こんにちは
ユダヤ教徒たちが住む イスラエル地域は
紀元前1世紀ごろになると ”ローマ帝国の属領” となり
民衆は ”重税と貧困” に あえいでいました。
そんな中で 紀元前4年ごろ パレスチナに
”イエス”(BC4~AD30頃) が 誕生し・・・
紀元後20年代後半から ”イエスの思想” が 開花し それが 民衆に伝えられました。
その教えは・・・
“神の愛” は 全ての者を ”平等に救う” というもので
ローマ帝国下の ”奴隷制” での 貧困層をも救う 教えだったのです。
また イエスは ”福音(神の 喜ばしき訪れ)” を 伝え
これは 人類の救いと ”神の国” に 関する知識を 民衆に示しました。
さらに 多くの ”奇蹟” を 行ったと いわれています。
それは ただの水を ブドウ酒に変えてしまったり・・・
嵐を しずめたり・・・4~5千人分の パンを 一瞬で出したり・・・
海上を 歩いて渡ったり・・・
そして 難病人たちを これも一瞬で 治してしまったり・・・
さらには 一度 亡くなった友人を
なんと 墓の中から ”蘇えらせた” と 言われています。
そして イエスは ユダヤ民族にとって ”救世主” ではないかと 思われ始め
当時のヘブライ語で ”メシア” と 呼ばれ
また ギリシャ語では ”キリスト” と 呼ばれました。
ユダヤ教では ”メシア思想” というものがあって
この世の終わりに ”メシア” が現れて ユダヤ民族を 解放し 祝福するというものでした。
それゆえ この イエスに対して 民衆は ”大きな期待” を 込めたわけですね。
しかし イエスは ユダヤ教の ”律法” について
既存の解釈から ”精神的・内面的な意味” を 重視して
その解釈を 大きく変えることを 唱えました。
先日 ”モーセの十戒” について 書きましたが
その中に ”殺すなかれ” が ありました。
イエスは これを ”憎むなかれ” と しました。
それは 相手を ”憎む” ことは 相手を ”否定する” ことになるので
その結果で ”殺す” ことになるからです。
つまり イエスは 前段階における ”予防策” を 示したわけですね。
また ”安息日を守れ” という 律法については
人間のために ”安息日” があるのであって
”安息日” のために 人間があるのでない・・・として
安息日に やむを得ず 労働する人を とがめませんでした。
正直なところ・・・
イエスの考え方の方が 大変 合理的ですよね。(笑)
そして イエスは ユダヤ教での ”ヤーウェの神” を
”律法” に対して 極めて厳格な神・・・というよりも
人間に対する ”恵みと 赦しの本質” として語り
”天にまします われらの父よ・・・” と 親しみを込めて 呼びかけました。
つまり 当時のユダヤ教では ”律法” に背いた 人々というのは
”最後の審判” の際に 大変なことになるのではないかと 怖れていたわけでした。
”最後の審判” とは・・・
元々は 紀元前7世紀ごろに イラン地方で興った
”ゾロアスター教” の 教えの中にあったものでした。
この世界は ”善神” と ”悪神” の 闘いの世界であると見なして
その闘いの後に ”最後の審判” があり
その結果によって ”死者の復活” もある・・・というものでした。
その教えは やがて ユダヤ教・・・そして キリスト教へも 受け継がれたのです。
イエスが 説いていた ”神” とは
”人間の罪” を ”厳格に裁く” 神ではなく
”恵み” と ”ゆるし” を 行う 神であったわけで
民衆は その ”神の恩恵” を示す イエスの教えに 救われたわけですね。
そして 審判の後で 人間は “神の国” に 向かうべきであると 説かれましたが
その “神の国” に 入るために 必要なことは・・・・・
まず 自分の ”内面的な罪” を 自覚することが 必要であり
その罪にも 関わらず それを 赦(ゆる)して 神の国へ入らせる
”天の父” の 子である ”イエス・キリスト” を 信じることである・・・
というのが キリスト教の 基本的な教えになりました。
ユダヤ教徒たちの 絶望的な状況に登場した ”イエス・キリスト” こそが
本物の ”救世主” であると 誰もが 実感していたと 思われますが・・・
しかし イエスは その後・・・
悲劇的な ”受難” を 受けてしまいます。
長くなりましたので 次回に 続きます。
