こんにちは
”四法印”・・・
そして ”縁起の法”・・・という言葉を 理解すると
次に ”四聖諦 (しせいたい)” という言葉が 登場します。
”四聖諦”・・・その ”諦” という文字は
”明らかにする” という意味であり
仏教では ”悟り” や ”真理” という意味で 用いられています。
それゆえに ”四聖諦” とは・・・
人間が この世での ”煩悩 (ぼんのう) を 断って
涅槃に入るための 4つの真理のことを 表します。
その 4つの真理とは・・・
1・苦諦 (くたい)
2・集諦 (じったい)
3・滅諦 (めったい)
4・道諦 (どうたい)
という 4つの言葉で 表されます。
第1の ”苦諦” とは・・・
この世は ”苦しみの世界” であるという ”一切皆苦” の 意味です。
やはり ここでも ”苦しみ” という言葉が 真っ先に 登場します。
ブッダは この ”苦しみの事実” を 教えの基本として
私たちに ”強い覚悟をすること” を 要求しています。
第2の ”集諦” とは・・・
”苦しみの原因” は ”煩悩(ぼんのう)” の 集合である・・・
という事実を 明らかにしたものです。
”煩悩” とは 私たちの ”欲望” のことであり・・・
人の心を 悩ましたり 汚したりする ”妄念” の ことです。
年末に 仏教の寺院で ”除夜の鐘” を 108回 撞くことで・・・
人間の ”煩悩”を 退治しようとすることでも 有名ですが
人間には 108つの 煩悩があるとも 言われています。
そして この ”煩悩” の中で ”三毒” というものがあり・・・
私たちが ”最も 断たなければならないもの”・・・です。
それでは 順番に 解説してゆきます。
① ”貪” (とん・むさぼり)
これは さまざまな 人間の欲望を ”むさぼる” ことです。
”快楽” などの 欲望を 追求しすぎると・・・
その後 様々なトラブルに 遭遇しやすいようです。
自分を ”理性” によって うまくコントロールして
”欲望” を 抑えることが 大事ですね。
② ”瞋” (じん・いかり)
これは ”怒り” の ことです。
人間同士のトラブルは この感情が 最大の原因ですね。
つまり 私たちは 怒りの感情を 出さないことが とても重要なのです。
③ ”癡” (ち・無知)
これは ”真理を知らない” ことです。
前回の ”縁起” の 記事でも 書きましたが
この世の ”真理” を 知らないことが
”無明(むみょう)” であるとされ
この世での ”苦しみの原因” になっていることが 多いのです。
昔から 勉強をすることは ”苦痛” であり・・・
遊んでいる方が 楽ちんだ などと 考えがちですが
実は ”何も知らないまま” で いる方が・・・
この世では さらに ”大きな苦しみ” を 繰り返すことになるのです。
私たちは とにかく この世で ”勉学” を 積み重ね・・・
この世の ”真理を知る” 必要があると 言えるのです。
その他の ”煩悩” には・・・
”渇愛 (かつあい)” というものがあり・・・
それは すべてを 自分の ”思い通り” に しようとする
”強い執着” による 欲望のことです。
そして その欲望は 周囲の人々を 苦しめ・・・
さらに 自分自身をも 重く苦しめる・・ということが あります。
ブッダは そんな 様々な 人間の欲望の ”危険性” について
その教えの中で 強く 戒めていますね。
そして 第3の ”滅諦”とは・・・
この世の ”苦の原因” を 除去できれば
”平穏の境地” に 入ることができる・・・というものです。
仏教の 理想とされる ”ニルヴァーナ(涅槃の境地)” に 入るためには
”煩悩を断ち切る” ことが どうしても 必要である・・・ということなのです。
そして 第4の ”道諦” が・・・
私たちの ”苦しみの原因を 取り除く方法” を 説いたもので
それが ”八正道 (はっしょうどう)” と言われるものです。
文字通り ”八つの道” がある・・・という意味です。
そして 私たちが その ”八つの道” を すべて 実践してゆき・・・
すべてを 達成できれば 私たちは ”煩悩を断ち切る” ことができ・・・
さらには ”ニルヴァーナ(涅槃の境地)” に 入ることができると 説かれています。
これが ”四聖諦” の 真意であるといえます。
ブッダは このように この世での ”苦しみ” を 正面から受け止め
その原因を 私たちの 欲望である ”煩悩(欲望)” であるとしました。
そして ”煩悩(欲望)” を 私たちの 内面から ”消し去る” ことで
”平穏な心の境地” を 実現できると 説いているのです。
次回は その重要な ”八正道” について・・・
それぞれの内容を 検討してゆきたいと思います。
