• 16 Jan
    • どんと祭翌日の大崎八幡宮

       どんと祭翌日の大崎八幡宮。 あれほど多かった露店はすべて撤収し、一軒もない。境内も昨日の混雑が嘘のよう。元旦から続いた狂騒もしばし落ち着くことになる。  提灯と電線の撤収。  御神火はまだ燃えている。1週間は燃やし続け、すべてを灰にする。  燃え残る大黒様。燃えないものは不燃物としてまとめられる。  まだゴミ、もとい正月飾りを燃やしに来る人がいる。  

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    • 初市と近江商人

      山形の一年は初市で始まる。初市は江戸時代初期から続く正月の伝統行事である。1月10日、十日町から旭銀座までの目抜き通りを歩行者天国にして、約270軒の露店が並ぶ。紅白の蕪・白髭葱、臼と杵・梯子・雪へら・まな板などの木工品、団子木・船煎餅・小判などの縁起物が山と積まれ、新春の雰囲気を盛り上げる。団子木はミズキの枝に繭玉を多数飾ったものである。ミズキは名の通り水を吸い上げる力が強く、日照りでも枯れないことから、五穀豊穣を祈るのだという。色とりどりの繭玉を見ていると本当に福が来るような気がする。幸福に色があるとしたらこんな色だろう。 白髭葱は湯がいて酢味噌でいただく。山形名物どんどん焼き、大福まんじゅう、庄内名物どんがら汁の屋台には終日長い列ができる。元来初市は物の売買よりも、商人が市神様(商売の神様)に一年の繁盛を願う行事だった。蕪は商いの株が大きくなるよう、白髭葱は長生きできるよう縁起を担いだものである。かつては初市で銭撒(ぜにまき)という行事が行われた。群集の中で自分の年の数の一文銭を撒けば、その年の厄落しになるといわれた。しかしそれを拾う人の間に喧嘩や怪我人が出て、明治40年頃に禁止された。十日町では近江商人が建てた巨大な蔵群が威容を競う。歴史的にみると初市は紅花、近江商人と深く結び付いている。近江商人の歴史は奈良時代に高麗からの帰化人を近江に配置した所から始まった。 彼らは農耕、定住を基本とする日本人と違い、移動を苦にせず、営利の観念に富んでいた。近江地方から徐々に商売を広げ、各地に市場を形成していった。山形藩では最上義光の死後、後継争いが勃発。9年後の元和元年に改易となり、最上家は近江に移封された。すると近江商人と山形との関係が強まり、山形へ移住するものが相当数に上った。山形藩五十七万石は、改易後僅か五千石に減らされ、藩主が次々と替わった。そのため商業への統制力は弱まり、外から来た近江商人にとっては都合が良かった。近江商人が山形に進出した最大の目的は紅花である。紅花は京都の西陣織の染料に使われた。当時赤い染料は紅花以外になかった。紅花は葉のふちに鋭い棘があるので、花摘みは朝露で棘が柔らかくなる朝方に行われた。摘み取った花は水を張った盥(たらい)に入れて足で踏む。水を切り、竹すだれに並べて2日ほど陰干す。発酵して粘りが出たら薄く丸めて筵に並べ、天日で乾す。これを紅餅と呼んだ。 紅餅は山形から荷駄で大石田に運ばれ、最上川水運で酒田港へ。さらに北前船で敦賀に入って京都に送られた。 中継地として大石田も大いに栄えた。芭蕉は紅花大尽といわれた鈴木清風宅に滞在し、「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉の花」の句を詠んだ。京都では紅屋の手で、紅餅から真っ赤な紅が作られた。紅は京女の唇と頬を妖しく彩り、反物を神秘的な色に染め上げた。紅花から採れる口紅・頬紅は、重さにして生花の0.3%と微量で、「紅一匁、金一匁」と言われるほど高価だった。肥沃な山形盆地では、紅花の他、米、果樹、桑、生糸、煙草、大豆、小豆、青苧(からむし)等の栽培が盛んであった。青苧はイラクサ科の多年生植物で、蚊帳と上下(かみしも)の原料として重用された。近江商人はこれらの物産を上方へ運び、帰り船に東北になかった木綿、古着、繰綿等の衣料品を乗せ、往復で巨利を得た。 ところが明治初年、上海経由で安価な洋紅(化学染料=アニリン)が輸入されると、紅花産業は一気に衰退に向かう。明治10年にはほぼ壊滅したとされる。紅花は現在、山形市近郊高瀬地区で細々と栽培されているだけである。それは品種の保存と、宮中の式典用衣装の染色のためだという。紅花を失った商人達は売れる物を求め、古着、布団、油紙、合羽(かっぱ)、鞄、菓子など様々な方向に商売替えをして行ったが、往時の輝きは戻らなかった。近江商人の経済活動は利潤を関西に吸い上げ、関西財閥の基礎を盤石にしたが、東北には資本の蓄積をもたらさなかった。幼時祖母と十日町を歩くと、祖母は「ここは近江商人の店、ここも・・・」と蔵を指さして言った。その語調には好意的とは言えない響きがあった。山形の庶民は、近江商人を「阿漕(あこぎ)、吝嗇」と反感を持って見ていたようだ。 最上川流域の旧家には、紅花商人が京都から持ち帰った江戸時代の雛人形が伝わる。このあたりでは雛祭りが盛んに行われ、「雛のみち」と呼ばれている。近江商人が常食した近江漬は「おみ漬け」として山形名物になっている。昭和30年代、初市の日は必ず大雪になった。小学生は防寒帽でしっかり耳を被い、ランドセルごと雪だるまになってどんどん焼きに並んだ。温暖化のせいか、近年山形も雪が少なくなった。初市に雪が降ったのはここ10年で2度しかない。山形市の中心部には最上家ゆかりの史跡が数多く点在する。桜の美しい山形城址(霞城公園)、三の丸土塁、市内を網の目のように潤す御殿堰、小京都の雰囲気を残す寺町、秀吉に処刑された駒姫を弔う専称寺・・・。三の丸土塁は現在立ち入れないが、かつては子供達の格好の遊び場だった。土塁には鬱蒼と雑木が茂り、東側は深い空堀になっている。堀の底は昼でも陽が当たらず、蔓草が蛇のように足に絡みついた。そこはいつもざわざわと風が巻き、風に混じって人の声が聞こえる気がした。言葉は聞き取れないが、うぉ~ん、うぉ~んと、泣きながら人を呼ぶような声だった。 離れて40年以上になるが、生まれた町はいつまでも懐かしいものである。

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  • 14 Jan
    • 大崎八幡宮のどんと祭 2017