ユダヤ教徒たちが住む イスラエル地域は
紀元前1世紀ごろになると ”ローマ帝国の属領” となり
民衆は ”重税と貧困” に あえいでいました。
そんな中で 紀元前4年ごろ パレスチナに
”イエス”(BC4~AD30頃) が 誕生し・・・
紀元後20年代後半から ”イエスの思想” が 開花し それが 民衆に伝えられました。
その教えは・・・
“神の愛” は 全ての者を ”平等に救う” というもので
ローマ帝国下の ”奴隷制” での 貧困層をも救う 教えだったのです。
また イエスは ”福音(神の 喜ばしき訪れ)” を 伝え
これは 人類の救いと ”神の国” に 関する知識を 民衆に示しました。
さらに 多くの ”奇蹟” を 行ったと いわれています。
それは ただの水を ブドウ酒に変えてしまったり・・・
嵐を しずめたり・・・4~5千人分の パンを 一瞬で出したり・・・
海上を 歩いて渡ったり・・・
そして 難病人たちを これも一瞬で 治してしまったり・・・
さらには 一度 亡くなった友人を
なんと 墓の中から ”蘇えらせた” と 言われています。
そして イエスは ユダヤ民族にとって ”救世主” ではないかと 思われ始め
当時のヘブライ語で ”メシア” と 呼ばれ
また ギリシャ語では ”キリスト” と 呼ばれました。
ユダヤ教では ”メシア思想” というものがあって
この世の終わりに ”メシア” が現れて ユダヤ民族を 解放し 祝福するというものでした。
それゆえ この イエスに対して 民衆は ”大きな期待” を 込めたわけですね。
しかし イエスは ユダヤ教の ”律法” について
既存の解釈から ”精神的・内面的な意味” を 重視して
その解釈を 大きく変えることを 唱えました。
先日 ”モーセの十戒” について 書きましたが
その中に ”殺すなかれ” が ありました。
イエスは これを ”憎むなかれ” と しました。
それは 相手を ”憎む” ことは 相手を ”否定する” ことになるので
その結果で ”殺す” ことになるからです。
つまり イエスは 前段階における ”予防策” を 示したわけですね。
また ”安息日を守れ” という 律法については
人間のために ”安息日” があるのであって
”安息日” のために 人間があるのでない・・・として
安息日に やむを得ず 労働する人を とがめませんでした。
正直なところ・・・
イエスの考え方の方が 大変 合理的ですよね。(笑)
そして イエスは ユダヤ教での ”ヤーウェの神” を
”律法” に対して 極めて厳格な神・・・というよりも
人間に対する ”恵みと 赦しの本質” として語り
”天にまします われらの父よ・・・” と 親しみを込めて 呼びかけました。
つまり 当時のユダヤ教では ”律法” に背いた 人々というのは
”最後の審判” の際に 大変なことになるのではないかと 怖れていたわけでした。
”最後の審判” とは・・・
元々は 紀元前7世紀ごろに イラン地方で興った
”ゾロアスター教” の 教えの中にあったものでした。
この世界は ”善神” と ”悪神” の 闘いの世界であると見なして
その闘いの後に ”最後の審判” があり
その結果によって ”死者の復活” もある・・・というものでした。
その教えは やがて ユダヤ教・・・そして キリスト教へも 受け継がれたのです。
イエスが 説いていた ”神” とは
”人間の罪” を ”厳格に裁く” 神ではなく
”恵み” と ”ゆるし” を 行う 神であったわけで
民衆は その ”神の恩恵” を示す イエスの教えに 救われたわけですね。
そして 審判の後で 人間は “神の国” に 向かうべきであると 説かれましたが
その “神の国” に 入るために 必要なことは・・・・・
まず 自分の ”内面的な罪” を 自覚することが 必要であり
その罪にも 関わらず それを 赦(ゆる)して 神の国へ入らせる
”天の父” の 子である ”イエス・キリスト” を 信じることである・・・
というのが キリスト教の 基本的な教えになりました。
ユダヤ教徒たちの 絶望的な状況に登場した ”イエス・キリスト” こそが
本物の ”救世主” であると 誰もが 実感していたと 思われますが・・・
しかし イエスは その後・・・
悲劇的な ”受難” を 受けてしまいます。
長くなりましたので 次回に 続きます。