• 24 Jul
    • 泣き歌の貴公子

          今気になる同郷の歌手、林部智史。   勝ち抜きの歌番組、ドラマの主題歌でよく彼の声を耳にしていたが、ようやくメジャーになってきた。 「山形県出身」、「山形南高校卒」、「苦節10年」と聞くとなおさら応援したくなる。     2107年7月2日の河北新報「河北春秋」から   切ない歌詞と歌声が相まって、いつの頃からか「泣き歌の貴公子」と呼ばれる。 新庄市出身の歌手林部智史さん(29)は、透明感のある歌声の持ち主だ。 10万枚を販売したデビュー曲「あいたい」など、これまでシングル3枚を発表した。 線が細い印象とは裏腹に、小学2年生からバスケットボールに打ち込み、一時はプロ選手を目指した体育会系だ。 夢をかなえようと1浪までして全国大会準優勝の実績を持つ山形南高に入学。 その後、ボールをマイクに持ち替えるまで多くの試練を味わった。 高校では全国の舞台に立つ力を備えながら、けがを恐れ、こぼれ球に飛び込めない自分に限界を感じ競技者の道を断念。 看護師を志して専門学校に進むも、実習で患者の死をきっかけにうつ病を患い、退学した 次々と目標を失い、住み込みで働きながら全国を転々とする日々を送る。 放浪先で歌声を絶賛され、歌手になろうと決意。 上京後、新聞奨学生をして学費を稼ぎ、音楽専門学校を卒業した。 アルバイトを経てテレビのカラオケ番組で脚光を浴び、2016年にデビューを飾った 地声は若いのに、歌になると情感にあふれ、憂いを帯びる。 「歌は人生経験が出る」と林部さん。 実年齢以上に成熟した響きは、多感な時期の苦悩と挑戦のたまものだろう。(2017.7.2)     Wikipediaによると   バスケットボールの強豪校への進学を考え高校受験をするものの失敗し、1浪の末山形県立山形南高等学校に合格するなど学生時代から挫折を経験している。 バスケットボールでは、全国大会に出場し、山形県の国体選手になるなどの結果を残している。 同高卒業後は鶴岡市荘内看護専門学校に入学した。 しかし、うつ病を経験し看護師を目指すのが困難になり、引きこもり生活を経験する。 その後、アルバイトをしながら放浪の旅を続けることになる。 そして北海道の礼文島にあるホテルで働いている時、友人に「その声で歌手を目指さないのはおかしい」と言われたのがきっかけとなり、音楽活動に専念することを決めた。 その後は新聞奨学生として懸命に働き、ESPミュージカルアカデミーヴォーカルコースを首席で卒業するなど、生活と歌の両立を図る努力を怠らなかった。 しかし首席となるも、数あるオーディションに合格できず卒業後の歌手デビューは叶わないでいた。 一度は歌手になることを諦め東京ディズニーシーでキャストとして働くが、THEカラオケ★バトルから出演のオファーがあり、そこからは仕事もボイストレーナーに就き、今一度歌手を目指し始める。 同番組では、なかなか優勝できずにいたが、2015年1月には優勝しないと番組出演を辞退すると決意し、初優勝。 その後も優勝を重ね、2015年の年間王者を決める大会で番組史上初となる予選、決勝連続100点満点をたたき出し完全優勝を決めた。 2016年に歌手デビューを果たし、THEカラオケ★バトルの2016年年間王者にも輝き連覇している。 その後、自身の音楽活動に専念するため、同番組は「殿堂入り」という形で卒業した。     抱きしめたい https://www.youtube.com/watch?v=AsNBQECzZeU あいたい https://www.youtube.com/watch?v=WrevSkNHD7M    晴れた日に、空を見上げて https://www.youtube.com/watch?v=rNA-4ecqn-I      

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  • 17 Jul
    • 人さらいとサーカス 2

       当時、バタ屋と呼ばれる廃品回収業者がいた。 彼らは毎日陸橋の西側からやって来た。 背中に大きな籐の籠を背負い、古い機械、針金など金目の廃品を探して東側の街を徘徊した。そして籠をいっぱいにして、重そうな足取りで夕陽の中を帰って行った。 子どもをさらうときはああいう籠に入れるんだと噂して子供らは怖がった。 当時スズラン街の子供たちにとって、陸橋の西側は異界であった。サーカスも人さらいもバタ屋も、みな陸橋を越えてやってくると信じていた。  