      1月14日は仙台大崎八幡宮のどんと祭。今年は土曜日なので大勢の人出が予想されている。  午後3時。点火用の松明も準備万端。  どんとの山が崩れないように積み直す。  巨大な正月飾りとダルマの山。  午後4時の火入れが近づき、裸参りの団体が続々参集してくる。雪こそ降っていないが、今日の最高気温はー0.1度!  本殿前に整列。お参りが終わるまで半紙をくわえてしゃべってはならない。  ここ数年どんと祭はわりと温かかったが、今年は寒い。仙台だけ雪が降らないのが奇跡的だ。(日本海側、岩手は大雪だという。)  いよいよ火が入る。一番乗りの団体がやってきた。  さあ火が入った。  御神火の周囲は超満員。  火に向かってゴミ、もとい正月飾りを投入する人。  ものすごい輻射熱。裸参りは熱くて寒い!寒いほど御利益はあるそうだ。どんと祭が終わると仙台の正月は終わる。

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  • 09 Jan
    • 仙台で出会う山形の味

      仙台の中山にあるスーパーヤマザワに寄った。ヤマザワは山形が地元のスーパーで、ときどき懐かしい山形の物産が並んでいる。  今日も懐かしいものがありました!みそパン。13個入って279円。 山形では昔から子供のおやつとして重宝された。山形の子供はこれが全国にあると思っているが、長じてそうでないことに気づき、懐かしさが募ることになる。 水分少なめの生地に砂糖、味噌を練りこんで焼き上げる。食べているうちにのどが乾いてくるので3個が限度。最近はバター、卵、黒ゴマを加えているものもある。   そして「しょうゆの実」。「ご飯の友」、「味の決め手」としてケンミンSHOWで紹介された。  で、買って来ました。 材料は大豆、麦、塩、しょうゆのみ。200gで151円と格安。かなりしょっぱいので、小指の先ほどで1膳のご飯が食べられる。  山形の豊富な漬物群。おみ漬、ペそら漬、ぜいご漬、せいさい漬、からし漬け、やたら漬け・・・ 他に出羽桜、初孫、東光など山形の地酒もたくさん置いてあります。残念ながら十四代、楯の川、上喜元などはありませんでした。  山形特産の冬の桜、「啓翁桜」があったので買って来ました。小さなつぼみがほころびかけています。  玄関に飾ると一足先に春が来たようです。  

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  • 31 Dec
    • 歳末随想2016 半世紀前の山形駅前へ

      平成28年の大晦日。 部屋の障子を張り替え、神棚を整えた。今年の仕事はこれで終わり。炬燵に入って、家内の実家の金沢から届いた熱い棒茶をすする。 静かに目を閉じると、辰つぁんは半世紀前の山形へ一気に飛翔する。  昭和30年代。戦後の混乱期が終わり、山形の町並みも整ってきた頃。 世の中の景気がどんどん良くなり、食べるのがやっとだった時代から、テレビ、炊飯器、洗濯機、さらには自家用車さえ持てそうな雰囲気になっていた。 山形駅前正面には「沖正宗」のアーチが堂々と聳え、土産物と本を売る明月堂が店を構える。看板は「明月堂書店」とある。 その左には池内菓子屋、高級チョコアイスバー(ドリアン)で有名な江川食堂、大人数を入れる前田蕎麦屋が見える。江川は後に陶板焼きの店に変わったが、長くは続かなかった。 明月堂の右側には、やがて元禄寿司「山形第1号店」に変わる武田食堂、パンのさのや、ヤンマーを扱う井関農機が軒を連ねる。そこは現在コンフォートホテルがある並びである。 三階建て以上のビルは一つもない。駅前から千歳山が眺望できる。 前田蕎麦屋を右に曲がり、後に花笠通りと呼ばれる小路に入ると、北側に文房具屋、一銭店屋、松田美容室、南側に八百屋、金澤屋旅館、中華そばのひでの家、武家屋敷(福島家)が並んでいる。金澤屋の主人は恰幅が良く、中学のPTA会長をしているが血圧が高そうだ。 文房具屋の右隣の一銭店屋は一小の同級生のY君の家がやっている。Y君一家は小学1年生の時に大阪から引っ越してきた。店番は主に婆さんがやっていたが、たまに母親、もっとたまにはY君がやっていることもある。 その婆さんは飯田蝶子に似ていて、いつも和服の上に割烹着を着ている。年は70位だろう。お釣りが5円の時は、「はい、5万両!」と言って渡してくれる。 当てくじはたいてい外れだ。1cm×3cmほどの薄い紙の束から1枚引いてなめる。いつも「スカ」という文字が浮かび上る。「スカ」の響きは悲しい。 ある日、Y君が一人で店番をしていたので、「当りくじおしぇでけろ」と言うと、「当りはまだ入れでねんだ、ほれ、こいずが当りだ」と平台の下から当りくじを出して来た。「1等の当りくじは50枚につき2枚あって、半分売れてから投入するんだ」と言われて、世の中の仕組みが少し分かった気がした。 遊び物では、ぱった(=めんこ)、ベーゴマ、2B弾、巻紙鉄砲、ゴム銃等が置かれている。食べ物では、串カステラ、鈴カステラ、のしいか、パラソルチョコ、ペンシルチョコ、フィンガーチョコ、コインチョコ、すもも、さくら大根、フィリックスフーセンガム(これは粘着力が強くて、気をつけないと歯の詰め物がよく取れる)、オレンジフーセンガム、笛ガム(5円玉型、真ん中の穴を吹くどピーピー鳴る)、シガレットガム、梅ジャムせんべい、フルーツ歯ブラシ(ウェハースの歯ブラシにジャムの歯磨きつけで喰う)。すももを浸す怪しいピンク色の液体にはどんな毒が入っていたのだろう。まあ狭い平台によくこれだけのものが乗っているものだ・・・右の棚には戦闘機と戦車のプラモデルが置いてある。1つ300円もして、子供の小遣いでは手が出ない。売れないプラモデルの箱は陽を浴びて次第に変色して行く。乾電池は錆びて箱に液が漏れている。 ある大雪の夕方のこと。私は父に手を引かれ、駅からスズラン街の家に向かって歩いていた。突然私は何かに躓いて転んだ。それは暗渠になった笹堰を塞ぐ鉄板であった。当時は積もった雪を堰に捨てるため、所々が鉄板になっていた。その日も誰かが鉄板を開けて雪を捨てた後、ちゃんと閉めないでおいたところに私が躓いたのである。それがちょうどY君の家の前だった。 普段温厚な父ちゃんが急に怒り出し、Y君の家の戸をどんどん叩いた。出てきたばあちゃんは、「雪捨てたのはおらいでない・・・」と、もごもご言いかけたが、父ちゃんは 「開けたらちゃんと閉めて置け!子供が転んだぞ」と大声で怒鳴った。おれはちょっとおかなぐなたげんと、なんだが嬉しかった。 何か訳があったのだろう。Y君には父親がおらず、母親は向かいの前田蕎麦屋で働いていた。3年生の夏頃、Y君は急に学校に来なくなった。一銭店屋は空家になっていた。小学校の先生に聞いても「わからないのよ」というばかりだった。Y君の家のあった場所は、「山形珍味ビル」という変てこな名前のビルになっている。 山形珍味ビル  昭和40年代に駅前周辺は区画整理され、駅正面にパーラー、パチンコ屋、さらにはビブレが建った。不思議なことに明月堂は取り壊されたまま、跡地に再建されなかった。明月堂主人の●○さんは失意のうちに亡くなったという。遺族が苦労して城南陸橋の下に「ブックス●○という書店を開いたが、人の流れの良い場所ではなかった。その店も今はない。息子は頭の良い子であった。東高から京大文学部へ進み、卒業後さらに東大工学部に入った。  今は駅前一帯も大きく様変わりしてしまい、一銭店屋のあった小路は花笠通りというつまらない飲み屋街に変貌した。吉◎君の焼き肉店がなければ用のない場所である。 昔の店の場所を特定するのも困難なほどの変わり様だが、暗渠になった笹堰は当時のまま流れており、これと昭和の遺跡・山口魚店をキーストーンにすれば、頭の中にあの頃の地図を描くことができる。山口魚店  文章は本来読まれるために書かれるが、このブログは必ずしも読まれることを欲しない。すぐに「アメンバー限定」の蔵に入り、さらに「下書き」とラベルされ、永遠の眠りに就く。   昔の事を書くときは、頭の中に古い町並みを再現し、子供の自分のアヴァターを自由に彷徨わせる。 路地からは子供らの元気な声が聞こえる。アキラ、マボちゃん、裕一君、信ちゃん、義弘君、輝夫君、よっち、幹夫ちゃん・・・彼らの当時の声は今も耳に残っている。 七輪でカド(鰊)を焼く匂いがする。笹堰はざあざあと音を立てて流れている。 海の色をした松田美容室の角を曲がると板木を積み重ねた下駄屋があり、豚の息使いがする。当時は食用に豚とか鶏を飼っている家が多かった。 わが家でも鶏(にわとり)を二羽飼っていた。鶏といえど庭に放すと2mほども飛び上がるので驚いた。4~5年は卵を産んでいたが、やがて産まなくなった。朝はいたのに、学校から帰ってみたら二羽ともいなくなっていた。鳥小屋も消えていた。あの鶏はどこへ行ったのだろう。 夕暮れ、懐かしい町並みに電気が灯る。空の青は茜に、茜は群青に変わって行く。 ランニング姿の子供たちは空の色に追われるように家路を急ぎ、空の弁当箱を荷台に付けた自転車の大人たちとすれ違う。 目を閉じて故郷の町を彷徨する時間は至福である。良い思い出ばかりではないのに、良い人ばかりでもなかったのに、故郷の町は懐かしい。 昔の山形を一人で彷徨い、思い出すまま自由に筆を走らすときの幸福感。それこそが私の求めるものである。 そこは山形夢横丁、セピアの町。私だけの山形。  2017年が良い年になりますよう、お祈りしております。 

