やどかり族の育自日記

やどかり族(宿借り族=転勤族)の妻の育児の日々。
つたない母と子供の成長を、鼻歌うたうように綴ります。
「好奇心」「対話」「自立」「多様性」がキーワード。今のとこ(笑)

ブログにご訪問頂き、ありがとうございます。
転勤族の妻で、2人の子供(2011年生まれ女児、2013年生まれ男児)を持つ母です。自己紹介はこちら

子育てする中で、「どの方向に向かって子供を育てればいいんだ?」と疑問にぶち当たりました。
正解はなく、常に、自分はどうしたいのか?の自己問答です。

子育てに向きあうほど、自分の未熟さを痛感する日々ですが、
同世代の子を持つお母さんに、少しでも共感してもらえたら嬉しいです。

私の育児のターニングポイント
WORK SHIFT(ワーク・シフト)を読んで、子育てで大切にしたいと思った4つの事。
私の育児史のターニングポイント
なんだ「いい子」だったんじゃん!
『あなたは大事だよ』を日常的に伝えるには?2
何のために勉強するのか Ver5

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「EUって何?」


これ、イギリスで多く検索されたEUに関する質問の、第2位。

怖いのが、国民投票の結果が出た後の話だってこと。

この状況を記したgoogle trendのツイートが話題になっている。

 

 

 

日本に置き換えれば、

憲法9条改正が国民投票で賛成多数で可決され、

その結果が出た後に、

「憲法9条って何?」

という検索ワードが急上昇するのと同じようなもんだ。

おーい!今かよ、それっ!!全力でつっこむよね。

 

以前、何のために勉強するのか? Ver5で、

勉強の目的を

『自由になるため』と『自由の相互承認の感度を高めるため』

(みんなお互いの自由を認め合うため)と書いた。

 

この意味が、今、ものすごくよく分かる。

 

頭の中で悶々している言葉たちを、

まとまるか分からないけど、書き散らしてみる。

 

「自己責任」の行き着く先

 

勉強するのも、しないのも個人の自由だと、

「自己責任」という言葉で片付けられることがある。

 

それは、勉強する意味を「個人が得られる自由」にだけしか

焦点をあてていないからだと思う。

勉強して出世しようが(勉強と出世が結びつかない事もあるが)、

勉強しないで、好きなように暮らそうが、

それは個人の趣味趣向で勝手なことだ、と。

 

「自己責任」が行きつく先は、格差社会である。

 

格差社会が何で怖いかって、

現状に不満を持つ貧しい人達の反感を吸い上げる形で、

ヒューっと風が吹くように、政治の票が極右政党に持っていかれることである。

(極右政党、でなくても、偏った意見を持つ政治家など。)

 

「EUって何?」

と、国民投票後に検索する多数の人達がいる中で、

一国の政治が動いてしまう。その怖さ。

 

勉強する理由を『自由になるため』とだけ言うならば、

勉強しなくたって、今の日本の私達は、ある程度自由だ。

だから勉強の意味が分かりづらくなる。

 

でも、隣のあの子とも、少し遠くの国の誰かとも、

争わずに、お互いの自由を大事にしながら暮らしていくには、

私たちは、勉強しなければならない。

 

自分が、自分が・・を国同士がエスカレートさせた結果、

過去、どういう結果を招いたかを知らねばならない。

 

EUが、元をたどれば、第二次世界大戦後、

これ以上戦争を繰り返すことのないよう、

国境を越えてひとつの国のように協力しあうことを目的に出来た組織である事を

国民投票前に、知らねばならない。

 

戦争になったら私達の自由なんてひとたまりもない。

 

子供たちは、勉強しなきゃいけない。

いい学校に行くためじゃない。

お金持ちになるためじゃない。

 

子ども本人が自由に、幸せに生きるために、

何より戦争しないために、

勉強しなくてはいけない。

 

大人は、子供たちが勉強に興味をもつよう

サポートする義務がある。

 

はっきりと、目が覚めたように、そう思った。

 

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たたかいごっこ、がブームの我が息子。獣王ジャーの真似して「やぁ!」「とう!」と毎日やってます。ずーっと、「戦い」は、ごっこ遊びだけで済みますように。
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クリスマスが近づくと、東京の夜は華やぐ。

