誰からも愛され、信頼されていた日本テレビの同期が亡くなった。
ため息ばかりの日々だが、それでも、時間は前に進んでいく。
昨日は久しぶりに、講演だった。
古河市の教職員や、市の職員らが700人ぐらい集まっていた。
タイトルは「みんな大事な命ー取材現場より」
ふぅっ。
命について、考えることばかりだ。
もう何年も前から。
先週末、京都に父と二人で行ってきて、
そのときも、いろいろ考えた。
記録しておきたいことがたくさんあるのだが、
あまりにも、いろいろありすぎた。
明日から、子ども二人を連れて、気仙沼市唐桑へ、4泊の旅。
ダンナは、急に仕事が入ってNGなので、おんなこどもだけ。
唐桑には何をしに行くのかというと、
あの、鈴木重雄さんゆかりの地を訪ねに行くのだ。
・・と書いて、反応する人はほとんどいないだろう。
私にとっては、彼は君子。
ハンセン病と診断され、療養所へ行くが、
中央官庁などの人脈を生かし、地元の唐桑に国民宿舎を誘致し、
唐桑を国定公園に指定するのに走り回ったり、
地元の人に要請され、町長選挙に出馬も果たし、
惜しくも敗れたものの、
その後、知的障害者施設の高松園を建設したり、
それはもう、誰もが認めるスゴイ仕事をされた人なのだ。
70年ぐらいから、カミングアウトし、マスコミもこぞって報じた。
あの時、「らい」は治ると多くの人が理解した・・・はずだった。
でも、結局は、それから長くかかってしまった。
96年まで法律はそのままだったし、
地裁判決後、徐々に理解者は増えたものの、
大きくは変わらない。ふるさとの実家の敷居をまたげた人が
どれだけいるのか。ほとんどいない。
今も変わらないのはなぜか。
それが知りたくて、深みにはまっている。
重すぎて、もうやめたい、卒業したい、と思いながら、
どこかで、面白いとも思っている。
そういえば、若いときにハンセン病を患ったことのある
伊波敏男さんの前でこういう取材が「面白い」と
言ってしまって、一瞬、表現を間違ったかな、と思った。
でも、すかさず、伊波さんは、「でしょう?私もです」と言った。
「人間を知ることだから、面白いんです」と。
うん。うん。そんな感じがする。