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  • 26 Dec
    • んだんだ山形弁掲示板44 草の湯、天狗湯の続き

      [464へのレス] もの覚えがいいなっす 投稿者:ひげとの 投稿日:2002/08/27(Tue) 08:46:29『天狗湯』て聞くど、なんだが覚えはあるな。んでも、絵はおもいうがばねな。みなさん、たいしたもの覚えがいいなっす。思い出したんだげんと、草加さんの兄ちゃんて、自衛隊のジェットパイロットで、オラが中学生んどぎ、学校で自分の体験ば講演したりしてけだんだっけ。ほんで、自衛隊に反対の先生だは、「こだな講演ばさせる校長は反動的だ」なて、ちょっともめたりもしたみだいなんだっけな。その頃はまだ、シベリア抑留から生還した先生なんかもいだっけがら、自衛隊必要擁護論なんかも出て、職員会議はそうとう沸騰したんだっけど。教生に来てた、兄から聞いた話だっす。--------------------------------------------------------------------------------[464へのレス] 杉作時代 投稿者:まじぇろ 投稿日:2002/08/27(Tue) 08:26:57 『草の湯』は、名前どしての記憶はないんだ。ほの銭湯て、山形電工(鋼?)の左側の路地入ていったどさある銭湯んねが?店の前で、猿ば飼ってだ市場だの、北映(ムーラン)だのあったあだり。俺、ちぇでんがっだ頃は、まだ洗い場どが湯船が、板張りだけ記憶ある。思春期以前の色々な思い出ある。ほごが休みだど、もっと西さ下て、踏切越えだ『天狗湯』さ行った。『天狗湯』も休みだど、電工の前の通りば、ずーっと、南さ下て、『桃の湯』(て云たんねけがな?)て云うどさも行ったけな。ほごら辺は、あだらすい道切っで、詳しい場所は分がらねぐなてすまた。昭和30年代初期の頃の話だ。--------------------------------------------------------------------------------[464へのレス] 天狗湯だべ~ 投稿者:草の湯 投稿日:2002/08/27(Tue) 00:15:00 やんだごど~なっぱちゃん!わたしもちょうど,ほのごどばひげとの様さ書くがなあって思ってたっけのよ。たぶん『天狗湯』だっけど思う。(違ってたら誰か教えて)しかも,その火事の時,私子供会のドッジボール大会のあとで「宮2子供会」のみんなでほごさ居だっけのよね。まだ風呂に入る前だっけだげど。親におんぶされてそれを見っだけ人と今同じBBSさ居るとはねえ。なあんか,複雑。今の「門間カメラ店」のあたりだべが? --------------------------------------------------------------------------------[464へのレス] Re: 草の湯 投稿者:なっぱづげ 投稿日:2002/08/26(Mon) 18:56:09 ちゃっこいどぎのかすかな記憶なんだげんと、草賀さんのお風呂屋よりも北の方さ、もう一軒お風呂屋さんないけがず?ほごが火事になて、父親さ、んばて見に行ったような気するんだげんと...--------------------------------------------------------------------------------[464へのレス] 草の湯って 投稿者:ひげとの 投稿日:2002/08/25(Sun) 17:55:40掲示板の文章て、水の浅いとごろでバチャバチャやって、ひとにハネかげだりかげらっだりして、おもしゃいのんねがな。モノローグは、だんだん深いどごさ行ってしまうがら、呼吸がなんだがつらぐなってしまうのんねべがね。んでも、辰っあんの回想録は、連載小説みだいで楽しみだっけな。まだ元気だしてけらっしゃい。とごろで、草の湯さんて、山形市宮町の『草の湯』からとったネームだがっす。オラの頭の中さ、まだ『草の湯』の美少女の姿が思い出としてあるもんで、つい気になってしまうんだっす。 --------------------------------------------------------------------------------[460] 一夏の経験(PART-Ⅰ) 投稿者:まじぇろ 投稿日:2002/08/16(Fri) 08:48:16 初めで海水浴行ったのは、46・7年前、叔母夫婦がら、ズサマどバサマど一緒に瀬波温泉さちぇでってもらたのが初めでだ。叔母夫婦は、かげおづ的に一緒なて、ほの頃、なんとなぐズサマ・バサマど、やっと、認められかげだのんないんだけべが。ほの叔母がらは、今でゆうデートのダシみだぐ、ちゃこい時、よぐ外さちぇでんがっだみだいだ。写真残てる。汽車さ乗ってで、海見だ時、海の魚て、どやんばいして泳いでんなだべ、て考えっだけ記憶あっづ。ないたて、ほの頃、海の魚て云うど、切り身なた塩鮭ど塩鱈ぐらいすか見だごどないけがらよ。泳ぐもさんないけくしぇ、魚しめだら、どやんばい泳いだらいんだべ、なて考えっだけず。2回目に行ったのは、今は、遊泳禁止或はなぐなてすまたがもすんないげんと、酒田の大浜海岸だけ。朝、家がら出がげっどぎ、白い編み上げのサンダル履いで北山形駅から母親ど出がげだ記憶ある。めんごいけべな。ほの頃、叔父が酒田さ居で、ほの下宿さ泊またけ。夕方、海見い行ったどぎ、海は世界中どごまでもつながてるんだ、なて聞かしぇらっで、夕陽ばみながら、この先はアメリカなんだべが、なて日本海さ向がて考えっだけ。 --------------------------------------------------------------------------------[460へのレス] MY LOST CITY 投稿者:まじぇろ 投稿日:2002/08/26(Mon) 12:35:08 1年ぶりで、山形さ帰てきた。町の中心部は、んぐたんび、何だが寂すぐなてるみだいだ。梅月堂の隣の人形屋もなぐなてすまたな。郁文堂書店も、古本屋だがなんだが、わがらねくらい寂れだんだなー。ひしゃすぶりで、梅羊羹食だいど思て、痛い腰ばひぎずて、店探す行ったら、1年半位前に商売替えして、洋菓子店(パティシエ庄子)さなてで、買わんないけ。んだがら、甘キ堂の胡桃羊羹とバスさ乗って上の山まで行って、利休堂のかりん糖ば買って来た。(利休堂は、上の山の浴場前て云う、バス停の近ぐだ。)22日の晩は、七日町の『たぬき』て云うどごで、「いるか汁」で酒飲んできた。なづいもさ、味しみでんまいっけ。なんとなぐ、寂しさを感ずだ(なくが如く うらむが如く)今回の山形だけ。ほだごどしてるうづ、井上陽水の季節がら、山下達郎の季節なてんぐんだべな・・・。 --------------------------------------------------------------------------------[460へのレス] 間も無く 投稿者:まじぇろ 投稿日:2002/08/20(Tue) 08:48:31 きんなは、台風の影響で、雨の一番ひどいどさ、通勤がぶつかて、ひどいめさあった。まだ、腰痛いてゆうのによー。(ツキショ まだ、ごしゃがれっかな?)高校野球も、山形は予定通り1回戦で帰郷。小学校の頃、記憶では、夏休みは、7月25日頃がら8月22日ころまでだけ。夏休み過ぎっど、暑さも通り越して、4年生頃の記憶では、29℃位が最高気温で、30℃なるなてゆうごどは、ないんだけはなー。んだがら、プールも8月一杯で終わり。思い出すど、花笠祭りの頃、夕立あって、ほいづあっど夜は、結構涼すぐなて、お盆過ぎる頃は、涼すいの通り越しったみだいだけ気すっず。ほして、高校野球の決勝の頃、昼間にわか雨降って、なんとなぐ、全体涼すぐなる感じなんだけな。ほうなっど、夜、虫の鳴声が寂すぐなてなー。学生の頃、山形で半そででいらんなぐなた頃、東京さ戻っど、暑くてしょうないっけ記憶ある。山形で、ほんてん夜も暑いのは、7月末から10日間位すかないのんねっけべが。んだがら、海水浴の事、いまと書ぐど思たげんと、ほいづは来年。とごろで、明日から、山形さ墓参り行ってくる。  

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  • 19 Dec
    • んだんだ山形弁掲示板43 草の湯、天狗湯