ただでさえ、ネオンで明るい夜が、

イルミネーションでさらにさらに明るくなる。

 

あれは、大学生の頃の冬。クリスマスイブ。

女友達と丸の内ルミナリエを見に出かけた。

何万個だかの電球が施された壮大なイルミネーションだった。

夜とは思えないほどに、周囲は明るく、

じっと荘厳な文様を見つめると目が痛くなった。

 

「綺麗だねぇ」「すっごいねコレ」

私達は、そんな言葉を繰り返しつぶやきながら、

ノロノロと電飾アーチの中を歩き続けた。

歩き続けた。

止まれなかったのだ。

人が多すぎて。

 

前からも後ろからも「押さないで下さい」「止まらないで下さい」という

警備員の人の声が響いていた。

アーチに入るまでに小一時間並び、

実際にアーチをくぐり終えるのには15分くらい。

並んでいる方が長いという滑稽さ。

 

でも、それが、時間がたっぷりある若い女子たちの

”人生を謳歌する”一つのやり方だった。

待ち時間はおしゃべりでいくらでも消えたし、

寸暇を惜しんでやらねばならぬ事など何もなかった。

 

”流行のツボは、ひとまず押さえた。”

人が多ければ多いほど、私の薄っぺらい自己満足は補強された。

閑散としているより、むしろ混んでいる方が盛り上がった。

 

まるで昼間のような強い強い光。

冬なのに汗ばむほどの人の熱気。

恋人のいないクリスマスの空白は、完璧に埋められた。

 

ああ、私にもあんな時代があったのだ。

今じゃ絶対行かないわ。

 

と、思いながら暗闇に包まれる坂道を登る。

10数年前、丸の内ルミナリエではしゃいでいた女子は、

今や子どもの手を引きながら、蛍を見ている。

 

訪れたのは、広島市湯来町。

蛍の群生地として有名な町で、

川沿いの山道の一部が「ホタルロード」と名付けられている。

 

蛍をまともに見た事がなかった私は、

「一度でいいから、たくさんの蛍を見てみたい」

と、何ヶ月も前から湯来の宿を予約していたのだった。

 

見渡すかぎり蛍が飛ぶ様を想像し、私の心はときめいた。

丸の内ルミナリエのような、

まばゆい蛍の光を勝手に思い描いていた。

 

確かに、たくさんの蛍が飛んでいた。

しかし、蛍の光はそんなに強いものではなかった。

車のヘッドライドを浴びると、

一気にその光に負けて見えなくなってしまうような

弱く儚い光だった。

 

さらに、蛍の光は不安定だった。

強くなったり、弱くなったり。そして、一定の間隔で消えた。

ずっと同じ明るさで、安定して輝くイルミネーションとは違った。

 

「イルミネーションを見に行こう」というのと

「蛍を見に行こう」というのは、

同じ光を見に行くにしても、全く性質が異なるのだと、

生の蛍を見て初めて気づいた。

 

イルミネーションは、”光”そのものを見るが、

蛍狩りは、”暗闇”を見るのだ。

 

蛍を美しく見るには、人工的な灯りは許されない。

車のヘッドライトも、ネオンも、街灯も。

それほどに、蛍の光は儚い。

 

蛍がよく見えるという場所は、当然暗い。

辺りは、しんしんと闇が降り積もり、

昼間は気付かないような森の影が遠くから迫ってくる。

何も見えず、距離感がつかめない。森がやたらに近い。

見えるのは、夜空よりさらに漆黒な木の影だけ。

吸い込まれそうな尖った木々の暗闇で、

蛍は一番美しく、光る。

 

その光は、ふっと消えたかと思うと、また現れる。

そのリズムは、人の呼吸に似ている。

寝ている時の、すー、ふーという、あの間隔。

 

蛍を見ていると、聞こえてくるようである。

授乳中に寝てしまった赤子の、

寝かしつけをしながら聞いた子どもの、

規則正しい寝息が。

あのリズムと同じように、蛍はすーっと明るくなり、ふーっと消えていく。

 

蛍も、生きている。

これは、生き物のリズムだと思う。

 

