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やまがみてるおです。


ご訪問、ありがとうございます。


はじめてお越しの方は 最初に こちら  をお読みください。



(※ 旧ブログ 『誰でも「悟り」プロジェクト』 は こちら  )



テーマ:

「ノンデュアリティを語る」と「ノンデュアリティを生きる」の違い(2)

一瞥体験を悟りと語るメッセージから学ぶ




最近になってようやく私は、

自分が「ゆだねて生きる」

実生活でできるようになってきたといえると、

感じています。




私は、一瞥体験によってノンデュアリティを垣間見たあと、

一瞥体験の経験から気づいたことを伝えはじめました。




私は自分の体験から、

一瞥体験の印象が強いために

私たちはそれを悟りと錯覚し、

それを悟りと伝えるようなことが起こっている、

と感じています。




いい悪いではなく、

メッセンジャーをされている多くの人は、

一瞥体験を悟りと錯覚している可能性があります。




しかもそれを悟りと錯覚しているがゆえに、

それを悟りと錯覚したまま、

「一瞥体験は悟りではない」という宣言も

可能になっています。




例にもれず私も、

一瞥体験中、

そしてそれが去ってしばらくの期間、

「私は悟った」と錯覚し、

自分がまだ一瞥体験中であるにもかかわらず、

これに気づけずに、

一瞥体験は悟りではない」と

語っていた期間があります。




一瞥体験と悟り

―あるいはノンデュアリティを生きている―の違いが、

ちゃんと整理されていないため、

このようなことが起こっていると私は感じています。
 
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テーマ:

「ノンデュアリティを語る」と「ノンデュアリティを生きる」の違い

 

(1)ノンデュアリティを語りながら、

目の前のノンデュアリティへの抵抗が起こるとき




沖縄リトリート、無事終了しました。




リトリート終了後、

沖縄本島の南東に位置する離島、

久高島に渡ってしばらく過ごさせていただき、

23日深夜無事帰宅しました。




沖縄リトリートへご参加くださいました皆さま、

楽しい時間をありがとございました。




今回のリトリートを通して、

これまでの私は「ゆだねて生きる」ができないままに、

ノンデュアリティを語っていたことに、

あらためて気づかせていただくことができました。




久高島での体験も、

まさに「ゆだねて生きる」体験でしたので、

このことも合わせてお話したいと思います。




*****




私たちは、無意識下において

「『分離した自分』を維持したまま、分離はない」と語ることができます。




このようなときは、

「ノンデュアリティのわかった自分」が正しくて、

「ノンデュアリティをわかっていない誰か」に、

これが語られます。




(このブログシリーズ記事に合わせて、

2017228日発売予定の

『スターピープルVol.』の連載記事をご参照ください)




このようなときの私たちは、

まだ残存する「正/誤」に操作されて、

「ノンデュアリティのわかっていない誰か」を

「ノンデュアリティのわかった誰か」に変容するために、

目の前の「ノンデュアリティ」―ありのままの出来事―に

抵抗しているわけです。
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子どものころにつくりだした、

偏ったプログラムがあります。




成功の前に、

このプログラムの修正が大切だと私は感じています。




ビジネスで成功したとしても、

何かの夢を実現したとしても、

一瞥体験が起こったとしても、

この幼児期につくりだしたゆがんだプログラムの影響がある限り、

私たちはいつまでたっても幸福にはなれないからです。




一瞥体験後、

このプログラムの解体が進む場合があります。




一瞥体験よりも、

ノンデュアリティの説明よりも、

ノンデュアリティが説明できることよりも、

このプログラムの解体の方が大切です。




ところが多くの人は、この価値よりも、

もっと何か強い印象のあるものの方に興味を抱くようです。




もちろん、それも尊重します。




けれども、それでは幸福のない場所を探すことになります。




子どものころにつくりだした、「私は幸福ではない」

あるいは、「私は幸福になってはならない」というプログラムが、

ずっと働いているのです。




これからは、

一瞥体験よりも、

ノンデュアリティの説明よりも、

ノンデュアリティが説明できることよりも、

このプログラムの解体の方が大切だと気づく人が増えてくるでしょう。





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「1+1=」(1足す1は?)と耳にしたときに、

その答えを「5」や「10」、

あるいは「100」ととらえても何も悪くない、


と感じられるようになったとき、どうなるのでしょうか?




共通認識としての「1+1=2」があってもいいとわかったまま、

それがただの共通認識だとわかります。




「私は人間である」という認識が、

ただの人類全体の共通認識にすぎないとわかったまま、

共通認識をこえた自己感覚を生きることができるようになります。




すべての説明が単なる説明にすぎないとわかりますが、

その説明の中で生きることも、

そのまま尊重できるようになります。




このとき、

いっさいの説明の影響を受けない人生がはじまります。




以前、私には

「ノンデュアリティを語りながら、

ノンデュアリティの説明をつかみ取っていた」ころがあります。




新しいアプリケーションへの書き換えが完了すると、

「ノンデュアリティの説明」さえも不要になりました。




「ノンデュアリティの説明」さえも、

「単なる説明にすぎない」とわかったからです。




私が伝え合いたいことは、

「ノンデュアリティの説明」ではなく、

「実際に伝達し合えるアプリケーションの書き換え方法」でした。




この「書き換え」は、

しだいに容易になってきていると感じます。




これからは、この「書き換え実験」を、

さらにより多くの人と、

そして「より楽しく、より簡単に起こる方法」で、

伝達し合いたいと感じています。




まずは

「自分のアプリケーションの書き換え」をしましょう。




そして、自分の書き換えの完了したもの、

「あるがまま、そのままで愛に満たされていたことを思い出したもの」同士で

協力しあい、この価値を伝えていきましょう!




共通認識の幻想から目覚めて!




幻想であったのは、

二元世界ではありません。




二元世界に対する共通認識です。




共通認識の幻想から目覚めると、

二元世界がそのままで

愛に充満した天国に戻ります。




二元世界が、

最初から愛に満たされていたことが

わかります。





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「愛されたい欲求」から目覚め、

あるがまま、そのままで愛に満たされていたことを思い出すことは、

頭で理解することではありません。




これは、「感じる」ものです。




いま、そう感じていないとすると、

「愛されたい欲求」が残っている証拠です。




このとき、アプリケーションの書き換えをします。




具体的には、

つねに「外界に何かを求める動き」が起こりますが、

このときに「そこには幸福はない」ことに気づき続けるわけです。




そして、いくら「外界に何かを求める欲求」が起こっても、


ただ無視して「そのままにある」選択を続けるわけです。




「外界に何かを求める欲求の方向には、


幸せはない」とわかっているのですから。





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