毎度更新がおそく申し訳ありません。
感情移入しすぎてしまうので、一気にかけませんでした!!
入院&治験が10月27日~始まり
11月20日 退院
退院前のCTで、少し悪くなっている大きくなっている部分もあるかも?と先生に言われていたそう。
21日
夕方~嘔吐を伴った激しい頭痛
薬も飲めず、、苦しんでいました。
体温のコントロールができず、暑さ&寒さを訴え
私ができることは、冷やしたり温めたり、、そばにいて抱きしめたり、、そんなことだけでした。
あまりに辛そうで…
「救急車呼ぼうか?」
と聞くと
「いらない」
と言っていました。
朝になるとすっきりした顔で起きてきて、
「もう大丈夫!」
と言っていました。
24日
息子…やかの甥っ子の七五三 に参加
25日
再び強い頭痛
朝には、よくなる。
26日
デパートへ2人で買い物!!
歩くのは、しんどかったので、車いすを借りて、私がおして、、、
楽しかった。やかとすることすべてが楽しかった。
27日
今までの主治医の先生を受診
絶対、やかの状況を聞いたら大丈夫ではないのだけど…
「大丈夫」って言ってくれて、、その上
「もし、治験が効いていないようなことがあれば、自分のところで考えて、違う治療をしていきますから、安心してください!」と言ってくれました。
そう言われたことが、どれほど心強かったか…。
やか…全然元気がなかったのに、先生の所へ行くとものすごく元気になるんです。
この時の診察って、治療をされたり、、検査をされたってわけではないのだけど、心を救ってくれる診察だったなぁと今になって思います。
お医者様ってすごいな~と心から思いました。
この日まで 私(やかの姉)の家にいたのだけど、イヤーな予感があって、、
28日
母が休みの日、だったので、母に迎えに来てもらい、実家へ泊りに…
夕方~頭痛…
痛みと暑さ&寒さを繰り返し…
午前2時くらいから
なにも言わず、すやすやねむっていました。
29日
朝…ここでも昏昏と眠り続け…
脈も呼吸も乱れがないので(見よう見まねですが…)
なにかが変と思いながら、
11時ごろ…
治験先の病院へ電話して、すぐに救急車で向かうように指示をもらい
すぐに…搬送
CT&診察の結果…
「癌性髄膜炎を起こしているため、残念ながらもう意識はもどらないでしょう。なにもすることはありません」と診察をされました。
会いたい人。。
親戚や友達などに連絡。
みんなが集まって、声をかけたりするのだけど、やはり返事はなくって…
でも、時々目をあけて、何かを見るようにするので、、なんとか帰ってきてくれないか、と願いました。
母を残して、とりあえずみんなが家に帰り…
夜中…
母からの連絡…
「目をさましたよ」って…
みんな…大喜びでした、やか帰ってきてくれてありがとう。
30日 朝
お見舞いへ
ちょっとぼやっとしているものの、ちゃんと話もできました。
くだものやゼリーや、飲み物も少しだけど、食べることはできました。
治験薬…食前1時間&食後2時間 あけないといけないので、食事をとれないのをしっかり覚えていて、やか「今は食べれらない」っていうので、治験薬をやめることを伝えるのがつらかった。
病院は、、
「なにもすることがありません。」と言ったとおり、薬や点滴の投与もしてくれませんでした。
やはり脳の様子がおかしいのは明らかで、しゃべりながら痙攣をおこしたり、、していましたが、ものすごく強い痛みはなかったのは幸いでした。
12月1日
元いた病院の主治医の先生と連絡をとると…
薬…イーケプラ(痙攣止め)&ステロイド&ビオフェルミンを処方してもらいました。
でも、、、、錠剤なんです
ジュースや果物でいっぱいいっぱいのやかに大きい錠剤を渡されて、、
私たちは、薬にすがるしかないので、薬を砕いて粉にして、ちょっとずつちょっとずつ飲めるようにしました。
前の主治医の先生の指示で
私と兄が、先生の元へ話を聞きに。
治験の終了(終了するのに採血、心電図…とかいろんな検査が必要みたいです)がすみ、治験の主治医の先生の許可がでたら
「こっちの病院へ、連れてきてください。」と言われました。
でも、
