こんにちは
このブログでは これまで ”ブッダの教え” を 研究してきました。
最近 このブログでは “笑顔” について 考えてきましたが・・・
前回の記事における その反対側にある “怒り” については・・・
なぜ “怒り” が ”人間の欲望” であるのか? について・・・
よく 理解できないと 思われる方も 多いかもしれません。
そして おかげさまで 最近は・・・
このブログの 読者になって頂いた方が さらに増えましたが・・・
”ブッダの教え” について 詳しく 知られていない方々も 多いようです。
それで 今回の記事では ”ブッダの教え” について 改めて 振り返り・・・
”怒りの本質” について 改めて 考えてみたいと思います。
仏教の開祖であった ”ゴータマ・ブッダ” は・・・
本名を ”ゴータマ・シッダールタ” と いいました。
彼は インドの ”シャカ族の王子” として 何不自由なく 生きていましたが・・・
その後 妻子と別れて 出家して 厳しい修行生活に 入りました。
そして 彼が その修行生活の中から 発見した ”真理” を・・・
体系的に わかりやすく説いた ”仏教” を 成立させました。
そして ”ブッダ” とは “真理に目覚めた人” を 意味しています。
また ブッダは その教えの中で・・・
”人間の欲望” が 人間を ”苦しめる原因” であることに気づき・・・
その欲望の中でも ”最悪の煩悩(ぼんのう・欲望)” として・・・
”貪(とん・むさぼり)” ”瞋(じん・怒り)” “癡(ち・無知)” を 示しました。
そして この 三大煩悩を ”三毒” といいます。
まず “貪(むさぼり)” とは ”欲望をむさぼる” ことであり・・・
私たちが ”欲望を拡大する” ことによって・・・
それに比例して 私たちは ”苦しみの原因” を ”増やす” ことになるのです。
それで ”貪り” が ”最悪の煩悩(欲望)” と 示しました。
また “癡(無知)” というのは・・・
私たちが この世界の “真理” を ”知らない” ことを 意味します。
そして ”真理” を 知るためには・・・
”人間の欲望” を ”排除する” ことが 必要です。
その意味は 私たちが ”人間の欲望” だけに 囚われていると・・・
この世界にある ”他の価値観” を 考えることが 全く できなくなるからです。
つまり 私たちが 自分自身の欲望を ”そのまま” にすることが・・・
この世界で 共通している ”真理” を 探究する努力を 怠ることになり・・・
その結果 ”無知” を 導くことになるのです。
そのために “癡(無知)” も ”最悪の煩悩(欲望)” と 示したのです。
そして 問題になる ”瞋(怒り) については・・・
私たちの “怒りとは何か?” について 考えると・・・
それは ”自分の考え方” を ”他人に押し付ける” ことを 意味します。
人間とは この世界において ”生存への欲求” というものがあり・・・
それは ”優越性” によって 表現されるようです。
つまり 自分自身の ”優越性” を ”確実にする” ことによって・・・
”自分自身の生存” を ”確実にする” ということなのです。
また そこには その ”優越性” によって・・・
”他人を支配したい” という ”欲望” も 発生します。
そのために 自分の欲求が 人間社会の中で ”思い通りにならない” 場合は・・・
自分の欲求を ”押し通す” ために・・・
他人に対して ”怒り” を 示すわけです。
そして そこで ”自分の優越性” を 表現するわけです。
つまり “怒り” とは・・・
自分自身の ”優越性” を 示すことで・・・
”他人を支配する欲求” を 実現するための ”手段” と 考えられます。
ブッダは それを “最悪の煩悩(欲望)” として 考えたのです。
また 私たちが “怒る” 時には・・・
自分自身が “間違っていない” ことを 主張する時でもあります。
つまり それが ”自分に執着する” ことにも なるのです。
ブッダは さらに ”執着を捨てよ” という 教えを 示しましたが・・・
それは 私たちが ”自分に執着する” というのは・・・
