鹿児島に帰省した際、農家をしている友達の所に遊びに行った。
友達にも我が家と年の近い子どもが2人いる。
遊び場所は、お家ではなく、友人の農園だ。
山と川と田んぼに囲まれた、となりのトトロに出てきそうな場所。
友達は、子ども達が楽しめるように、
遊びのプランをたくさん準備してくれていた。
夏野菜の収穫、虫取り、泥遊び、川遊び。
どれも贅沢。どれも私のツボ。
「好きなだけ汚れていいよ。汚れるのが嫌なら泥遊びしなくてもいいんだよ」
そう子ども達に声をかけながら、
ここまで自由に子どもが友達と遊ぶ機会は今までなかったな、と気づいた。
自分の家族だけなら、ある。
あーちゃん(5歳5ヶ月)、はる君(3歳2ヶ月)同士で、
土遊び、川遊びでグチャグチャになった事はある。
でも、そこに友達が混ざった事は無かった。
(保育園ではしているのかもしれないけど)
服を汚すのが嫌というお母さんも沢山いたし、
泥遊び大歓迎!というママ友達でも、
泥遊びが出来るような環境になかったりした。
自然あふれる環境と子育ての価値観が一致して初めて、成り立つ遊びである。
農業用の水道がすぐ側にあり、土は堀り返し放題で広大。
可愛い草花は周囲にあふれ、バケツやスコップも豊富。
子ども達は取り合うようにオモチャを取り、夢中で泥遊びに興じた。
最初は泥に触るのを嫌がっていたはる君も、
お姉ちゃん達の様子を見て、次第に泥に打ち解けていく。
あーちゃんもはる君も、シャツからズボンまでドロッドロ。
そうそう、その調子だ!と、夢中で遊ぶ子どもの背中に思う。
最初は距離のあった子ども達だが、
オヤツを食べた後くらいから急激に仲良くなり始め、
おだんご屋さんごっこをしたり、ミミズを捕まえたり、
田んぼの横の用水路に足をつけて涼んだりした。
(手ぬぐいは、おだんご屋さんごっこのなごり(笑))
用水路に足を入れながら、とれたての巨峰をつまみ食いする。
あぁ甘い、おいしい、幸せ。
家庭菜園で作っている夏野菜も収穫させてもらった。
ざるの上の野菜は光り輝いて、宝の山みたい。
「虫さん捕まえに行こうか。虫さんの鳴き声がするよ。
どこから聞こえてくる?」虫取り網を片手に草むらで耳をすます。
「冷たーい!」と言いながら用水路の冷水に足をつける。
雑草にチクチク刺されながら、トマトをもぐ。
自然の中にいるからこそ感じられる、
五感の刺激のひとつひとつを愛おしく思う。
それらを子ども達と一緒に味わえる事に、喜びを感じる。
こんな子育てに共感してくれ、
一緒に楽しんでくれ、場所まで提供してくれる友達に感謝。
過去何度か紹介している、私の子育てバイブルの1冊
『センス・オブ・ワンダー』(著:レイチェル・カーソン)。
センス・オブ・ワンダー 1,512円 Amazon |
子どもが自然に触れることの意義について、
本の後半で、このように書かれている。
わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけだすことができると信じます。
子どもは「地球の美しさと神秘」を感じているなんて、
自覚していないだろうけど、
「綺麗だなぁ」「面白いなぁ」「楽しいなぁ」と心動いた気持ちは、
きっと子ども達に、何らかの形で残るだろう。
星野道夫さんのこの言葉にも通ずるだろうか。
自然を愛でる事で、辛い事から立ち直れる事もあるだろうし、
自然を発端にして、世界が開けていく人もいるだろう。
科学者の戸塚洋二さんは、ばらばらに葉を成長させる植物を見て、
「植物はいい加減だ」と感じて研究に没頭するし、
ノーベル物理学賞を受賞した鹿児島出身の赤崎勇さんは、
少年時代に野山をかけまわる中で、石の美しさに魅了され、
父親に鉱山のサンプルをもらった事が、科学の入り口だったそうだ。
(『致知』2015年9月号参照)
もちろん、自然に触れる事で科学者への道を歩むのは
一握りの人だけだろうけれど、
人間の持つセンス・オブ・ワンダーは、
短いようで長い人生を飽くなく進むための、一つのヒントになると思っている。
ママブロネタ「育児」からの投稿