そして、亡くなった祖父の、

一番最後に見舞いに行った日の、病院での寝姿を思い出す。

人工呼吸器をつけて、不自然に大きかった寝息。

痩せすぎてしまって、酸素が入ると身体全部が跳ね上がる。

でも、あの音も、同じリズムだったの。

 

暗闇で呼吸する蛍が、人の魂のようにも思え、

その暗闇が、儚さが、

私の生命の思い出と重なる。

この世ともあの世ともつかない不思議な空間に、私は浮かぶ。

 

蛍狩りは光を見るんじゃない。

闇と間を、感じるものである。

 

そして、それは少し、子ども達には高尚過ぎた。

「ねー!ヨーヨー風船がなくなっちゃう!早く帰ろうやーー!」

あーちゃん(5歳4ヶ月)もはる君(3歳1ヶ月)も、完全に飽きていた。

旅館の前の出店で並んでいたヨーヨー釣り以上には、

蛍は子ども達の心をつかまなかった。

 

純粋に光を眺めるには、文明に慣れすぎていて、

暗闇を感じるには、経験が足りない。

 

子どもにホタル狩りは早かったかなぁ・・と思いながら、

てくてくと夜道を帰ったら、

最後の最後で、とっておきのプレゼントがあった。

 

家族そろって、川沿いを歩いていた時のこと。

宿に入る直前で、木に止まる蛍を見つけた。

 

「これ、そっと捕まえてお部屋で放してみようや」

と、旦那さんが言った。

木の葉に止まった蛍を旦那さんがそ~っと両手で包んだ。

 

「やってみたい!やってみたい!面白そう!」

家族4人、頭をくっつけて輪になり、旦那さんの両手を囲む。

大きな手のひらをそっと開けると、

天照大御神が、岩戸から顔を出したかのように、

光がぱあっと指の間から漏れた。

よく漫画で、宝箱を開いた時に登場人物の顔が光で照らされるが、

子どもの顔が、まさにあんな風に、蛍に照らされた。

見開いた目。開いた口。いい顔。

 

夜空を飛ぶ蛍の光は、あんなにも頼りなさ気だったのに、

目近で見ると、とても力強い。

 

蛍をつぶさないように、逃がさないように。

私達はそそくさと部屋に戻り、

明かりをつけない部屋の中で、蛍を放した。

 

「昔は、蛍を10匹くらい部屋に放して眺める遊びがあったんだって」

旦那さんが言った。

あぁ、それはいつかテントでやったら楽しいだろうなぁ・・と、

反射的に思った。

 

蛍は放されても元気に飛び回る事はせず、

じっとテーブルに止まっている。

みんな順番で、手のひらの中に蛍を包む体験をして、

最後は仲間のところに返してあげることにした。

 

「ひとりぼっちは、可哀想じゃけぇ」

あーちゃんが言う。

 

蛍狩りは、闇を感じるものだという感想で終わる所が、

ラストの1件で、がらりと変わった。

思い出が、闇から優しい光になった。

 

パパの、楽しい思い出を作ろうという優しさ。

あーちゃんの、仲間の元に返したいという優しさ。

手のひらで包んだ光は、温度は感じなかったけど、温かった。

 

あの光を思い出したくて、撮ったカメラの写真を見てみる。

でも、そこには何も映っていない。

ただ、真っ暗なだけである。

 

 

いつでもどこでもスマホで写真を残せる世の中なのに、

写真に残せない光が、ある。

ほんとに、人の魂みたい。

 

写真で残せないなら、綴ったこの文字達が少しは意味を持つだろうか。

いつか、子ども達がこのブログを読める日が来たら、

私の記憶の優しい光が、言葉で伝わりますように。

 

 

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湯来町のホタルロード沿いに、漫画『スラムダンク』に登場する宿がありました。つぶれてしまったそうですが。ネットで改めて見たら、本当にソックリそのままで驚きました。
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だんだんお湯が熱くなる。

鍋下方で、炎がちらついている。

このままお湯につかっていたら、

茹で上げられて死んでしまう。

 

でも、まぁまだ大丈夫。

水がぬるま湯に変わっていくけれど、

何だかそれも心地いいじゃん?

