ハンセン病の国賠訴訟で、原告団長をつとめていた谺さんいわく、


ゲゲゲの鬼太郎の目玉おやじは、ハンセン病であったとか。


初期の作品の「幽霊一家」に鬼太郎誕生の巻があり、それによるとこうだ。




売血を輸血した患者が幽霊になる事態が発生していて、


血液銀行につとめる水木が調査を命じられた。


調べてみると、自分の家の番地の古寺の者の血だということがわかり、


訪ねると、そこに幽霊夫婦が住んでいた。


夫は、「不治の病」でその治療費がかかるために妻が血液を売っているのだった。


妻はそのとき、妊娠していた。




数ヵ月後、水木が再度古寺に行ってみると、夫婦は死んでいた。


水木が墓を掘ったが、夫は身体が崩れていて運べず、


妻だけ墓に埋めて帰る。


墓の中で、幾多郎は自力で生まれ、墓穴から這い出してきた。


すると、死んでいる筈の父親が突然目を見開き、子供を励まそうと


目玉ひとつだけが顔から転がり出て、鬼太郎のそばに駆け寄り、


「がんばれ」と声をかけるのである。




泊まった宿に、たまたま漫画本があり、そこには、「不治の病」とあったが、


『水木しげる集』(筑摩書房)では「らい病」と出てくるようだ。(未確認)


その後、「溶ける病」などと変更されている。それもひどいが。




これが書かれたのは、59年。


もう治療可能な病になっている頃。マンガだからデフォルメされるのは


仕方が無いとはいえ、あまりにも、その姿はおどろおどろしい。


谺さんは、その点は批判するが、全体的には、この設定を


とても面白がって、話してくれた。


「ハンセン病」の父を目玉おやじとして描きなおし、目玉になっても


子供を励ます「親の愛」の具現化で敬意を表したい、と。


さらに、水木の妖怪に対する愛に最大限の賛辞を送る。


ゲゲゲ、は水木しげるが子供の頃、「しげる」と言えずに、「ゲゲゲ」と


言っていたことから、鬼太郎に自分の名前を冠した。


それほど、鬼太郎を愛していたということだともいう。




谺さんは、「らい予防法」がある限り、


ハンセン病療養所は「墓場」であると見做されていたわけだから


訪れる人に、妖怪になって出没しようと考えていて、


「妖怪同盟」の結成を療友に呼びかけたこともあるとか。


その発想のユニークさに思わず、吹き出してしまったのだが、


谺さんは今もその思いを持っている。


水木しげるサイドは、「ハンセン病」という設定をしていたことを


伏せておきたいようだが、谺さんは、これをちゃんともう一度


公認して欲しいという希望をもっている。


療養所を、地域に解放し、人が訪れる場所にする。それが、


療養所にいながらにしての社会復帰だと考えている。


それを、目玉おやじと鬼太郎を中心とした妖怪ファミリーに


応援してもらいたいというのだ。




ゲゲゲブームになっている今、それもありかなーとあれこれ想像を


膨らませてみる。


しかしー。


療養所の入り口に、鬼太郎、目玉おやじの銅像なんかたてたら、


んーーーー、面白いんだけど、悪い冗談のようにも思える・・・。


谺さんの域まで達している入所者はどのぐらいいるのかな。


谺さんの詩集、『ライは長い旅だから』にある一文。




 ようやくにしてボクは


 折角らいに罹ったのだからという思いに今夜


 立っていたのだ




やっぱり、皆を率いてきた人だけある、力強い人だ。


折角らいに罹った、なんて、なかなか言えない言葉。





PS:「高原」2007年11月号に谺さんの熱い思いが載っています。