6月16日、参院本会議に行って参りましたよ!

性犯罪の刑法は全会一致で可決されました。その瞬間は、さすがに感極まって涙涙;;

みんな、よく頑張った!お世話になった議員のみなさま、本当にありがとうございました。

 

ただ、その喜びも吹っ飛んでしまったのは、同日可決したLGBT法案だ。なんでこんなことになっちゃったのか。LGBTを守る法律はなきゃいけない。だけど、修正の文言は一体なんだ。「全ての国民が安心して生活することができるよう、留意するものとする」というのがついてしまった。これ、いらんやろ。

 

日本は、女性が歴史的に差別されてきたのは異論のないことだと思う。だから、女性の権利を底上げするために、様々な法律ができてきた。それでも、まだジェンダーギャップ指数、146カ国中125位。中国、韓国よりもずっと低いわけだ。女にとって、日本は生きづらい世の中さ。でも、女以上にもっともっと差別され、存在すら否定されてきたのはLGBTだ。女が感じる生きづらさとは比べものにならないぐらい、きついだろうと思う。幸せに生きるために必要な環境が全く整っていないのだ。

 

反対する人は決まって、「女風呂や女子トイレに、性自認が女だという男が入ってきたらどうするの?」という。本当のLGBTの人は入りませんって。おびえながら生活してるんだよ。そういう人がいたら、それは犯罪だから。盗撮されるおそれ?撮影罪が成立しましたから、それはそっちで対処してもらいましょう。

 

黒人は、差別されてきた歴史をもつ。そして、数多の血が流れる闘いを経て人種差別を禁止する法律ができた。その法律に「全ての米国民が安心して生活することができるように留意するものとする」なんて文言が入ったらおかしいと思わないか?国民の中には、差別する人が一定数いるんだもの。黒人と一緒じゃ安心できない!なんて言い出せば排除できちゃう。無条件に差別禁止で何故ダメなのか?「不当な差別はあってはならない」という修正文言にしてもおかしい。正当な差別があるというのか?

 

これまで黙っていた人たちが権利を主張すると、途端に押さえつけようとする人たちがいる。上智大学の出口真紀子先生のマジョリティの特権がわかりやすい。女性問題、部落、障害者などの活動をすると決まって「逆差別」だとバッシングする人たちがいる。名古屋城修復でバリアフリーを求めた障害者に対し、「わがままだ、我慢しろ」といった差別文言を浴びせ、同調した人もその場にいたという。まさに、これ。

 

私もこの定義でいうと、ほとんどがマジョリティだ。だけど、マジョリティは最初から高い下駄はいて生きてることを自覚した方がいい。同じゴールに辿り着くまでに、マジョリティにある側は、労なくしてそこに辿り着く。マイノリティは、いくつもいくつも見えない壁にぶつからなければならない。マイノリティは、その壁を壊してくれと声をあげる。その声をマジョリティが聞いたら、動かないと。それがアライの役目。何のことかわからないかもしれませんが、何が問題なのかがよくわかると思うから、出口先生の記事を是非読んでみて!

 

しかし、すでに自民党に「女性を守る議連」なんてのができてしまった。この会の発足の中心的な方がTwitterで「LGBT法は確かに不必要な法律ですが、よくよく見るとこの法律を逆利用して左翼勢力を抑制することができます。この修正で、民間の組織にLGBTの啓蒙活動などを任せるという条文が削られました」と発信している。逆利用って・・・。こわっ。

 

これは、左翼とか右翼とかイデオロギーの問題ではないと思うのです。人権問題だと思うのです。今、LGBT当事者は、どんなに悲しい気持ちでいることか。自分たちが社会を脅かす存在だとみなされたと感じるでしょう。ムカムカします。ああ、ほんとにムカムカします。何故この国には、誰もが自由に堂々と生きることを阻もうとする人たちがいるのでしょうか。