前をむいて生きた | 肺がん治療中

肺がん治療中

2012年26歳で肺がんになりました。
ステージ4 脳、骨、右肺(原発左肺)、肝臓に転移有り。抗がん剤治療中です。

毎度更新がおそく申し訳ありません。

感情移入しすぎてしまうので、一気にかけませんでした!!


入院&治験が10月27日~始まり


11月20日 退院

退院前のCTで、少し悪くなっている大きくなっている部分もあるかも?と先生に言われていたそう。


21日 

夕方~嘔吐を伴った激しい頭痛

薬も飲めず、、苦しんでいました。

体温のコントロールができず、暑さ&寒さを訴え 

私ができることは、冷やしたり温めたり、、そばにいて抱きしめたり、、そんなことだけでした。

あまりに辛そうで…

「救急車呼ぼうか?」

と聞くと

「いらない」

と言っていました。


朝になるとすっきりした顔で起きてきて、

「もう大丈夫!」

と言っていました。


24日

息子…やかの甥っ子の七五三 に参加


25日

再び強い頭痛

朝には、よくなる。


26日

デパートへ2人で買い物!!

歩くのは、しんどかったので、車いすを借りて、私がおして、、、

楽しかった。やかとすることすべてが楽しかった。


27日

今までの主治医の先生を受診


絶対、やかの状況を聞いたら大丈夫ではないのだけど…

「大丈夫」って言ってくれて、、その上

「もし、治験が効いていないようなことがあれば、自分のところで考えて、違う治療をしていきますから、安心してください!」と言ってくれました。


そう言われたことが、どれほど心強かったか…。


やか…全然元気がなかったのに、先生の所へ行くとものすごく元気になるんです。

この時の診察って、治療をされたり、、検査をされたってわけではないのだけど、心を救ってくれる診察だったなぁと今になって思います。

お医者様ってすごいな~と心から思いました。




この日まで 私(やかの姉)の家にいたのだけど、イヤーな予感があって、、


28日

母が休みの日、だったので、母に迎えに来てもらい、実家へ泊りに…


夕方~頭痛…


痛みと暑さ&寒さを繰り返し… 


午前2時くらいから

なにも言わず、すやすやねむっていました。


29日

朝…ここでも昏昏と眠り続け…

脈も呼吸も乱れがないので(見よう見まねですが…)


なにかが変と思いながら、



11時ごろ…

治験先の病院へ電話して、すぐに救急車で向かうように指示をもらい

すぐに…搬送


CT&診察の結果…

「癌性髄膜炎を起こしているため、残念ながらもう意識はもどらないでしょう。なにもすることはありません」と診察をされました。


会いたい人。。

親戚や友達などに連絡。

みんなが集まって、声をかけたりするのだけど、やはり返事はなくって…

でも、時々目をあけて、何かを見るようにするので、、なんとか帰ってきてくれないか、と願いました。


母を残して、とりあえずみんなが家に帰り…


夜中…

母からの連絡…

「目をさましたよ」って…



みんな…大喜びでした、やか帰ってきてくれてありがとう。



30日 朝


お見舞いへ

ちょっとぼやっとしているものの、ちゃんと話もできました。

くだものやゼリーや、飲み物も少しだけど、食べることはできました。

治験薬…食前1時間&食後2時間 あけないといけないので、食事をとれないのをしっかり覚えていて、やか「今は食べれらない」っていうので、治験薬をやめることを伝えるのがつらかった。


病院は、、

「なにもすることがありません。」と言ったとおり、薬や点滴の投与もしてくれませんでした。


やはり脳の様子がおかしいのは明らかで、しゃべりながら痙攣をおこしたり、、していましたが、ものすごく強い痛みはなかったのは幸いでした。



12月1日

元いた病院の主治医の先生と連絡をとると…

薬…イーケプラ(痙攣止め)&ステロイド&ビオフェルミンを処方してもらいました。


でも、、、、錠剤なんですしょぼん

ジュースや果物でいっぱいいっぱいのやかに大きい錠剤を渡されて、、

私たちは、薬にすがるしかないので、薬を砕いて粉にして、ちょっとずつちょっとずつ飲めるようにしました。


前の主治医の先生の指示で

私と兄が、先生の元へ話を聞きに。

治験の終了(終了するのに採血、心電図…とかいろんな検査が必要みたいです)がすみ、治験の主治医の先生の許可がでたら

「こっちの病院へ、連れてきてください。」と言われました。

でも、

「家に連れて帰りたい。向こうの病院では、なにもしていない。酸素マスクもいらないし、このまま死ぬのを待っている。それなら病院じゃなくても家でいいのでは?」

と訴えました。


そうしたら、

「痙攣をおこしたりしてしまうのは、本人にも家族にもつらいはずです!そこのコントロールをして、より良い状態で家に帰れるようにしましょう。やかさんはまだ生きています。」

