべき第一冊めの本になるんだよ。つまりぼくは五十歳を過ぎてから、遥か昔の分岐点に戻って、やっともうひとつの夢の実現に向けて再スタートを切ったというわけだよ。
きっとあなたはぼくよりずっと若いんだろうと思う。
大丈夫、きっとうまくいくよ。
(Photo by Mayumi)
自分もまた、母親に許してほしいと願っている。
だからこそ、悲しみの感情があふれてくる。なにかを許すことで、人は悲しみの感情に包まれることになるのかもしれないね。
そして、おそらく、許すことができた瞬間に、過去の一点が持つ意味は変わるんだ。つまり、ぼくらは過去を変えることができる。そのためには、思い出したくない過去の一点に、一度帰らなければならない。
もちろん、性的ないたずらをされたとか、もっと酷いこととか、許せないことだってたくさんあるだろう。そういう時は、子供だった自分を許してあげればいいんだ。まだ小さな子供だったあなたは、どうすることもできなかったんだ。
子供だった自分を責めずに、抱きしめて、少しずつ癒してあげればいい。
過去は絶対に変更できないもので、嫌なことは忘れてしまうしかない。そんなことはないはずだ、とぼくは思う。
もっとシンプルに、画家やデザイナーやダンサーになりたいとか、シンガーになりたいとか、あなたはそんな夢を持っていたのかもしれない。そのためにいろいろな努力をして、たとえば今、二十五歳だ。夢はまだ実現できていない。
さて、この道しかないと思い込んでいる、あなたの足跡がついているその道は、ほんとうにそれ以外にはあり得ないたった一本の道だったのだろうか。どこかに分岐点があったかもしれないよね。
記憶を辿り、それを思い出すのはとても大切なことだよ。
スタートはごくシンプルな憧れや夢だったのを思い出したかな?
デザイナーだとか画家だとか、そんな具体的な職業のことを、子供だったあなたは考えただろうか。そうではなくて、「誰かと感動をわかちあいたい」ということだったのかもしれないよ。
それが途中で変わってしまったのは何故だろう。
大人になったから?
環境が変わったから?
一度失敗したから?
自分自身が変わってしまったからかもしれない。
たんに「好き」からはじまったことが、複雑になってしまったようだね。
分岐点はどこだったんだろう?
分岐点というのは、後になって振り返ってみないとけっしてわからないんだ。
ぼくのように、年齢を重ねてくると、ああ、あそこが小説家になる分岐点だったんだなっていうポイントが必ずある。若いあなたにはまだそんな分岐点にきていないのかもしれないし、でも見すごしてきてしまったかもしれないよ。そこに戻ってやり直すことだって不可能ではないかもしれない。
スタートはごくシンプルだった。
その時の自分を思い出してみよう。
なんの計算もなく、ただこれが好きだからという純粋な自分がいるはずだ。そんな自分を思い出せれば、人は、何度でもやり直せるものだよ。
早稲田の学生だった頃、ぼくは学生新聞の編集長で、小説ではなく批評やエッセイばかり書いていた。就職せずに、新聞サークルをそのまんま出版社にしたかったんだ。でもそんなの無理だよなと思い、迷っていた。四年生の時に文芸雑誌で小説の賞をもらい、ひとつの夢をあきらめて、作家デビューした。それが分岐点だった。
この本の版元であるアメーバブックスは、ぼくが何人かの仲間といっしょに作った出版社なんだ。「イージー・ゴーイング」が、記念すべき第一冊めの本になるんだよ。つまりぼくは五十歳を過ぎてから、遥か昔の分岐点に戻って、やっともうひとつの夢の実現に向けて再スタートを切ったというわけだよ。
きっとあなたはぼくよりずっと若いんだろうと思う。
大丈夫、きっとうまくいくよ。
(Photo by Mayumi)