      [464] 無題 投稿者:草の湯 投稿日:2002/08/24(Sat) 19:43:08 辰つあんが居ねぐなて、寂しいです。なんだが秋の気配がする頃「君との事は夏のいい思い出。秋になったら僕は旅立たなくては行けないんだ。」(なぜかここは共通語)とか言って別れでいぐやろこみだいだ。辰つあんが居ね『んだんだ...』は○リープの入っていねコーヒー,ゴムのないパンツみだいだ。辰つあん~カムバック!!--------------------------------------------------------------------------------[464へのレス] 高山医院のそばの床屋 投稿者:なっぱづげ 投稿日:2002/08/30(Fri) 00:27:25 まじぇろさんがゆてだ床屋さんさ、行ったごどあるみだいな気する。当時、おかっぱ頭の女の子、うがかったのに、あたしばり、床屋の趣味だが、母親の注文だがしゃねげんと相良直美みだいな短い髪してで、よぐヤロコと間違えられっけ。んでも、仕上げに鼻すじさ1本真っ白いおしろいつけで、口紅なのぬったぐられるど、いがにも床屋さ行ってきたみだいで、めんごめんごとした頭になるんだけな。帰りに床屋さんから駄賃て10円もらて。その先さは電気屋さんあって、店の前さ頭ただぐど首振る、頭でっかちなナショナル坊や(ほんとの名前はしゃねげんと)の人形あって、ほの前歩ぐどぎは、ないでかいでナショナル坊やの頭くらすけらんなねんだけ。そばさは、安藤歯医者なてもあるんねっけがなぁ。火事なた風呂屋てほのへんでないけがなぁ。...? --------------------------------------------------------------------------------[464へのレス] 高山医院 投稿者:ひげとの 投稿日:2002/08/29(Thu) 17:08:08友達ど盃山さあそびに行って、2日くらいしたら漆かぶれなって、高山医院で治療してもらったっけな。ブドウ糖液点滴さっだら、毛穴がパーアとひらいだみだいで、変に気持ちいいんだっけ。看護婦さんが「チンチンもかぶれでくっどぎあっから、ほしたら、教えでな」てゆった次の日、やっぱりかぶれで、恥ずかしながら、チンチンも治療をうけだんだっす。おがげさまで、いろんなこど思い出してくるー。高山医院て、先生が亡くなって廃業したのんねっけがな。--------------------------------------------------------------------------------[464へのレス] まだまだ 投稿者:まじぇろ 投稿日:2002/08/29(Thu) 15:16:29 俺は、高山医院さ行ってだけ。ほの南隣が床屋んねけがなー。伊藤歯科て、眼鏡かげだオナゴの先生んねけがれ?旦那さんは、体よわいんだ、なてゆう噂んねけがれ?ハッピーミシンの材木置場でも、良ぐ遊んだもんだ。--------------------------------------------------------------------------------[464へのレス] たまたま 投稿者:クリシュナ 投稿日:2002/08/29(Thu) 12:43:17 たまたまなんだべげど、こごさいる5人て年代こそ多少差有っべげど(オラ一番遅い)、みんな同じようなどご歩いっだっけみだいな~。耳や目悪れど佐藤眼科、歯は伊藤歯科、風邪ひぐど柳谷医院?なて(良い悪いは別)...。佐藤眼科の横の川ながっでる抜け道な、何回も通てんだべね~。--------------------------------------------------------------------------------[464へのレス] 一夏の経験 投稿者:ひげとの 投稿日:2002/08/28(Wed) 09:04:02第三小学校のプールの壁面と便槽が、上か横かでふっついでだんだな。ほんであるとき、壁面のひびがら両者が流通しはじめでしまったことに、誰かが気づいたわけよ。それがら修理したんだが、作り変えたんだがわがんねげんと、オラが6年生ん時、一夏、プール使えねんだっけ。て、こどで、第三小学校のプール使ったひとは、みんなエンガチョなんだ。--------------------------------------------------------------------------------[464へのレス] あらら 投稿者:まじぇろ 投稿日:2002/08/27(Tue) 19:12:55 クリシュナさん。ほだい、謙遜すねたていいず。第三小学校の便所ば、おべっだ人、ないだべまず。『天狗湯』の風呂は、アズくて、オラやんだんだけ。--------------------------------------------------------------------------------[464へのレス] 無題 投稿者:草の湯 投稿日:2002/08/27(Tue) 17:18:32 私の記憶だど,宮町大通りの「草の湯」と筋向かいのとこさ,すぐ風呂屋ののれんかがったような風景がみえるんだげんとなあ。『天狗湯』って名前はやっぱ違ってだっけね。何かおぼろげな記憶(私の頭も・・・・)がだんだん解明されるみだいであの風呂屋の名前がわかるのが楽しみ!人っこう言う塩梅に記憶がはっきりすねぐなるんだねえ~。ため息--------------------------------------------------------------------------------[464へのレス] 天狗湯 投稿者:クリシュナ 投稿日:2002/08/27(Tue) 12:35:30 みなさんほど、としょりんねがらよっくわがんねげど、『天狗湯』て、線路わだて西の方んね(まじぇろさんと同じ)。北駅西口のウマイカツカレー屋さんの横路入っどある。オラの記憶のかぎりでは、あそご火事なたなて、ないど思うげど。まじがってだらごめんな~。-------------------------------------------------------------------------------- 

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  • 12 Dec
    • んだんだ山形弁掲示板42 冷やし中華マヨネーズかけ