と言ってくれました。

ここでも、ものすごく救われました。


12月3日 

介護タクシーにて搬送

点滴をしてもらったり、なんだか人間らしく、やさしく看てもらったみたいに思います。


2日前からトイレに行きたいって言っていて、、でも自分で出す力を失っていたみたいで、ずっとトイレに行きたいって言っていたのです。そこを導尿をしてくれたのも、すごくうれしかった。

看護師さんも「尿意があるのも大事なので、尿意を感じるごとにとりましょうね」って…。

なにが当たり前か…なんて素人にはわからないけど、当たり前にしてくれる一つ一つのことに、やさしさを感じました。やかは生きているって思いました。


3日は夜中じゅう起きていたみたい。

私は子供たちがいるので、夜中は、家に…週末は泊まる予定で…いたのになぁ。


目がおかしくなっていて、人やモノが何重にも見えてしまったり、幻覚?をみていたりしたみたいだけど、

痛がったり、怒ったりすることはなくって、、、、

「こどもたちの名前を呼んで、早くおいで!お風呂はいるよ!!」「ねーちゃんはどこ?」とか言ったりしていたみたい。


4日

私がやかのところにいった時は、一度も目をあけてくれなくて、、また話したいなぁ~と思いながら帰りました。

夜 兄がお見舞いに行ったとき「お仕事は?」って聞いたっきり、最後の言葉に。


5日

夜中2時くらい…母から電話で

「呼吸がおかしいから、すぐ来てください。」と言われ、、


夜中3時半 臨終

本当に眠るように、亡くなりました。

後日先生にお話しを聞く機会があり、どのような状態で亡くなったのか?と聞いたら

「意識とは別の所に、生命を維持する場所があり、そこのスイッチがパチンと落ちたように亡くなったと思う。苦しんだり、怖がるようなことは、なかったと思う」

と言っていました。



家族はどんな状態でも、生きていてほしかったけど、


やかはよく「寝たきりになったら、、、可能なら、主治医の先生にもうこれ以上はよくならないってところで、引導を渡してほしい。」って言っていました。

私が思っていた、やかが一番いいと思うだろう…死に方…違うかな?…生き方だったと思います。





亡くなって、半年近くたった今でも、つい昨日のように思います。

病気がわかって、やかも私も後悔しないように、今できることをできるだけするようにしてきたけど、やはり後悔しないことなんてないんです。

無理して、最後の日泊まっておけばよかったとか、

救急車で運ばれたあと「私、死ぬのかな?」って聞かれて、詰まってしまったこととか…。

救急車で運ばれる前、やかが眠れなかった夜、一緒に夜更かしすればよかったとか…。


小さい後悔がたくさんたくさんあとから、出てきます。


もっともっと一緒に生きたかったけど、、、、


やかは、病気がわかってから、亡くなるその瞬間まで、

死に囚われず、今を生きていました。

今!!楽しいこと、うれしいことをして

動けるときは、たくさん動いて、動けないときは、のんびりすごして

苦しいときがあったり落ち込むこともあったけど、、考えすぎないように努力をしてました。


いろんなことに感謝して、

たくさんの人を愛して、たくさんの人から愛されていました。



やかがいない、今、、、本当に心に大きな穴が開いてしまって、埋まりません。

でも…悲しいけど、少しずつ整理して動いて行こうと思います。

やか…本当に本当に大好きでした。やかが妹でよかったよ。





以上、、、

やかのことを書いた、姉によるブログでした。

自分の気持ちばかり書いてしまい、結局自分の心に向き合うために書いてしまいました。

お許しください。

もっと上手にまとられると思っていたのですが、難しかったです。きれいごとばかりになってしまいましたが、きれいごとのまま終わらせようとおもいます。


ありがとうございました。