こんにちは わんわん



宗教においては ”天国 と 地獄” 

そして ”極楽 と 地獄” などという 対比が よく用いられています。てんびん座



人間の この世での 行いによって 

”来世” は 大きく 二つの道に分けられる・・・ということですが

仏教に関して そう表現したのは 

”大乗仏教” の 思想から 始まったようです。




仏教の開祖である ブッダは この ”宇宙の真理” として 

”縁起の法” を 説いていました。

この世界には 絶対的な存在 は 何一つなく

すべては 相互に 関連して存在しており 絶えず変化するものである と説きました。




私たちが生きている この世も 絶対的に存在するのではなく

絶えず 変化しているわけです。

”極楽浄土” という 人間の理想とする場所も 本来はあり得ず

ブッダも  ”そんな存在” のことは 説いてはいません。




では 後世の ブッダの弟子たちが なぜ そのような世界の存在を 作ったのか?

それは 当時の 一般民衆に対する “布教” のために

人間世界に 似ているような世界を 表現して

”来世” へ 進むべき方向を わかりやすく示す 必要があったからです。




そして ”極楽世界” の 反対に ”地獄世界” があり 

そこには 閻魔(えんま)大王がいて 閻魔大王 

そこで 人間の 現世での行いを裁かれて 地獄世界に堕ち・・・

”針の山” や ”血の池” などがあるという 苦痛の世界で 

そこで 一生 苦しみ続けるという わかりやすい脅しも 必要だったのです。あせる




私も 昨年まで 仏教でいう ”涅槃” ということは

涅槃世界という 極楽浄土の世界であると 勘違いしていました。

しかし ブッダの教えを よく学ぶと

絶対的な平穏世界は 全く あり得ず

人間は やがて 平穏な ”状態” に なるとわかります。


 


つまり 閻魔大王 とは 

”宇宙の法” の存在を ”擬人化” したものであり

一生の最後で それにより 裁かれることを わかりやすく 表現しているにすぎません。




しかし そんな 絶対的な世界を 設定することは

むしろ ブッダの教えに ”逆らう” ことであり

大きな ”勘違い” の 始まりでもあったようです。ガーン




生前の ブッダが なぜ インドで主流だった ”バラモン教” を否定し

ブッダ 独自の思想に 行き着いたのか?・・・・

それは ”バラモン教” が 人間を 身分で ”差別” し ”階級” を 作っていたからでした。




”バラモン教” は 現在の ”ヒンズー教” に 継承されていますが

この宗教は 絶対者である ”ブラフマン” を認めており

さらに その下に 人間の 4つの階級を 作っていて 

現在も インドでの ”カースト” という 身分差別と なっています。




ブッダは 人間は ”平等” であると説き バラモン教の教えを ”否定” して

この世の ”真の原理” とは 何なのか を 解き明かしたわけでした。

それゆえ 真の 仏教の教えでは 絶対的な存在を ”否定” するわけで

極楽浄土という世界も 教えの ”妨げ” になるのです。




つまり その 絶対的な世界へ 行くためには 何が必要か? ということから

宗教者によっては 現世での ”お金” や ”財産” などが 必要である などと 説いた場合

それを信じた人は その宗教者に 即座に お金や財産を 渡すことになるでしょう。¥

日本の歴史では 実際に ”お布施” や ”寄進” という名目で

お金による ”取引” が 宗教の場で 行われて来ましたね。

現代では 大きな ”詐欺事件” の悲劇も 発生していました。ガーン 





絶対的な存在を 認めることは

人類にとって 大変 危険なことであると ブッダは 予期していたようです。

私たちは 極楽浄土という 理想世界を 追い求めるだけでなく

ブッダの ”真の教え” を 重視すべきです。

 



 
”宇宙の法” とは 人間世界での価値を 超越したところにあり 

そこに 到達しなければ 永遠に 苦しみ続けるでしょう。

現代の 恵まれた 情報化社会で 生きることができる 私たちは

極楽浄土という 単純な論理を うのみにするよりも

自分自身で ”真の 平穏な場所とは 何か?” を 理解するべきのようですね。ニコニコ