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  • 10 Jul
    • 人さらいとサーカス 1

      昔、暗くなっても外で遊んでいると祖母が「もう籠しょった人さらいが来る時間だ」と迎えに来た。「さらわっだらどうなるんだ?」 「サーカスさ売られるんだ」 「・・・・」「朝昼晩、茶碗一杯の酢飲まさっで、骨やっこぐして軽業(かるわざ)させられるんだ」「ご飯はないのか?」「ご飯なのない。酢だげだ」少年は「三食とも酢」という食生活に震え上がった。  サーカスはお薬師様の境内で1か月ほど興行を行なうと、いつの間にかいなくなった。きれいな服を着て、旗を持って踊っていた女の子もいっしょに。後にはチラシ一枚、塵一つ残さなかった。今どこにいるかも、次にいつ来るのかも分からない。いったいあの女の子は学校に通っていたのだろうか。(続く)

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  • 03 Jul
    • 春の月岡公園(上山)

        上山のお城の隣にある月岡公園。   桜の名所でもあります。   訪れたのはゴールデンウィーク。 桜はやや盛りを過ぎたがまだまだきれいだった。   明治期に東北を旅した英国女性イザベラ・バードの碑。 この上山の地でのもてなしを絶賛している。   残雪少なくなった蔵王。 この地の人は365日、蔵王を仰ぎ見て生きている。   山を見て理想・憧憬を高く持ち続ける人と、常に山に見下ろされて卑屈、陰険に育つ人が出てくる。 私は両方の上山人を知っている。  

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  • 26 Jun
  • 19 Jun
  • 12 Jun
  • 05 Jun
  • 29 May
    • き○やか銀行の秘密 2 花笠定期と労働組合

       今から37年前のことになる。「花笠定期」という商品があった。テレビでも宣伝していたが、もはや検索エンジンにかけても出て来ない年代物である。 「花笠定期」は当時の■銀が華々しく売り出した定期預金だった。 ある日仙台の拙宅を、「■銀長町支店の外渉」と名乗るMという人物が訪ねてきた。 仙台県人会の名簿で私が山形出身であることを知ったのだという。「預金獲得のノルマがある。件数を稼ぎたいから同郷の縁で、いくらでもいいので預金してもらいたい」と懇願され、手持ちの1万円を渡した。Mは名刺の裏に受取りを書くと、2、3日中に通帳を持参すると帰って行った。しかし1月経ってもMは現れなかった。家内は、「馬鹿ね、銀行員が名刺を受取りにするわけないじゃん。それ詐欺よ」と言った。私は警察に届ける前に■銀長町支店に電話をしてみた。「そちらにMという外渉はいますか?」 すると、「いる」という。そしてなんとMが電話に出てきた。本人であった。 Mは銀行の労働組合の副委員長に祭り上げられて忙しく、通帳のことはすっかり失念していたという。その夜、Mと長町支店長が雁首を揃えてわが家にやってきた。 作ったばかりの通帳と菓子折り持参だった。それは1年定期だった。私は満期当日にそれを解約した。 100円ほどの利息がついていた。 表紙に紅花がデザインされた通帳は今でも引き出しに入っている。  むろん通帳のその後は空欄である。 そのときのメモ帳↑しっかり取ってある。仙台に■銀の支店は3つしかなくて、それも不便なところにあった。店内はいつも空いていて、お客さんはたいてい山形出身の人だった(言葉でわかる)。山形大学の授業料の振込みか(山大の指定金融機関になっている)、山形から仙台の大学に来ている子弟への送金に使われるくらいしか仙台では存在理由がないのだろう。 「■銀」、(後の)「き○やか銀行」と聞くと私はこの花笠定期の事を思い出す。 顧客より労働組合が大事なのは伝統だ。それは名前がき○やか銀行に替わっても同じである。私は山形県人会の名簿から自分の名前を削除してもらった。(続く)    

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  • 22 May
    • 昭和小僧 ~勝手にタイムスリップラジオ~