      [462] 冷やし中華マヨネーズかけ 投稿者:こうぞ 投稿日:2002/08/21(Wed) 00:57:32 <HOME> まったぐっ。いそがすくって、夜中すがでらんねもんだがら、さっぱりひやげしねぇやぁ。最近、夜なっと冷えできてなぁ。冷やし中華さマヨネーズかげんな、米沢の方だっていわったげんと、山形もかげる人いだよな?おれ、郡山さいだどき、米沢の人がら聞いでがら、マヨネーズはかがさんねー。マヨネーズ派はどの辺の人までなんだべがー。マヨネーズの勢力圏でどごまでだべ?ps おれのバイク、修理だなんだでえれごどなったな。バイク好きや、ニンジャ乗りの人、みでなー。--------------------------------------------------------------------------------[462へのレス] Re: 冷やし中華マヨネーズかけ 投稿者:ヒコ 投稿日:2002/09/03(Tue) 06:18:06 <HOME> あららー、冷やし中華さマヨネーズは常識が?俺は38年生まれの山形市出身だげんと、トロさんは・・・。3年の違いで、こだい食文化の違いがあるんだがなぁ。正直言ってマヨネーズは好ぎだよ。んだげんと、マヨネーズってのは、何さかげでも同じ味なんだよな。もしよ、この先、芋煮会でマヨネーズ味、なて出できたら、なじょすっぺよ!!ほしたら、崩壊だ、芋煮会の崩壊だぁ!!って俺は思うなぁ。マヨタコはいいげんとも、芋煮だげはマヨはやめんべ~。--------------------------------------------------------------------------------[462へのレス] Re: 冷やし中華マヨネーズかけ 投稿者:こうぞ 投稿日:2002/09/01(Sun) 14:21:24 <HOME> うん。先月、研修さいったどき、昼食さ冷やし中華でできてな。マヨネーズ、ちゃんと用意しったんけ。東北のあちこちの支店の連中で研修だったげんと、マヨネーズは山形人用に用意したなんねがって思ったけ。結局、マヨかけはおれだげ。思いっきりかげたー。やっぱ最高だ。 --------------------------------------------------------------------------------[462へのレス] Re: 冷やし中華マヨネーズかけ 投稿者:トロ 投稿日:2002/08/31(Sat) 15:45:54 冷やし中華マヨネーズかけは、物心ついだ時から食ってだっけよー。ちなみに41年生れの山形市出身だー。みんなも掛げっだっけし、冷やし中華はマヨネーズ掛げるのが当だり前だど思って育ったも。18年前に東京さ出できて、そん時初めで「なして東京の人はマヨネーズ掛げねんだべ??」ど思ったぐらいだ。最近では東京の人も「マヨネーズかけると美味しいねー」あて言ってっけど、山形の方がずーーっと早いはずんねがなぁ。。思うに山形の人は、「マヨネーズ好き」なのんねべがー??んだって、マヨタコあて結構前からあっけし、大阪はマヨネーズはかげねし東京は最近になってからだもなー。--------------------------------------------------------------------------------[462へのレス] 手製マヨネーズ 投稿者:ひげとの 投稿日:2002/08/27(Tue) 15:30:09むがし、まだマヨネーズば市販してねっけ時、たまにオラの姉ちゃんたちがマヨーネーズば作るんだっけ。ボールに卵の黄身入れで、サラダ油とか酢とか塩とか胡椒とか入れながらかき回して、作てくんだっけな。よぐ失敗もして、分離してしまたはー、なてワイワイゆってるんだっけ。マヨネーズ作っど、余った卵の白身さ砂糖入れで、泡立でかきまぜで、お菓子もつくってくれるんだっけ。ほれが楽しみで、オラは姉ちゃんたちの手元ば見でだっけな。冷製パスタで、マヨネーズば使うやづあっから、そごら辺からヒント得で、冷し中華さマヨネーズてなったのんねがな。おもしゃいね。--------------------------------------------------------------------------------[462へのレス] サラダうどん 投稿者:まじぇろ 投稿日:2002/08/27(Tue) 14:35:56 冷し中華さマヨネーズかげんのは、俺いだ頃の山形ではないっけ。んだげんと、20年以上前位がら、東京の方で、サラダうどん、て出できたんだ。元祖は、どごだがしゃーね。気づいだどぎ、新宿の『三国一』さあるんだけ。比較的、若めのおなごだ(こごで、へなべら、て使うだいんだげんと・・・。)良ぐたのんでるんだな。おら食たごどない。こいづは、冬でもあるんだ。なして、冷し中華は、冬、ないんだ。昔、赤塚不二夫も筒井康隆も、ごしゃいっだけぞ。カレー南蛮は、東京さ来てがら、初めで食た。--------------------------------------------------------------------------------[462へのレス] カレーさ海苔 投稿者:ひげとの 投稿日:2002/08/22(Thu) 08:52:56カレーさ醤油、ソースていうのはよぐ聞くげんと、カレーさ海苔ていうのを聞いたごどあるんだ。知り合いの、東京は原宿で生まれ育ったMさんが、むかし実家でカレー食べっどぎ海苔かけっだけな、ていうんだ。ノリって、朝飯なんかで食べる、あの四角いやづが、てきくと、んだていうんだ。後にも先にも、カレーさ海苔ていうのは、Mさんからしか聞いたごどないな。独特な家庭料理なんだべな。セブンイエブンで売ってる『お蕎麦やさんのカレー』なんかだったら、合うがもすんないな--------------------------------------------------------------------------------[462へのレス] Re: 冷やし中華マヨネーズかけ 投稿者:こうぞ 投稿日:2002/08/22(Thu) 02:07:08 <HOME> おれのバイクは、GPZ900Rニンジャとセローだぁ。セローは最近、中古で買ったげんと。最近悟ったげんと、バイクは、排気量は関係ねー。やっぱり、自分の行ぎってどごさ行げればいいってこど。乗ってで面白ぇってこどがな。なんだが、セロー、お気に入りだ。Dトラッカーもいいでなー。軽量で小回り利くなはいいなー。就職してがらは、カレーさは、醤油もソースもかげっつぉ。トマトさ、砂糖でねくて、醤油だなやぁ。トンカツさも醤油だ。--------------------------------------------------------------------------------[462へのレス] Re: 冷やし中華マヨネーズかけ 投稿者:ヒコ 投稿日:2002/08/21(Wed) 02:25:41 <HOME> 俺が実家(山形市内)さいだどぎは、冷やし中華さはマヨネーズはかげねがったなー。んだげんと今はかげだらうまいべなって思う。こっつ(関東)はタゴ焼きさも好みでマヨネーズかげんなだ。最近は山形も、んだべが?俺が関東さ来て学生で金無いっけどぎは、マヨネーズは世話なたぁー。ご飯さマヨネーズかげっぺ(それだげ)、パンの耳さマヨネーズかげっぺ(それだげ)。マヨネーズあっと、何でもそごそご食えんのったなね。話変わっけんと、むがし、カレーライスさ醤油かげねっけが?あど、トマトさ砂糖かげねが? 山形で今でもそうしてんだがい?こうぞさんはバイク何乗ってんだが? 俺はこの前、ほたらがしったホンダ・トランザルプ400ば知り合いさ、けでやったばっかりだ。やっぱりよ、アパートさ住んで車持って車検付きのバイク持つってのは、ちぇっとキヅイなぁー。次はよ、カワサキの250のDトラッカー買うがぁって考えったんだげんとな。やっぱす車よりバイクおもしゃいず~。----------------------------------------------------------------------------- 

