私たちは、


自分の思っている以上の能力をもつ存在です。



人生経験によって、


それが見えなくなっているだけなのです。




私たちは、自分の体験することしか、体験できません。




自分の人生経験しか体験できないために、


その体験から受けた印象に支配されているのです。



あるときまで私たちは、


人生経験から、学んだことをすべてだと錯覚します。



錯覚の中に生きます。




錯覚であるがゆえ、


苦しみが起こるわけですが、


その原因が、過去の学習の盲信にあると気づく人は、


まだ少数のようです。




少数ではありますが、


あるとき外側から教えられるものをそのままに学ぶ期間を経て、


学んだことを 手がかり 足がかりにして、


みずからの意志で真実を探しはじめるという


探求の旅をはじめる人もあります。




とはいえ、このような人のすべてが、


この謎を解けるというわけではないようです。



探求の旅がはじまっても、


前途は多難であるかもしれません。



この探求の旅は、


私たちをどこへと導くのでしょうか。



この世界へと生まれてきたとき、


私たちは世界から分離しました。



そこに意識が芽生え、


その意識の中に蓄積されていく「何か」を


自分だと錯覚するようになりました。



この「何か」を自分だと錯覚するようになったとき、


私たちはこの「意識」こそを自分だと錯覚するようになり、


そもそもここには「分離したもの」など何もないという真実は、


どこか遠いところに隠してしまいました。


(とはいえ、本当はどこにも隠されてなどおらず、


分離などそもそもないところに、


意識が勝手にそう錯覚してしまったがゆえ、


それには、気づきにくくなったという意味にすぎませんが)



世界があります。



「私」意識が誕生しました。




「私」意識を自分だと錯覚しました。




「私」と「世界」が分離しました。



ある人は、


この分離の錯覚がつくりだす矛盾に気づきはじめ、


真実探求の旅をはじめます。




あるとき、


外から学んだすべてが、


分離の錯覚の原因の一つだったと気づきます。



もしもこの人が幸運であったら、真摯であったら、


さらに根底にもう一つの原因を


発見できるかもしれません。



私たちの意識は、


外の世界の何かを意識した瞬間、


「外から分離していると錯覚する」


という事実です。




そもそもが、分離の錯覚のうえに


築かれているという事実です。




(1)過去に学んだことの集大成―思考―が


   真実ではないという気づき、


(2)何かを意識した瞬間、それに気づいているものは、


   分離の錯覚の中からすべてを認識しているという気づき、


この二つの謎が解けたとき、私たちは分離の錯覚から目覚めます。




これを「悟り」や「非二元」ということばで語ることもできますが、


これをそう呼んだ瞬間、それではなくなります。




「悟り」や「非二元」ということばで、


語られているようなものは、存在しません。




気づきがあるだけです。


あなたにできることは、


これに「気づく」ことだけです。




このとき、


これらのことばをとおしてイメージしていたような、


あなたの期待しているようなことは、


何も起こりません。




この気づきをことばにすると、


悟りや非二元ということばで表現されるのですが、


そうして表現されたものは、


ぐるっと一周してもとに戻ったものにすぎません。




*****




分離の錯覚から目覚めると、


何が起こるのでしょうか。




*****




「それ」の中で―




誕生したとき世界から分離する。



意識が芽生え、


意識と、意識の経験していることを経験しているものを、


自分だと錯覚するようになる。



そこに、外から教えられるものを学び、


それを真実だと錯覚するようになる。



探求によって、


過去に学んだことは真実ではなかったと気づく。



さらに、


何かを意識した瞬間に誕生する


分離の錯覚のうそに気づく。



「それ」の中で―



*****



このとき、私たちは気づきます。



すべては、無意識の世界で起こっていた、


自己催眠にすぎなかったと!



そもそも、分離など存在しないところに、


分離の錯覚を、自分がつくりだしていただけだということを!



最初から「分離なき世界」だけが存在していただけ。



とはいえ、ことばで語られたものの中には、


探しているものは存在しません。



それを発見するのは、あなた自身です!



あなたはすでにそれを体験しています。



「それ」以外―「二」―など、


そもそもないのですから。



少数ではありますが、


あるとき外側から教えられるものをそのままに学ぶ期間を経て、


学んだことを手がかり足がかりにして、


みずからの意志で真実を探しはじめる人もあります。



このブログは、


このような真摯な探求者に、


ヒントを提供するためのものです。



「それ」が再発見されたとき、


私たちは「それ」の中に消えます。



「それ」の働きが


私たちをとおして、起こります。



自分の思っている以上の能力が発現します。



これが人間の真の能力です。



私には、あなたのこの真の能力が


外の世界へと発現したがっていることが、わかります。




私たちはこのとき、


自分自身の手で、


世界を変えていくことができる、とわかります。




*****



コメント欄について。



コメント欄へのコメントは、


読んだ人が気持ちよくなれるものを受けつけています。




この範囲内で、ご自由にご活用ください。



読んだ人を傷つける目的、意図を感じたものは、


削除します。



コメント欄への質問には、


お答えできるものは、記事内にてお答えさせていただく場合があります。




が、すべてのご質問にお答えすることを


約束するものではありませんので、


ご了承の上、ご質問お願いします。



コメント欄へ投稿いただいたご感想やご質問は、


ブログ内や著書の中でご紹介させていただくこともありますので、


ご了承の上、書き込みをお願いいたします。



それでは、当ブログを、どうぞよろしくお願いいたします。


201621
                                  やまがみてるお




※ 旧ブログ 『誰でも「悟り」プロジェクト』 は こちら