 

悪い未来を感じながらも、

環境をなかなか変えられない事を

『茹でガエル現象』と呼ぶ。

 

熱湯に入れられたカエルは、すぐ飛び出す。

しかし、最初水に入れられたカエルは、

徐々に水の温度を上げられても、

湯を飛び出さずに茹で上げられてしまう。

 

環境の変化に対応する難しさを説くのに

ビジネスの現場で用いられる喩え話らしい。

(実際のカエルはこうはならないみたい)

 

未来を予測して、

悪い結果を回避するように行動する事を喚起するのが

『茹でガエル現象』なら、

『テヘランの死神』は真逆だ。

 

『テヘランの死神』は、

ビジネス現場で使われる例え話ではなく、

ヴィクトール・E・フランクルが書いた

『夜と霧』の中で出てくる昔話。

 

中身はこんな内容だ。

 

とある召使が主人の庭で死神にバッタリ出くわした。

召使は恐れおののいて、主人に頼み、駿馬に乗って「テヘラン」まで逃げた。

主人が「何で召使を驚かしたんだ」と死神に言うと、

死神は答える。

「驚いたのはこっちだ。今夜、テヘランでやつに会うはずだったのに。」

 

そのまま主人の庭にいれば、

死神に殺されなくて済んだ召使が、

死ぬ運命のテヘランを自ら選んでしまった話。

 

良かれと思ってとった選択肢が、

結果として死に直結してしまう。

フランクルは、運命に翻弄される強制収容所のユダヤ人の現実を

この逸話にたとえている。

 

◇◇◇

 

昨日の、イギリスのEU離脱のニュースを見て、

『茹でガエル現象』

を機能させるのが、とっても難しくなってきている気がした。

 

先が見えないから。

 

例えば、山積する日本の問題に、

「日本の未来はもう暗い!」と、

日本を飛び出し、茹でガエルを恐れて

どこかへ逃げようとしたとする。

でも、逃げた先で幸福になれる見通しが非常につきづらい。

 

賢い人達はもっと多面的に色んな事を見て、

適切な国への逃げ道を見つけるもしれないが、

それでも、何があるか分からないのは同じである。

 

私自身がどこかへ逃亡しようとしている訳ではないが、

生きていく心構え?として、

『茹でガエル』と『テヘランの死神』の半々くらいでいたいと思う。

 

遠い未来を憂いても分からない。

だったら、今できる事をやる。

遠くを見過ぎない。

いざとなったら、その場で考える。

不必要に準備しようとしない。

 

でも、本当に何も考えてなかったら、

いざとなった時も動けない。

だから少し近くの未来の為に、チョコチョコ思考は巡らせて、

しかし半分は、運命に任せてみる。

 

子育てにも通ずるかなぁ。

 

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姉のクリームパンを欲しがって号泣する息子をなだめながら、コレ書いています。あぁクリームパン同じの2個準備しとけばよかった・・。

 

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はぁ・・すごいなぁ・・と思った。

 

7月6日に、イギリスの「イラク調査委員会」が、

イラク戦争を検証した膨大な報告書を発表するのだそうだ。(参照

 

「大量破壊兵器がある」って言ったのに無かった。

誰がどういう情報を流したのか?

首相はわざと国民を騙そうとしたのか?

戦争を主導した責任者は誰か?

 

2003年の開戦から今までにあった事を克明に調査し、

記録した260万語に及ぶ報告書だと言う。

 

何がすごいって、13年間に渡り調査し続けた執念だ。

 

こちらの記事によれば、

何度も調査委員会は立ち上がったものの、

重要な情報源となる人が突然亡くなったり、

不可解な引責辞任があったりで、

出てくる報告書に国民は納得いかなかったらしい。

 

「で、結局首相は国民を騙したの?騙してないの?」

という事が、いつまでもハッキリしないので、

2009年に、4回目の調査委員会を立ち上げたそうだ。

その調査委員会が出す報告書が7月6日のものだ。

 

日本と照らし合わせると、

その責任の所在を明確にしたい!という執念が、

もう、全くもって比べ物にならないと思うのである。

 

イラク戦争を指揮したブレア首相、もう辞めているのだ。

日本で、辞めた首相の責任追及をやるだろうか。

イラク戦争を支援した小泉首相の事、誰か追及してる?