”人間としての自分” に ”執着する” ことを 意味します。
それが 何を 意味するのか? というと・・・
私たちが ”人間として苦しむ” ことにも ”執着する” ことになり・・・
つまり 私たちが ”来世” でも・・・
再び ”人間に生まれ変わる” ことも ”執着する” ことになるのです。
ブッダが 仏教を 興したのは・・・
人間が ”苦しまないための方法” を 示すためでした。
それゆえに 私たちが “怒る” ことによって・・・
”人間への執着” が 始まれば・・・
そこからは ”人間としての苦しみ” から 完全に 脱出できなくなります。
つまり 私たちが ”ブッダの教え” に 従うことによって・・・
”怒り” を ”消滅させる努力” を すれば・・・
私たちは ”人間としての苦しみ” から 完全に ”脱出” できることになるのです。
また この人間社会では ”いじめ問題” が 根強く 存在していますが・・・
これも 人間の ”優越意識” が 原因であると 考えられます。
それは 人間の “生存への欲求” が 根本にあると 考えられ・・・
残念ながら その解決は ほとんど 不可能に思われます。
しかし 私たちが ”ブッダの教え” を 深く学び・・・
人間の ”怒りの本質” について 理解できれば・・・
私たちが ”人間としての欲望” を ”縮小・消滅” させることによって・・・
”いじめ問題” も 解決に向かうことが 可能になると思われます。
私たちが 現在も直面している さまざまな ”問題の原因” というのは・・・
実は ”自分自身の欲望” にある・・・ということを
ブッダは 2500年も前に 人類に示していたのです。
皆様も ”ブッダの教え” を 今後も 深く ご研究されて・・・
人間社会で ”解決困難” とされる 問題についての・・・
”画期的な解決法” を 発見されてみては いかがでしょうか?
(※) 参考記事 と いたしまして・・・
”怒りは 優越感で 発生する” という記事は こちらです
”いじめを なくすために” という記事は こちらです
このブログでは これまで ”ブッダの教え” を 研究してきました。
最近 このブログでは “笑顔” について 考えてきましたが・・・
前回の記事における その反対側にある “怒り” については・・・
なぜ “怒り” が ”人間の欲望” であるのか? について・・・
よく 理解できないと 思われる方も 多いかもしれません。
そして おかげさまで 最近は・・・
このブログの 読者になって頂いた方が さらに増えましたが・・・
”ブッダの教え” について 詳しく 知られていない方々も 多いようです。
それで 今回の記事では ”ブッダの教え” について 改めて 振り返り・・・
”怒りの本質” について 改めて 考えてみたいと思います。
仏教の開祖であった ”ゴータマ・ブッダ” は・・・
本名を ”ゴータマ・シッダールタ” と いいました。
彼は インドの ”シャカ族の王子” として 何不自由なく 生きていましたが・・・
その後 妻子と別れて 出家して 厳しい修行生活に 入りました。
そして 彼が その修行生活の中から 発見した ”真理” を・・・
体系的に わかりやすく説いた ”仏教” を 成立させました。
そして ”ブッダ” とは “真理に目覚めた人” を 意味しています。
また ブッダは その教えの中で・・・
”人間の欲望” が 人間を ”苦しめる原因” であることに気づき・・・
その欲望の中でも ”最悪の煩悩(ぼんのう・欲望)” として・・・
”貪(とん・むさぼり)” ”瞋(じん・怒り)” “癡(ち・無知)” を 示しました。
そして この 三大煩悩を ”三毒” といいます。
まず “貪(むさぼり)” とは ”欲望をむさぼる” ことであり・・・
私たちが ”欲望を拡大する” ことによって・・・
それに比例して 私たちは ”苦しみの原因” を ”増やす” ことになるのです。
それで ”貪り” が ”最悪の煩悩(欲望)” と 示しました。
また “癡(無知)” というのは・・・
私たちが この世界の “真理” を ”知らない” ことを 意味します。