「家に連れて帰りたい。向こうの病院では、なにもしていない。酸素マスクもいらないし、このまま死ぬのを待っている。それなら病院じゃなくても家でいいのでは?」
と訴えました。
そうしたら、
「痙攣をおこしたりしてしまうのは、本人にも家族にもつらいはずです!そこのコントロールをして、より良い状態で家に帰れるようにしましょう。やかさんはまだ生きています。」
と言ってくれました。
ここでも、ものすごく救われました。
12月3日
介護タクシーにて搬送
点滴をしてもらったり、なんだか人間らしく、やさしく看てもらったみたいに思います。
2日前からトイレに行きたいって言っていて、、でも自分で出す力を失っていたみたいで、ずっとトイレに行きたいって言っていたのです。そこを導尿をしてくれたのも、すごくうれしかった。
看護師さんも「尿意があるのも大事なので、尿意を感じるごとにとりましょうね」って…。
なにが当たり前か…なんて素人にはわからないけど、当たり前にしてくれる一つ一つのことに、やさしさを感じました。やかは生きているって思いました。
3日は夜中じゅう起きていたみたい。
私は子供たちがいるので、夜中は、家に…週末は泊まる予定で…いたのになぁ。
目がおかしくなっていて、人やモノが何重にも見えてしまったり、幻覚?をみていたりしたみたいだけど、
痛がったり、怒ったりすることはなくって、、、、
「こどもたちの名前を呼んで、早くおいで!お風呂はいるよ!!」「ねーちゃんはどこ?」とか言ったりしていたみたい。
4日
私がやかのところにいった時は、一度も目をあけてくれなくて、、また話したいなぁ~と思いながら帰りました。
夜 兄がお見舞いに行ったとき「お仕事は?」って聞いたっきり、最後の言葉に。
5日
夜中2時くらい…母から電話で
「呼吸がおかしいから、すぐ来てください。」と言われ、、
夜中3時半 臨終
本当に眠るように、亡くなりました。
後日先生にお話しを聞く機会があり、どのような状態で亡くなったのか?と聞いたら
「意識とは別の所に、生命を維持する場所があり、そこのスイッチがパチンと落ちたように亡くなったと思う。苦しんだり、怖がるようなことは、なかったと思う」
と言っていました。
家族はどんな状態でも、生きていてほしかったけど、
やかはよく「寝たきりになったら、、、可能なら、主治医の先生にもうこれ以上はよくならないってところで、引導を渡してほしい。」って言っていました。
私が思っていた、やかが一番いいと思うだろう…死に方…違うかな?…生き方だったと思います。
亡くなって、半年近くたった今でも、つい昨日のように思います。
病気がわかって、やかも私も後悔しないように、今できることをできるだけするようにしてきたけど、やはり後悔しないことなんてないんです。
無理して、最後の日泊まっておけばよかったとか、
救急車で運ばれたあと「私、死ぬのかな?」って聞かれて、詰まってしまったこととか…。
救急車で運ばれる前、やかが眠れなかった夜、一緒に夜更かしすればよかったとか…。
小さい後悔がたくさんたくさんあとから、出てきます。
もっともっと一緒に生きたかったけど、、、、
やかは、病気がわかってから、亡くなるその瞬間まで、
死に囚われず、今を生きていました。
今!!楽しいこと、うれしいことをして
動けるときは、たくさん動いて、動けないときは、のんびりすごして
苦しいときがあったり落ち込むこともあったけど、、考えすぎないように努力をしてました。
いろんなことに感謝して、
たくさんの人を愛して、たくさんの人から愛されていました。
やかがいない、今、、、本当に心に大きな穴が開いてしまって、埋まりません。
でも…悲しいけど、少しずつ整理して動いて行こうと思います。
やか…本当に本当に大好きでした。やかが妹でよかったよ。
以上、、、
やかのことを書いた、姉によるブログでした。
自分の気持ちばかり書いてしまい、結局自分の心に向き合うために書いてしまいました。
お許しください。
もっと上手にまとられると思っていたのですが、難しかったです。きれいごとばかりになってしまいましたが、きれいごとのまま終わらせようとおもいます。
ありがとうございました。