悟りって、なんだろう?



本当にわかったら、




「これが悟りだ」なんて、けっして言えなくなっちゃうよ!



だって「これが悟りだ」は、他者から悟った人って見られたがっている、エゴイズムの言葉だからだ!




本当にわかったら、悟りだの、悟りではないだのなんて、話題にすることが、バカバカしくなるよ!




悟った人って見られたがっている人たちの言葉をすべて捨て去って、自分の中を探すんだよ!




そこにしか、探しているものは、ないんだからさ!











僕は、、、


目の前の現実から、ずっと目をそらして生きてきたんじゃないだろうか、、、




遠い夏の日、


トンボを追いかけた




つぶさないように


カエルを握りしめて走った






そんなこと無駄だと教えられた






無邪気な好奇心、、、







大切なものをひとつずつ捨てていくことで、





大人になれたのだろうか、、、







ゆがんだ子ども(いまの)に




つくり変えられていただけだ







目の前の現実の中にこそ






奇跡がいっぱいある、、、







いや、そこには、奇跡しかない!








生きているという奇跡、、、









僕は





これが見えないように、







つくり変えられていたんだ!








いくらたくさんの本を読んで学んでも、




どれほど誰かの教えに従っても、



人生がうまくいかないのは、




「自分で考えた正しい」に従っていないからだ。





僕たちは過去の人生のすべてで、「自分で考えないように」洗脳された。






そうやって、誰か(の誘導)に支配されたままだから、いつまでたったって、人生はうまくいかない。





「自分で考えた正しい」に従って生きられるようになるまでは。






「自分で考えた正しい」に従いはじめて、自分の人生を生きられるようになる。









ストーリーの価値をゼロにして、ストーリーの苦悩から、自分を救い出すことはできなかった。




自分が、ストーリーの中の存在だからだ。





ストーリーの中で、真実に目覚める必要があるのだ。





ここでは、真実に目覚めても、ストーリーの価値が最大限に生きている!





なんとすばらしいことか!