      横町南1区子供会のマーボーちゃんから、「YBCで面白いラジオ番組あるよ」と教えてもらいました。 仙台ではYBCラジオが入らないため rajikoで聞きました。   本放送は日曜の朝9時から9時半ですが、rajikoだとその後1週間いつでも聞けます。    ドンキー 佐藤はこういう人↓ http://www.yamacomi.com/2174.html       5月14日分の内容は・・・   植木市、ところてん、弁当開き、パン開き、山形ドリームランド(黒川紀章設計で動物園も水族館もあったが、冬仕様でなかったのですぐに解体された)、アイスパレス、梅月堂のクローバー型の3色パン、最上ゆき子   ・・・など盛りだくさんでした。   マーボーちゃん、面白い番組教えてくれてありがとう!毎週聞きます。   5月21日分の内容・・・ ライオンワオワオショーで黛ジュンを見た。 山形駅で迷子になった。 村山市の子供は遠足が大沼デパートだった。 大沼デパートの地下に映画館があった。 ダイエー1階でYBCサテライトスタジオという番組があった。 七日町のジャズ喫茶「フランセ」。 中山千夏「あなたの心に」   5月28日分の内容・・・ 最上ゆき子の生写真 キャンディーズの直筆サイン 伊藤咲子は岩波出身 ジャイアント馬場の写真 旧市街は子供が少なく、お神輿ができない ハニーナイツの「振り向かないで」   6月4日分の内容・・・ あだな、ゲオロジ、宇宙人 プラモデル 仮面ライダーショーにみのもんた、水木一郎 小池常安と小柴大三をゲストい呼んでほしい テルミー   6月11日分の内容・・・ カックラキン大放送 チュウインガム「風と落葉と旅人と」  七日町でライブ(1972年ごろ)  松田ユミ、リカの姉妹 蔵王音楽祭に松田聖子、渋谷哲平、ひかる一平がゲスト出演。  松田聖子が記念植樹→それが掘り返されて行方不明 南陽菊祭りに吉沢京子が出演。(母が南陽出身) 中雅美 サボテンとマシュマロ 家庭の秘密 ナッキーはつむじ風 底抜け脱線ゲーム 金原二郎   6月18日分の内容・・・ 六椹の斎藤さんが牛を飼っていた。 なめかん あだ名・・・けっつ、べこ、富永一郎 小林美紀(新庄出身)・・・スタ誕、人魚の恋 駅地下の喫茶店「四季」、「マロン」 ウインナコーヒーにウインナソーセージが付いてくると思ってた頃   6月25日分の内容・・・ コカコーラのホームサイズ500ml。レギュラーサイズは190ml。 かっぱえびせんに牛乳をかけて食べた。 ビールの箱ベッドを作った。ポパイに載っていた。 駄菓子屋で売っていたパレード。安かった。 ファンタは高級。ミリンダは安かった。 プラッシーはなぜか米屋で売っていた。 給食でヨーク、マミーが出た。 ヤクルトは配達制でビンだった。立谷川にヤクルトの工場があった。川西町に三菱鉛筆の工場があった。バナナエードは不味かった。 大沼の地下のフレッシュジュースは高いが美味かった。 藤木まり「恋のステップバイステップ」   7月2日分の内容・・・ 電気沼、三番橋、7-up、Drペッパー、アンバサ、チェリーコーク おっぱいアイス、ホームランバー、ビバオール、ダブルソーダ、3色トリノ、 ミルク飴、仮面ライダースナック(カード付き20円) 駅前虎屋レコード、駅前喫茶あかさたな、 旅籠町の喫茶店マジョルカ タイガース「モナリザの微笑み」   7月9日分の内容・・・ ベゴというあだ名の子供がクラスに1人はいた。 けっつ、赤べコというあだ名も。 鉄砲町の斎藤さんは義理の父。 西高の隣に牧草地があった。 外便所の恐怖。 遊び人の父:子供が急病になり、七日町・花小路の飲み屋を探された。 天井から下がる裸電球をマイクに見立て湯の町エレジーを歌った思い出。 「ハチのムサシは死んだのさ」   7月23日分の内容・・・ 学芸会の思い出 ・牛が口から水を出して飢饉の村を救う話 ・走れメロスに3人主役がいた。 アンジェリーナ・ジョジョリーナ 天童の長崎屋で三波春夫を見た。 サテライトスタジオで柴田恭平を見た。 蔵王音楽祭でシブガキ隊を見た。 車のシートにかけられたビニールをいつまでもはがさなかった。 ツノダのTU号にラジオと吹き流しが付いていた件。 三ツ矢サイダーは透明で高級。安いのはパインサイダー。 三ツ矢サイダーのCMソング。            

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  • 15 May
  • 08 May
    • 山形だけの年間三隣亡 4