”四法印”・・・
そして ”縁起の法”・・・という言葉を 理解すると
次に ”四聖諦 (しせいたい)” という言葉が 登場します。
”四聖諦”・・・その ”諦” という文字は
”明らかにする” という意味であり
仏教では ”悟り” や ”真理” という意味で 用いられています。
それゆえに ”四聖諦” とは・・・
人間が この世での ”煩悩 (ぼんのう) を 断って
涅槃に入るための 4つの真理のことを 表します。
その 4つの真理とは・・・
1・苦諦 (くたい)
2・集諦 (じったい)
3・滅諦 (めったい)
4・道諦 (どうたい)
という 4つの言葉で 表されます。
第1の ”苦諦” とは・・・
この世は ”苦しみの世界” であるという ”一切皆苦” の 意味です。
やはり ここでも ”苦しみ” という言葉が 真っ先に 登場します。
ブッダは この ”苦しみの事実” を 教えの基本として
私たちに ”強い覚悟をすること” を 要求しています。
第2の ”集諦” とは・・・
”苦しみの原因” は ”煩悩(ぼんのう)” の 集合である・・・
という事実を 明らかにしたものです。
”煩悩” とは 私たちの ”欲望” のことであり・・・
人の心を 悩ましたり 汚したりする ”妄念” の ことです。
年末に 仏教の寺院で ”除夜の鐘” を 108回 撞くことで・・・
人間の ”煩悩”を 退治しようとすることでも 有名ですが
人間には 108つの 煩悩があるとも 言われています。
そして この ”煩悩” の中で ”三毒” というものがあり・・・
私たちが ”最も 断たなければならないもの”・・・です。
それでは 順番に 解説してゆきます。
① ”貪” (とん・むさぼり)
これは さまざまな 人間の欲望を ”むさぼる” ことです。
”快楽” などの 欲望を 追求しすぎると・・・
その後 様々なトラブルに 遭遇しやすいようです。
自分を ”理性” によって うまくコントロールして
”欲望” を 抑えることが 大事ですね。
② ”瞋” (じん・いかり)
これは ”怒り” の ことです。
人間同士のトラブルは この感情が 最大の原因ですね。
つまり 私たちは 怒りの感情を 出さないことが とても重要なのです。
③ ”癡” (ち・無知)
これは ”真理を知らない” ことです。
前回の ”縁起” の 記事でも 書きましたが
この世の ”真理” を 知らないことが
”無明(むみょう)” であるとされ
この世での ”苦しみの原因” になっていることが 多いのです。
昔から 勉強をすることは ”苦痛” であり・・・
遊んでいる方が 楽ちんだ などと 考えがちですが
実は ”何も知らないまま” で いる方が・・・
この世では さらに ”大きな苦しみ” を 繰り返すことになるのです。
私たちは とにかく この世で ”勉学” を 積み重ね・・・
この世の ”真理を知る” 必要があると 言えるのです。
その他の ”煩悩” には・・・
”渇愛 (かつあい)” というものがあり・・・
それは すべてを 自分の ”思い通り” に しようとする
”強い執着” による 欲望のことです。
そして その欲望は 周囲の人々を 苦しめ・・・
さらに 自分自身をも 重く苦しめる・・ということが あります。
ブッダは そんな 様々な 人間の欲望の ”危険性” について
その教えの中で 強く 戒めていますね。
そして 第3の ”滅諦”とは・・・
この世の ”苦の原因” を 除去できれば
”平穏の境地” に 入ることができる・・・というものです。
仏教の 理想とされる ”ニルヴァーナ(涅槃の境地)” に 入るためには
”煩悩を断ち切る” ことが どうしても 必要である・・・ということなのです。
そして 第4の ”道諦” が・・・
私たちの ”苦しみの原因を 取り除く方法” を 説いたもので
それが ”八正道 (はっしょうどう)” と言われるものです。
文字通り ”八つの道” がある・・・という意味です。
そして 私たちが その ”八つの道” を すべて 実践してゆき・・・
すべてを 達成できれば 私たちは ”煩悩を断ち切る” ことができ・・・
さらには ”ニルヴァーナ(涅槃の境地)” に 入ることができると 説かれています。
これが ”四聖諦” の 真意であるといえます。
ブッダは このように この世での ”苦しみ” を 正面から受け止め
その原因を 私たちの 欲望である ”煩悩(欲望)” であるとしました。
そして ”煩悩(欲望)” を 私たちの 内面から ”消し去る” ことで
”平穏な心の境地” を 実現できると 説いているのです。
次回は その重要な ”八正道” について・・・
それぞれの内容を 検討してゆきたいと思います。