おいらの手から言いたいこと! | 「農民のつぶやき」

「農民のつぶやき」

福島県、白河で農業を法人組織で運営しております。

30代中心で、楽しく農業やろうよ!って会社です。以後、お見知り置きを。

家庭菜園応援しています!

今日は、お昼から恵比寿に行きます。チームドバイの打ち合わせが東京であります。音譜

恵比寿で待ち合わせ。ラブラブ

なんかお洒落なデートみたいだなぁ。あせる

さて、今日は過激だけど、でも!でも!どうしても書きたい事を書きます。

まず、私の手のひらの写真を見て下さい。パー


白河高原農場の農民的「独り言」

これが、10年農民をしている手です。ラブラブ

この手でうろうろしていると必ず言われることがあります。

「おまえの手は良い野菜を作っていねぇ手だなぁ。」


いや、これ、本当によく言われます。汗


たまたまかもしれませんが、私がお会いする農家の方々は指紋にまで泥が入り込んだ手を誇りにしている方が多いです。


そして、勲章であり、この手が農業の大変さを象徴しているんだと、熱く語ります。


でもね・・・・・。都会のお坊ちゃんだった私ドンッドンッドンッ(うそ)としてはね。


手は必死に守ってきたのです。


細かく洗うのは勿論、指サックをしてまで指先を保護して、手袋で守ってきました。


若者が農業に興味をもち、農業を仕事に選んでもらうためにも、農業のイメージを変える必要がある。


だから、手は綺麗にしておくべきだと思うのです。


私の手を見て、若い人が「やりたくねぇなぁ」と思われたくなかったのです。


だって、若い男の子が真っ黒の手じゃ女の子にモテないでしょう。


モテない仕事誰もやりませんよ。嫁が見つからない仕事、誰もやりませんよ。


そもそも、手が汚くないと良い野菜が出来ないとは、科学的根拠が全くありません


昨日書いた、料理人が愛情込めているから俺の料理は美味しいというのと同じ理屈です。


私が尊敬する料理人の方々は、自分の料理に対して「美味しい」理由を必ず、科学的に分析して、


その事を技術として確立している方が多いです。


美味しい料理を常に再現するためには、美味しくできた理由が必ずあり、


それを食材の部分から理解して、料理方法も科学的に分析しているのですね。


滅茶苦茶、努力して、勉強して、突き詰めて、料理を分析しているんですね。


勿論、料理は愛情!っていう位ですから、一生懸命、1つの料理に精魂込めて作る。


愛情だって、たっぷりですけども、それだけじゃないって意味なんですよ!誤解なきように。


それと野菜も同じでございまして・・・。


まず、美味しい野菜、良い野菜を自分なりに定義して・・・・・・。


この定義が重要なんです。手が汚れているから良い野菜な訳でも、愛情たっぷりだから良い訳でもなく!


その野菜を作るのに、土を化学的に分析して、野菜の特性を自分なりに勉強して肥料設計をしていき、


野菜を作っていくのです。ビックリマーク


私が作っている野菜で、美味しい野菜になるのに最重要と捉えているのは、野菜に残った肥料の量です


特に残留硝酸態窒素量は重要と捉え、人間の舌には「ピリッ」としびれるような味ですので、美味しいという観点からはこれはあんまし、残らないようにした方が良い。


各野菜の特性に合わせて、必要と思われる量を、時期によっても変えながら、適切に与えることが重要だと思っております。


硝酸態窒素は時間が経過すればするほど、野菜がタンパク質に変えたり、アミノ酸などにも変化するので、


私が思うに、良い野菜って適当な肥料を与えた上に「時間がかかっている」「熟している」野菜です。


だから!肥料設計、野菜の特性が重要で、それを数値で理解したい!


土って、野菜って、目で見ても中身は見えないじゃないですか!


だから、細かく自社で土の化学的分析と野菜の化学的分析を、高頻度で調べています。


そういう分析機械も導入して・・・・・土も、野菜も、数値で状態を把握するようにしています。


有機肥料だから、美味しい訳ではなくて、無機肥料だから、不味い訳ではないんです。


その肥料の特性を良く理解して上で、適切な肥料を与えられなければ、有機野菜でも硝酸態窒素まみれの野菜はいくらでも出来ます。


ただ、確率として有機肥料の方が、硝酸がのこりにくい、アミノ酸などなどな旨味成分が多くなりやすいってだけでして・・・・・。


わからん人がやみくもに過剰に与えれば、結局ひどい野菜が出来ます。叫び


そういう意味では、有機野菜ではありませんが、水耕栽培は適切な肥料量をコントロールしやすく、


野菜の生育状態に合わせて適切な肥料を与えることが出来やすいことでもあります。


水耕野菜=薬漬け、化学薬品だらけというイメージがありますが、


あくまでも、イメージであり、ちゃんとやれば、いや、ちゃんとやれれば、良いものが出来たりもします。


こだわって仕事している・・・・・でも、世界中にはもの凄くこだわって、人生かけて仕事している人沢山います。


愛情とか、精魂込めてとか、そんな簡単な抽象的な言葉で片づけて欲しくないんです。


日本にはそんないい加減な表現でごまかしている事が多いと思います。


例えば、「農家の顔が見える野菜」なんで良い例です。


おいらの顔が野菜に書いてあれば、何が安全、安心なんですか?


おいらの何を知っているのですか?


おいらの顔、名前が書いてあれば、どうして美味しいのですか?


どうして高くても買うのですか?


そこには化学的根拠がありません。あくまでも精神論です。


安全・安心の根拠は、残留農薬量が詳細に記載され、栽培履歴が明確になり、その栽培方法を監査しているチェックがあって、数字があって、初めて証明されるべきです。


これは凄く大変の問題であり、どこまで必要なのかは将来的に議論が必要ですけどね。


とにかく、顔?はあ??って感じです。


おいらの白魚(???ドンッドンッ)のような手でおいらの野菜を語らないで欲しいです。


しかし!



白河高原農場の農民的「独り言」

白河高原農場の農民的「独り言」

車のハンドル、シフト・・・・・・超汚いガクリ


手を守ってきた?綺麗?


手が汚いらしい。手垢だらけ。磨いても磨いてもすぐ汚れる。


手から何か出てんのかな??え゛!