        民俗学と三隣亡 新潟県や群馬県の一部では、三隣亡の日に土産物を貰った者は没落し、贈った方は成金になるという言い伝えがあるので三隣亡の日に贈り物を贈ることは避けるのが風習となっているのだそうだ。   このことは、板橋作美の論文『群馬県南西部におけるオサキモチ信仰とサンリンボー信仰の社会的意味』に詳しい。     平素三隣亡はまだしも、年間三隣亡は日常生活に大きな影響を与えることになる。   家を建てるとか、ビルを建てるなどと言うことは、普通は一生に一度の大事なので、迷信とわかっていてもわざわざこんな日にしなくともいいだろうと避けたくなるのが人情である。   三隣亡のよけ方   ●平素三隣亡 日数としては少ないので、これ以外の日に事を起す(だから因襲がすたれないのだろう)。   ●年間三隣亡 丸一年工期を延ばすわけにも行かないので、亥、寅、午の年の前年にお祓いをして「仮杭(工事を始めたという印)」を現場に打ち込む。三隣亡の前年に着工したしるしを付けたことになり障りはない、とされる。   まあとにかく面倒なことであると山形の大工さん、不動産屋さんは嘆いていた。    山形では三隣亡の他に、大将軍という悪習が今も生き残っているのでさらに厄介である。 これも仙台の人は聞いたことがないだろう。   墓の建立については三隣亡、大将軍は関係がなく、「思い立ったが吉日」(いつ着工しても良い)と寺町の和尚さんが言っていた。   大将軍についてはまた別の機会に。   「山形だけの年間三隣亡」 了     次回から「き○やか銀行の秘密」を連載します。                    

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  • 01 May
    • 山形だけの年間三隣亡 3

      三隣亡と建築 三隣亡は少し前までは山形県の建築関係者の大凶日とされ、棟上げや土起こしなど建築に関することは一切忌むべしとされた。   現在でも棟上げなど建築に関することの凶日とされ、建築関係の行為は避けられることが多い。 高い所へ登るとけがをすると書いている暦もある。   年間三隣亡は寅、午、亥の年だが、平素三隣亡の日取りは二十四節気を元にした節切りで、次の通りである。   平素三隣亡   1月 亥の日 2月 寅の日 3月 午の日 4月 亥の日 5月 寅の日 6月 午の日 7月 亥の日 8月 寅の日 9月 午の日 10月 亥の日 11月 寅の日 12月 午の日     なお、二十四節気のうち、太陽黄経が30の倍数であるもの(春分・穀雨など)を中気、そうでないもの(清明・立夏など)を節気といい、節気から次の節気の前日までの間を1か月とする月の区切り方を節切り、その月を節月という。   以下の節月は旧暦の月とは当然異なるものとなる。 例えばここで1月と書いているのは、1月節気の立春の日から2月節気の啓蟄の前日までを指している。 太陽暦の採用されている現在でも、年毎に日取りは変わっていない。   (続く)  

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  • 24 Apr
    • 霞城公園の桜 2017

      霞城公園西門の桜が一番好き。         石垣と桜は良く似合う。   東門は人が多い。     桜~堀~線路 の山形ならではの風景。     この野球広場もなくなるそうだ。     南門の石垣に階段が整備された。   その隣の土堤も舗装され、階段が出来た。   残雪も少なくなった蔵王。   馬見ケ崎川の桜回廊を通って仙台に帰る。   ここも満開。 来年も桜を見られるだろうか、毎年心配になる。

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  • 17 Apr
    • 一目千本桜(船岡~大河原)

      白石川河畔の一目千本桜。 川沿いに船岡から大河原まで散策します。   さくら歩道橋からの眺め。左は市民農園。   今日は25度もあるが、曇っていて風が強い。   堰と桜と蔵王が望める絶景ポイントだが、今日は蔵王が見えない。   桜の下をジョギングする人。    ときおり雲が切れて陽射しがのぞく。   大型犬3匹を連れてお散歩。   この季節はどこを撮っても失敗なし。     御神輿が終わった団体。   ダックスとトイプーがじゃれる。   歩道も満員。   千桜橋から見る船岡城址。 橋を渡って登れますが、特に何もありません。 大河ドラマ「樅の木は残った」の舞台。  千桜橋からみる桜。   千桜橋下の階段。   大河原駅に近づくと花見会場になる。  

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  • 10 Apr
    • 山形だけの年間三隣亡 2

