みずごころ?~日光街道を歩く(81)
杉戸宿本陣の近くの愛宕神社を訪ねた。
本堂の裏に高さ5~6mほどの小山があり、そこに赤い祠と石碑があった。
私が子供の頃、このような小山の神社で遊んだ記憶がある。
赤い祠は何を祭っているのかわからなかった。
昔の愛宕大権現なのか、或いは稲荷さんなのか。
石碑は何も刻んでいないような「のっぺらな面」をしており、上部をぐるりと荒縄を巻いてある。
よく見ると石碑正面下部には小さな文字で「水心」という文字が見える。
小学館の辞書によれば、「水心(すいしん)」とは「河川・湖沼などの中央部」である。
愛宕神社の南側には古利根川があるので、昔の河川の蛇行によってここが河の中心だったことがあるのかもしれない。
またことわざに「みずごころ」というのがある。
「魚心あれば。水心。これは、良い意味なのですか?悪い意味なのですか?」という質問へのベストアンサーは以下の通り。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1413229019
『この言葉が有名になったのは、江戸時代の芝居「関取千両幟」で「金を出して暗に八百長を頼む」にあたって「「魚心あれば水心」というセリフが使用されたことからであります。
本来は「好意をもって接すれば、相手も好意をもって応ずるものだ」という意味だったのですが、この芝居以来、この言葉のイメージは江戸庶民にとって悪くなり、「役人と商人とのなれあい(悪事についてのもちつもたれつ)」の意味で使用されることが多くなっています。
だから、本来は悪い意味ではなかったのですが、江戸後期以降は悪いイメージがつきまとう言葉になりました。(回答tukiyomi_mikotoさん)』(抜粋終わり)
「お賽銭箱に沢山賽銭をいれてくれるならば、お主の願いを叶えてあげてもよいぞ!」
と神様が考えたかどうか。
戦の神様なら、それくらいの水心を持っていても許されるのかも知れない。
おそらく昔の古利根側の河川幅方向の中心位置を示す石碑であろう。
河は龍の神であり、それを鎮めるために祀る習慣があったのであろう。