 

半藤一利さんの『昭和史』の中で、

とても興味深い記述があった。

 

戦後、東京裁判で、日本の戦争責任の所在を紐解こうとするのだが、

天皇の命令でもなければ、

軍隊にも明確に「侵略」を指揮したトップも出て来ず、

調べれば調べるほど、責任が雲散霧消したらしい。

 

 

あの人が言ったから、この人の命令だ、

みたいな事をグルグル回していくうちに、

「え?で、結局誰が悪いの?」

と、キツネにつままれたようになる。

ここ最近のニュースでも、見覚えがありすぎるパターンである。

 

明確に責任を追求しようとするイギリスと、

なぁなぁで済ませちゃう日本。

国民ひとりひとりに焦点をあてたら、

それは個々人の性格もあり、人それぞれだと思うが、

国全体としてみると、あきらかな違いを感じるのである。

 

◇◇◇

 

さて、そんなイギリスが、EUを離脱するらしい。

国民投票でEU離脱派が上回ったと言う。

長いものに巻かれている事に安心しがちな私は、

「離脱するの!?」

と、その結果にビックリしてしまった。

 

「自分の国の事は自分で決められるようになる!」

と喜ぶ離脱派の党員の声を読み、

あぁもし、私だったらこんな喜び方できるかな、と

まるで家を追い出されたひな鳥みたいな気分になる。

(情けないですが)

 

◇◇◇

 

アメリカのトランプ氏の人気といい、

各国で「自分の国が一番大事!」という風潮が広まれば、

日本にも影響は飛んでくる。

 

自分の国は自分で守るよう軍隊を持つのか。

そうなったら、責任の所在をのらりくらりとやってきた文化で、

果たして本当に大丈夫なのか?

過去の誤ちは防げるのか?

 

問題の本質を見誤り、突きどころ間違えると

後からとんでもない玉が戻ってきそうである。

広い視野で物事を考え、判断できるだろうか。

 

世界のうねりを感じる、英国の国民投票である。

 

子供たちに平和な世界を手渡したい。

その為には、どうしたらいいかなぁとぼんやり考える。

 

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今日も広島は大雨。携帯の警報がたくさん鳴っていました。浸水した所もあるようで心配です。
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ここのところ、連日のように大雨が降り、

毎晩、大雨洪水警報が出ている。

 

2年前に起きた広島の土砂災害の教訓からか、

少しでも大雨が触れば避難指示!という流れなのだと思う。

 

とても有り難いし、大事な事だと思うのだが、

否応なしに、連日警報によって叩き起こされるので、

やや寝不足である。

 

まず、大雨洪水警報が出ると、

携帯の緊急アラームが鳴る。

地震の時とは音が違うけれど、心地良い音ではない。

ヒュンヒュンヒュン、ヒュンヒュンヒュン。

 

その次に、近所の警報機から爆音で、避難指示命令が流れる。

地域一帯に聞こえるような音量で流れるのだが、

我が家、この警報機のすぐ側に家があるので、

寝られたもんじゃない。

 

しかも避難指示対象なのは、

隣町であり、我が家の場所は無関係である。

いつ何時、我が家も避難対象になるか分からないので、

むやみに「切ってくれ」とも言えないが、

自分に関係のない警報が、毎晩毎晩流れてくると、

危機感が麻痺してくるのが分かる。

 

ああ、またか。

と、いう感じ。

 

「心配な方は、●●小学校に避難してください」

と警報が告げるのだが、大抵翌朝にはカラっと晴天だ。

連日これが告げられてたら、誰も避難しなくなりそうだ、と思う。


行政の方々は、何も言わなければ

「何で指示出さなかった?」

と責められ、出しすぎれば

「うるさい」

と苦情が来る立場にいるんだろう。

 

深夜の警報が鳴り、

念には念を入れた避難計画が申し渡される度、

あぁ今日もどこかで誰かが、徹夜で働いてくれているんだなぁと思う。

2年前の悲劇が繰り返されないように。

 

布団の中で、働く人々への感謝と共に

「早く警報止まないかな・・」と思う日々だが、

両脇で寝ている子ども達が一切目を覚まさないのが、

私の中での七不思議である。

 

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起きていると、子どもは警報をめちゃめちゃ怖がります。

 

 

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