      三隣亡の由来   三隣亡の由来は全く不明である。 江戸時代よりも前の古い暦注解説書には書かれておらず、江戸時代になってから散見されるようになった。   興味あることには、江戸時代の本には「三輪宝」と書かれ、「屋立てよし」「蔵立てよし」と注記されていた。 すなわち、現在とは正反対の吉日だったことになる。   これがある年の暦から一変したのだそうだ。 恐らく暦の編者が「よ」を「あ」と書き間違え、それがそのまま「屋立てあし」「蔵立てあし」と伝わってしまったのではないかと推測されている。   その後「三輪宝」の吉字が凶日を意味するのではおかしいということで、同音の「三隣亡」に書き改められたのである。 由来を思えば全く馬鹿げた悪習である。   馬鹿げてはいるが、「向こう三軒両隣を滅ぼす」と言う話だとご近所さんでこの迷信を信じる人がいたら、以後の近所つきあいが難しくなる。仏滅とはまた違う難しさだ。   それが三隣亡迷信がなかなか廃れない理由である。   (続く)    

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  • 03 Apr
    • 山形だけの年間三隣亡 1

      三隣亡という風習を御存知だろうか。 それは、建築行事を避けるべきとする暦注の一つである。文字通り、「三隣亡の日に家を建てると、向こう三軒両隣が滅び、その家だけが栄える」という考え方である。三隣亡は元々大安や仏滅のように日ごとの吉凶を表すものだが(平素三隣亡)、山形県では全国で唯一、「年間三隣亡」という風習がある。この風習は廃れるどころか、近年ますます強まり、住宅着工数を大幅に押し下げている。「年間三隣亡」は寅、午、亥の年の立春から翌年の節分までとされる。つまり12年のうちの3年がこれに当たることになる。山形では年間三隣亡の年に必ず住宅着工が減る。これは山形特有の現象である。世の中の景気とは関係がない。山形では1960~70年代は年間三隣亡の年は持ち家の住宅着工戸数が10%の減少だったが、1980~90年代は15~20%、2000年以降は20%と、減少幅が次第に広がっている。 年間三隣亡は庄内地方が主な地域と見られることがあるが、実は県内全域で浸透している。(続く)

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  • 27 Mar
    • 錦ケ丘ヒルサイドモール

       山形から48号線で仙台に向かうと、愛子付近で錦ケ丘ヒルサイドモールが見えてくる。ここに新しいキッズスペースが出来た。 入口のカフェはずっと前から閉店したまま。ここが空いたままだと寂れた印象を与える。  たまご舎は中央エスカレーター左に移転した。  2階北側に出来たキッズスペース「感性の森」。  見取り図  木製の迷路、遊具があります。キャラクター、ゲームはありません。子供の創造性を引き出す空間だそうです。  大人だけだと入れないので注意。大人はあくまでも「こどもの付き添い」で。  開園したばかりで平日ということもあってか、入室しているのは1組だけだった。  錦ケ丘は「子育てタウン」を唱っている。ようやく子供中心の店作りにしようと決めたのか。 2階は子供服の店とか、  駄菓子の店とか、  広いおもちゃ売場とか、  アンパンマン遊具コーナーとかが揃った。 中途半端なブランドショップを誘致するよりはこの路線の方が良いかもしれない。

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  • 20 Mar
    • これが噂の「ダールラーメン」

      3月の286号線を山形に向かう。道路には全く雪がない。 釜房湖を過ぎて右手にこの看板。20年ほど前からこの看板に気がついてはいたが、なかなか立ち寄るチャンスがなかった。  これがドライブイン「みしま」。今日こそ「ダールラーメン」に挑戦するぞ。 入り口に写真入りのメニュー。ボリュームがすごそう。 店内は家族連れ、トラックドライバーなどのグループが多い。 「ダールラーメン」は辛めのあんかけラーメンとある。ライスはとても食べられないので、単品780円を注文する。  待つ間メニューを熟読。ここはラーメンと焼きそばの店なのだ。 ベトコンラーメン(納豆入り)だって!  さあ、来ました。この店の1番人気のダールラーメンです。確かにあんかけラーメンですが、その「あん」自体が辛い。ウズラの卵とエビが2個ずつ入っています。しょうゆ味の五目ラーメンに辛いあんをかけた、というのがダールラーメンの正体。熱いあんのおかげで麺が最後まで熱々。ボリュームたっぷり。辛くて熱くて、寒いのに汗びっしょりになります。夏なら大変だな。名前の由来はメニューに、「とろ~り、ダラー、ダール!!」とあったのでこういうことかなと納得。