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  • 05 Dec
    • 山形ご当地カレー 2

      「ら・ふらんすカレー」を皿にあけてチンした。 色は洋ナシ色ではない。 普通のカレー色。   同様に「いも煮カレー」。 芋煮色というかカレー色。   さくらんぼカレーは何とも言えないピンク色。   3種並べて少しずつご飯にかけて食べる。 カレー祭りの始まり始まり。   「ら・ふらんすカレー」は甘口。肉は豚。所々にラ・フランスと思われる小片がある。 小片は確かに、といえるほど確信は持てないが、ラ・フランスのようだ。 「いも煮カレー」は「ジャガイモか」、と思ったものが噛むと里芋でびっくり。 こんにゃく、牛肉、しめじ、ネギが入り、和風=醤油味に仕上げてある。 さて注目の「さくらんぼカレー」。 ピンク色のルーが画期的。豚肉とサクランボらしい果肉(のようなもの)が入っている。 噛んでもサクランボの味はない。このピンク色は何で出しているのだろう。 ラック色素という記載がある。これがピンク色なのだろうか。 ココナツの風味を感じるが、成分表には書いてない。 製造は3つとも高畠町の(有)後藤屋。 電話0238-52-3572 山形県東置賜郡高畠町大字一本柳2519-3 大塚のボンカレーは105円だから、レトルトカレーとしては極めて高額ということになる。 お土産としてはいいが、常食できるものではない。 一緒に食べた息子は、「ボンカレー」の方がいい、と言った。 駅では売っていなかったが、「昔なつかしゲレンデ食堂のビーフカレー」、「シェフこだわりの山形牛入りカレー」、「黒毛和牛極とろカレー」、「平牧金華豚カレー」、「舟形マッシュカレー」、「尾花沢牛カレー」、「蔵王ホワイトカレー」、「窪畑のトマトカレー」など山形はご当地カレー花盛りである。 さらに県内唯一のどぶろく特区である飯豊町では、飯豊牛を使った「どぶろくカレー」を売り出している。 「どぶろくカレー」・・・う~ん、一度は食べてみたいではないか!? このほか東北には次のようなご当地カレーがある。 青森 青森りんごカリー りんごの粒粒の果肉、ペースト、リンゴの花から取れる蜂蜜、リンゴ酢入り。 10個入り2940円 八戸 銀鯖カレー 1缶1200円 岩手 ヤーコンカレー ジャガイモの代わりに陸前高田市の特産品ヤーコンを使ったカレー 1個350円 宮城 牛タンカレー 牛タン喜助のプレミアム牛タンカレー 1個1050円 三陸産の「牡蛎カレー」+「つぶ貝カレー」+「仙台黒毛和牛カレー」+「仙台ハヤシ」で3200円 福島 川俣シャモカレー1個450円 秋田 あいがけ神代カレー 小麦粉とカレー粉を炒めて作る「昔カレー」と、デミグラスソースをベースにした「現代風カレー」を左右にかけ、真中に温泉玉子を載せていただく。 2人前945円。 たいてい駅で売っているので、お出かけの際に探してみ下さい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 次回から「んだんだ山形弁掲示板」を3回連載します。