そして ”真理” を 知るためには・・・
”人間の欲望” を ”排除する” ことが 必要です。
その意味は 私たちが ”人間の欲望” だけに 囚われていると・・・
この世界にある ”他の価値観” を 考えることが 全く できなくなるからです。
つまり 私たちが 自分自身の欲望を ”そのまま” にすることが・・・
この世界で 共通している ”真理” を 探究する努力を 怠ることになり・・・
その結果 ”無知” を 導くことになるのです。
そのために “癡(無知)” も ”最悪の煩悩(欲望)” と 示したのです。
そして 問題になる ”瞋(怒り) については・・・
私たちの “怒りとは何か?” について 考えると・・・
それは ”自分の考え方” を ”他人に押し付ける” ことを 意味します。
人間とは この世界において ”生存への欲求” というものがあり・・・
それは ”優越性” によって 表現されるようです。
つまり 自分自身の ”優越性” を ”確実にする” ことによって・・・
”自分自身の生存” を ”確実にする” ということなのです。
また そこには その ”優越性” によって・・・
”他人を支配したい” という ”欲望” も 発生します。
そのために 自分の欲求が 人間社会の中で ”思い通りにならない” 場合は・・・
自分の欲求を ”押し通す” ために・・・
他人に対して ”怒り” を 示すわけです。
そして そこで ”自分の優越性” を 表現するわけです。
つまり “怒り” とは・・・
自分自身の ”優越性” を 示すことで・・・
”他人を支配する欲求” を 実現するための ”手段” と 考えられます。
ブッダは それを “最悪の煩悩(欲望)” として 考えたのです。
また 私たちが “怒る” 時には・・・
自分自身が “間違っていない” ことを 主張する時でもあります。
つまり それが ”自分に執着する” ことにも なるのです。
ブッダは さらに ”執着を捨てよ” という 教えを 示しましたが・・・
それは 私たちが ”自分に執着する” というのは・・・
”人間としての自分” に ”執着する” ことを 意味します。
それが 何を 意味するのか? というと・・・
私たちが ”人間として苦しむ” ことにも ”執着する” ことになり・・・
つまり 私たちが ”来世” でも・・・
再び ”人間に生まれ変わる” ことも ”執着する” ことになるのです。
ブッダが 仏教を 興したのは・・・
人間が ”苦しまないための方法” を 示すためでした。
それゆえに 私たちが “怒る” ことによって・・・
”人間への執着” が 始まれば・・・
そこからは ”人間としての苦しみ” から 完全に 脱出できなくなります。
つまり 私たちが ”ブッダの教え” に 従うことによって・・・
”怒り” を ”消滅させる努力” を すれば・・・
私たちは ”人間としての苦しみ” から 完全に ”脱出” できることになるのです。
また この人間社会では ”いじめ問題” が 根強く 存在していますが・・・
これも 人間の ”優越意識” が 原因であると 考えられます。
それは 人間の “生存への欲求” が 根本にあると 考えられ・・・
残念ながら その解決は ほとんど 不可能に思われます。
しかし 私たちが ”ブッダの教え” を 深く学び・・・
人間の ”怒りの本質” について 理解できれば・・・
私たちが ”人間としての欲望” を ”縮小・消滅” させることによって・・・
”いじめ問題” も 解決に向かうことが 可能になると思われます。
私たちが 現在も直面している さまざまな ”問題の原因” というのは・・・
実は ”自分自身の欲望” にある・・・ということを
ブッダは 2500年も前に 人類に示していたのです。
皆様も ”ブッダの教え” を 今後も 深く ご研究されて・・・
人間社会で ”解決困難” とされる 問題についての・・・
”画期的な解決法” を 発見されてみては いかがでしょうか?
(※) 参考記事 と いたしまして・・・
”怒りは 優越感で 発生する” という記事は こちらです
”いじめを なくすために” という記事は こちらです