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  • 13 Mar
    • 忘れない、あの日を、あの人を ~悲しみの始まりの場所~

       春を恨んだりはしない -震災をめぐって考えたこと-  池澤夏樹2011年9月11日 中央公論社・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本のメディアは死体を映さなかった。本当に人が死んでゆく場面は巧みに外されていた。カメラはさりげなく目を背けた。しかし、遺体はそこにあったのだ。女川に「仮土葬場」という案内と標識があった。雨に濡れた地面の下に亡くなった人たちがいる。冷たい地面の中で、その地面と同じ温度になってしまっている。もう生き返ることはない。あの頃はよく泣いた。あの時に感じたことが本物である。薄れさせてはいけないと繰り返し記憶に刷り込む。津波の映像を何度となく見直し、最初に見たときの衝撃を辿り直す。しかし背景には死者たちがいる。そこに何度でも立ち返らなければならないと思う。遺体の捜索に当たった消防隊員、自衛隊員、警察官、医療関係者、肉親を求めて遺体安置所を巡った家族。たくさんの人たちがたくさんの遺体を見た。彼らは何も言わないが、その光景がこれからゆっくりと日本の社会に染み出してきて、我々がものを考えることの背景となって、将来のこの国の雰囲気を決めることにならないか。死は祓えない。祓おうとすべきでない。さらに我々の将来にはセシウム137による死者たちが待っている。撒き散らされた放射性の微粒子は身辺のどこかに潜んで、やがては誰かの身体に癌を引き起こす。こういう確率論的な死者を我々は抱え込んだわけで、その死者は我々自身であり、我々の子であり、孫である。この社会は市の因子を散布された。放射性物質はどこかに落ちてじっと待っている。我々はヒロシマ・ナガサキを生き延びた人たちと同じ資格を得た。今も、これからも、我々の背後には死者たちがいる。 震災以来ずっと頭の中で響いている詩がある。ヴィスワヴァ・シンボルスカの「眺めとの別れ」。その最初のところはこんな風だ・・・ またやって来たからといって春を恨んだりはしない例年のように自分の義務を果たしているからといって春を責めたりはしないわかっている わたしがいくら悲しくてもそのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと  これはシンボルスカが夫を亡くした後で書かれた作品だという。この春、日本ではみんながいくら悲しんでも緑は萌え桜は咲いた。我々は春を恨みはしなかったけれども、何か大事なものの欠けた空疎な春だった。桜を見る視線がどこかうつろだった。古歌の「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」を思い出したのは当然の連想だったろう。桜の華やかさは弔意にそぐわない。 春を恨んでもいいのだろう。自然を人間の方に力いっぱい引き寄せて、自然の中に人格か神格を認めて、話しかけることができる相手として遇する。それが人間のやり方であり、それによって無情な自然と対峙できるのだ。来年の春、我々はまた桜に話しかけるはずだ、もう春を恨んだりはしないと。今年はもう墨染めの色ではなくいつもの明るい色で咲いてもいいと。 日本の国土は世界でも珍しい四枚のプレートの境界の真上にあり、世界の地震の2割は日本で起こる。こういう国土で暮らす我々は、自然と対立するよりも「受け流して再び築く」という姿勢を身に着けてきた。わたしたちは攻撃しない。わたしたちは執着しない。意識しないで生きてきたけれど、この姿勢は日本で暮らす必然の知恵、本能に近いものだったのかもしれない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 池澤さんの文章は静かだ。私が訪れた被災地も静かすぎて、静寂の音が聞こえるようだった。 3月11日の死。そして、それから累々と続く死と悲しみ。これらをすべて忘れないこと。 今も、これからも、我々の背後には死者たちがいる。死をまっすぐに見つめる。眠りではなく二度と蘇ることのない死を受け入れる。 忘れてはいけない。悲しみの始まりの場所のことを。 2017年3月11日14時46分、仙台の街頭では鎮魂の鐘が鳴らされ、道行く人々は立ち止まり東に向かって黙祷した。辰つぁんは山形の駅前にいたが、鐘も鳴らなければ足を止める人も皆無だった。 現在、震災による死者は1万5893人、行方不明者は2553人となっている。 

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プロフィール

辰つぁん

お住まいの地域:
宮城県
自己紹介:
山形市生まれ。仙台市在住。 ダックスフント2匹を連れて毎日広瀬川遊歩道を散歩してます。

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