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  • 28 Nov
    • 山形ご当地カレー 1

      山形駅前。 今日は小雨。雪はないが気温は8度。寒い。   最近テレビで山形の食材、食習慣に盛んにスポットが当たっている。 勢いに乗って、山形では「ご当地カレー」なるものが次々と発売されているそうだ。 駅の土産物売り場でも「秘密のケンミンショー」で紹介された「サクランボカレー」が大々的に売り出されている。 他に「ら・ふらんすカレー」、「いも煮カレー」、「米沢牛ビーフカレー」もあった。 一度全国に流れてしまうと、照れもなくなってしまうようだ。   で、買ってきました。 左から、「ら・ふらんすカレー」、「いも煮カレー」、「さくらんぼカレー」。 どれも630円。   さあ、食べてみます。 味については次回。

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  • 21 Nov
    • 定義山の紅葉と謎の定義温泉 3

        西方寺の門前には定義名物の店が並ぶ。これはやきめし220円。巨大な焼き味噌おにぎり。 これも名物あげまん。1個90円。 こしあんと胡麻あんがあります。 名物の真打ち、三角あぶらげ。以前ケンミンshowで取り上げられて、いっそうにぎわっている。 巨大なあぶらげを焼いて、七味と醤油をかけて食べる。熱々が美味しい。1枚120円。 ワンちゃんもあぶらげ大好き。 隣のお稲荷さんにもあぶらげのお供え。 紅葉が終わると人出は途絶え、定義は一気に真冬になる。  「定義山の紅葉と謎の定義温泉」 了 

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  • 14 Nov
    • 定義山の紅葉と謎の定義温泉 2

      有路こけし店。シャッターが閉まっている。閉店したのだろうか。 ここから3kmほど奥に伝説の「定義温泉」がある(という)。前からその存在は知っていたが、途中の道の狭さを見るととても行く気になれないでいる。 そこは一般の人を入れない「アタマに効く」温泉と言われるが、精神科医・斉藤茂太と漫画家つげ義春の作品で世に知られることになった。 Wikipediaによると、1969年の雑誌『旅』に、精神科医の斉藤茂太が訪問記を書いたことがあり、それによれば昔は暴れる患者を縄や鎖で縛りつけて入浴させ、2日間絶食させると鎮静したという。そのための専用の浴槽があり、畳一畳ほどの小さなものだそうである。かつて興味本位のマスコミらが、この温泉に対して誤解を招くような報道や記事で煽り立てたことがあり、また、釣り客や定義薬師の参拝客が泊めてもらおうとして、けんもほろろに突き返されたケースも少なくないため、一部の人には大いなる誤解を招いているのも現状である。今日においても、物見遊山の施設見学は言うまでもなく、純粋な療養目的以外での訪問、問い合わせは避けるようにしたい。1969年8月に漫画家のつげ義春が夏油温泉の帰路に後の夫人である藤原マキとともにバスの終点である定義如来の門前のそば屋の紹介で宿泊しており、その著書『つげ義春とぼく』の中に詳しく記している。雨に濡れ寒気がしたつげは階段の脇の布団を無断で持ち出し被っていたところおかみさんに「ひとの家の押入れをコソコソ開けたりして、泥棒猫みたいな真似しないでおくれ」とひどく叱られ、謝っても「謝ってすむことではない」と大変な剣幕で言われたエピソードなどが書かれている。その後、つげは漫画作品『枯野の宿』の中で、このエピソードをそのまま使用している。また、浴室の壁には「大小便を堅く禁ず」と張り紙があったそうである。 東日本大震災で廃業したという噂もあるが、その真偽も不明。どなたか行ってみて下さい。 しかし、気になって調べていたらこんな動画が見つかりました。やっぱり廃業したらしい。定義温泉動画https://www.youtube.com/watch?v=Z8_hNE7USL4https://www.youtube.com/watch?v=bkm4YY5J0cc ・・・確かに興味本位で立ち入ってはいけない領域のようだ。  google地図で見ると「閉鎖」とあります。 続く        

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  • 07 Nov
    • 定義山の紅葉と謎の定義温泉 1

      天気が良かったので、定義(じょうげ)山まで紅葉見物に出かけた。仙台市内は晴れていたが、山は時折小雨が降り、風が強い。(ここも仙台市青葉区の西端ではあるが。)定義は平家の落人が開いた土地と言われるだけあって、かなりの山奥になる。  西方寺の五重塔。紅葉は今が盛り。 定義山・西方寺縁起平家が壇ノ浦の戦いに敗れた後、平重盛の重臣・肥後守平貞能(さだよし)が、源氏の追討を逃れるため名も定義と改め、この地に隠れ住んだ。それが定義如来という呼び名の由来だという。平貞能は建久9年(1198年)7月7日60才で死去したが、墓上には小堂を建て如来を安置し、後世に伝えていくことを従臣たちに遺言。それを守り、宝永三年(1706年)には早坂源兵衛が出家し、極楽山西方寺の開造となった。  池の鯉に餌をやる人たち。  大きな鯉が寄ってきた。  蕎麦屋「十里」に寄る。家族経営でやっている店。囲炉裏が切ってあり、ここで田楽を焼いてくれる。 鴨汁蕎麦 1260円。蕎麦は白くて細い。量が少なめなので、+160円で大盛にした方がよかった。 蕎麦湯には柚子が入っています。 続く   

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  • 31 Oct
    • 霊石の夜泣き石

       山形市立第三中学校の北側に小さな鳥居とお堂がある。ここに「夜泣き石」という石が祭られている。写真の左端が三中のグランド。右端がお堂という位置関係になる。  ほんとに小さなお堂です。  石にしめ飾りがされているが、これは夜泣き石ではありません。  お堂の中に「霊石夜泣き石」由来がかけてあります。字が小さいので書き直します↓文禄のはじめ(およそ400年前)、この近くに一人の花師(紅花の仲買人)が住んでいました。そして、毎年、仕入れた紅花を、京に出かけては売りさばいていました。ある年、泊まった京の宿屋の娘と想いをかわすようになり、結婚を約束して山形に帰りましたが、不幸にも娘は重い病にかかり、花師に知らせる間もなく、この世を去ってしまったのです。両親はたいへん悲しみ、娘の冥福を祈るために巡礼しながら、花師に娘の死を伝えようと考えました。しかし、年老いて、この長旅に耐える力もなく、願いの叶わぬことを悟り、悲しみを深くするばかりでした。これを知った忠実な奉公人六助は、この両親に代わって山形を目指し、迴国巡礼の旅に出ました。長い旅のすえ、文禄五年(1596)の春、ようやくこの地にたどり着きました。六助は、早速、花師の家を訪ねましたが、不思議なことに、すでにこの世を去ったはずの娘が、花師の妻となっているのです。驚きながら話しかける六助の前から、突然、娘の姿が消えてしまったのです。六助は、花師を慕う娘の心に深く感動し、石の碑を建てて、ねんごろに供養し、娘の霊をなぐさめました。このことを知った近くの人々は、かかさず娘の供養を続けました。ある時、子供の夜泣きに困った親の願いが、この供養塔によって叶えられたことが人々に広まり、霊験あらたかな石塔(よなき石)よと、いっそう崇拝され、多くの参詣者で賑わうようになりました。もともと(最上義光山形城三の丸構築以前)、この付近は十日町と呼ばれ、巨商富豪が軒を連ねた街で、本堂前の道は「霊道小路」と呼ばれていました。「霊石」の地名もここから生まれたといわれています。時は移り、旧城南練兵場西側の、草むらにうずもれたままになっていた、この石塔に心を痛めた町内の有志が、昭和十五年(1940)、紀元2600年の記念事業として、前田よね氏から寄進された現在地に移奉し、「霊石よなき石」と刻んだ碑を建て、あらためて供養しました。さらに、平成二年(1990)七月、町内の有志が鞘堂を寄進し、町内の氏神として祀りました。以来、講中はもちろんのこと、近郷近住の人々の守護として信仰され、ますます崇敬されるようになりました。なお、祭典は毎年、七月第三日曜日に、盛大に斎行されます。 平成四年(1992)七月吉日 霊石町内会不思議な伝承です。  これが夜泣き石。石の周りには子供のおもちゃが。    お堂建立時の寄付者一覧。  山形駅西口から徒歩5分。電車の待合わせ時間にでもさっと見学してみてはいかがでしょうか。

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  • 24 Oct
    • 水まま定食

      2010年8月26日の秘密のケンミンショーで、山形の「水かけごはん」が紹介(暴露)されました。 辰つぁんは18才までほんとにこれを食べていました。 山形の夏の昼ご飯は必ずこれ。 というより、全国どこでも食べていると思っていました。 地元では洒落て「水かけごはん」などと言いません。「水まま」です。 TVだとどうして気取った名前を付けたがるかな。 最近有名になった山形の「だし」も、地元では「だす」と言います。 それではケンミンショーの映像!         キュウリの漬物は必須。     「冷たくて」⇒「つったくて」と言いました。   「水まま」を商売にしちゃった店もあります。   旅籠町の「香味庵まるはち」。 漬物屋の「まる八」が、蔵を改造してレストランにした店です。   これでいくら取るんでしょう? 735円は高い。水ままに漬物と鮭を付けて「水まま定食」。 冷汁を付けて500円がいいところでは。

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  • 17 Oct
    • すだまり氷・ソフト(山形県山辺町)3

       すだまり氷の歴史 明治の時代、山辺の浄土寺のお祭りでかき氷とところてんの屋台が出ていた。 かき氷のシロップは高価だったので、ところてんにかけるすだまりを氷にかけて安く提供したところ、 案外好評を博した。それが山辺町で根付き、今日に至ったとのことである。すだまりが入っているビンに挿さっているスギの葉は、殺菌作用があるのと、酢だまりが一度にと出ないので使いやすいということらしい。 すだまり氷は隣の山形市では全く見かけない。すだまりの流行は山辺町から一歩も出ていない。この先も出ることはないだろう。   これがすだまりソフト。250円 すだまり氷から派生した商品。すっぱ甘い味でなかなか美味しいが、最後まで食べるとやや飽きる。   バニラとのミックスもあります。 こっちの方が甘酸っぱさと甘さを交互に味わえて、飽きが来ない。 辰つぁんはこちらをお勧めする。

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  • 10 Oct
    • すだまり氷・ソフト(山形県山辺町)2

      保養センターの売店ですだまり氷を頼む。 いちごのかき氷といっしょに、黒い液体が入ったビンが運ばれてきます。それがすだまりです。 注ぎ口には杉の葉っぱが挿されています。 このビンからさっさっといちご氷にすだまりをかけます。 見よ、これがすだまり氷。  いちごのシロップを下に置いたかき氷に、上からすだまりをかけたもの。すだまりで氷を食べ、いちごシロップで氷を食べ、最後にぐちゃぐちゃにして食べる。 3種類の味を楽しめ、さっぱりしてうまい!  続く   

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  • 03 Oct
    • すだまり氷・ソフト(山形県山辺町)1

       「すだまり」とは酢醤油のことです。つまり「酢だまり」。山形県山辺町に酢醤油を使ったかき氷とソフトクリームがあるんです。酢醤油のかき氷とかソフトクリームって想像できますか?  山辺温泉保養センターで食べられます。ここは300円で温泉に入れます。山形の温泉は銭湯より低料金。しかも温泉があちこちにあります。  続く 

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  • 26 Sep
    • 悪戸いも

      山形は芋煮会の季節です。 9月から10月にかけて、馬見ケ崎川の広い河原は芋煮会のグループで埋め尽くされます。 ところで、山形で芋煮に使われる里芋には「悪戸(あくど、あぐど)芋」と「土垂(どだれ)芋」の2種類があるのをご存知ですか? 一般に多く出回っているさといもは「土垂芋」と言われる系統です。 「悪戸芋」は山形市悪戸地区に何百年も伝わってきた里芋で、希少性があります。 (しかし「あくど」も「どだれ」もネーミングとしては最悪ですね。) 「悪戸芋」は「土垂芋」と比べると、丸形で色が白い。食べてみると柔らかくて粘りが強く、もちもちしています。煮たものを左右に引っ張ってみると糸を引くように裂けて行きます。絹のようにきめこまかい肉質です。また煮崩れせず、煮汁が中まで染み込みやすいという特徴があります。 芋煮には絶対に悪土芋が美味しいのですが、栽培が難しいのと、何より収穫時期が10月から11月と遅く、「芋煮会」シーズンに間に合わない弱点があります。そのため栽培量が少ない状況が続きました。(種芋も門外不出とされてきました。) しかし、悪土芋の食味の良さが見直され、需要が徐々に増加しているとのことです。近年は通販でも買えるようになりました(ただし販売量は少ない)。 「悪土」という強烈なネーミングは 栽培されている土地の名前から付けられました。 (決して悪人がすんでいる土地ではありません。) その地名は、アイヌ語の「アクツ」=「川沿いの低い土地」から来たようです。その名の通り近くには須川が流れ、砂地になっています。また朝靄がたちやすく 水蒸気がしっとりと葉を包みこむのだそうです。

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  • 19 Sep
    • 流鏑馬神事で落馬

      9月11日、仙台市大崎八幡宮の流鏑馬(やぶさめ)神事で第三騎手が試走中に落馬。  立ち上がれず救急車が出動しました。   幸い大事には至らなかったようです。  さて神事再開。    三の的に差し掛かりました。 見事命中!アクシデントはありましたが、この秋の五穀豊穣は間違いないようです。  

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プロフィール

辰つぁん

お住まいの地域:
宮城県
自己紹介:
山形市生まれ。仙台市在住。 ダックスフント2匹を連れて毎日広瀬川遊歩道を散歩してます。

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